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2008年11月

「動かぬ証拠」 フェリシティ&セーラ

フェリシティ 「これ聞いて! 
        『イビキ男は退屈です
        でも、それに文句を言う女は、もっと退屈ですよ
        あなたのご主人は、その文句にウンザリして
        眠りの中に、逃げ込むしかないのです・・・』
セーラ    「その先、『文句をやめたら、イビキも止むでしょう。』」
フェリシティ 「それいいわ!」

セーラとフェリシティは新聞作りを始め、
<X夫人の相談室>コーナーの記事集めをしました。
でも、セーラの書いた原稿が、間違ってオリビアの原稿に混ざり、
アボンリー新聞に載ってしまったから大変…!
(活字を組む段階で気付かなかったのでしょうか?)

~キング夫妻の会話~
ジャネット 「…アレック…ちょっと、アレック! 呆れた!
                あたしが、やっと食器の後片づけが終わって、
                あなたと、ゆっくり話をしようと思っても、もう眠ってる。
                いい身分だわね。
                体を休めなきゃいけないのは、あたし(妊婦)の方よ。」
アレック  「私が眠ってた? 冗談じゃない…」
ジャネット 「だって、イビキかいてたわ。毎晩同じじゃない。
                あたしが話をしようと思うと、椅子に腰掛け、メガネをずらして、
                イビキかいて寝てるんだから。」

どこの国でも同じですね。

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<第2シリーズ>
第23話「動かぬ証拠」(Dreamer of Dreams)より

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「動かぬ証拠」 ヘティ

あなた方がジャスパーを、どう思うと関係ないわ。
オリビアの問題でしょ! 
私にだって干渉出来ないことよ。
言えるのはそれだけね。
さあ、下らないお喋りをしていたら、きりがないわ。

オリビアの婚約者ジャスパー・デールは発明家、
でも、発明品は失敗続きで、町中の笑い物になってしまいました。

ローズコテージに来ていたポッツ夫人とスペンサー夫人にも、

「オリビアが可哀想…損なクジ引いたわ…
エドウィン・クラークと比べたら、ジャスパーはカスだわ、
…夢じゃ食べていけないのよ。
ジャスパーさえいなければ、オリビアは、お金持ちの奥さんになれたのに…」

と言われてしまいます。
ジャスパーがドアの外で聞いているのも知らずに…

オリビアがジャスパーと婚約した事を、快く思っていなかったヘティですが、
他人に、ここまで侮辱されたら、黙ってはいられないでしょう。

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<第2シリーズ>
第23話「動かぬ証拠」(Dreamer of Dreams)より

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『母恋い放浪記』

西村滋さんの著書は、何冊か読んだのですが、
『お菓子放浪記』以外で手元にある本といえば、
『母い恋放浪記』、『雨にも負けて 風にも負けて~1日だけの名優たち~』
『おとうさんのひとつの歌』の3冊です。

情けない事に、いずれの本も内容を覚えていませんが、
それでも、『母い恋放浪記』だけは、忘れられない箇所があります。

1925年、名古屋生まれの西村滋さんは、6歳で母、9歳で父と死別し、
小学校も、4年生までしか通わず、その後は孤児院などを転々とし、
13歳で補導され施設に入れられてしまったのですが、
母との別れの際、悲しくは無かったそうです。

それは、
彼が4歳の時、母親は結核を患い、裏庭に建てられた離れに隔離され、
近づくことも許されなかった…
…幼稚園で習った歌を、何度も大声で歌わされていたのですが…

母恋しさに、家族に見つからないようにして、離れの高い窓によじ登れば、
優しかった母とは別人の恐ろしげな罵声が返され、
幼心に母に食べさせたいと、お菓子の箱を差し入れれば、
激しく罵倒され、投げ返されてしまった…

近所の子供達からは、「お前の母さん、キ…」と囃され、
“母から嫌われてしまった”と思い込んでしまい、棺の母を見ることも無く、
家政婦さんから渡された、薬包紙で折った折り鶴も、
あっさり捨ててしまったのでした。
…後になり、悔やんでも悔やみきれないことでしたが…

程なく父は若い後添いを迎え、母の愛に飢えた6歳の少年は、
継母に異常なまでに阿るのですが、
裏目に出て愛されること無く、やがて父とも死別…

母の本心を知ったのは、彼が施設にいた時のこと、
母の世話をしていた家政婦さんが、面会に来てくれたからです。

当時、結核といえば感染する不治の病と恐れられ、
本来なら、サナトリウムなどに入院しなければならないのですが、
一度入院すれは、生きては帰れず、子供の面会も受けられない。

愛する我が子の気配を感じさせて欲しいと、夫に泣いて懇願し、
離れを建てて貰ったという訳なのです。

我が子に憎まれる様に、殊の外、辛く当たったのは、
“自分が死んだ時に、せめて、悲しい思いをさせないようにしてあげたい。
死んだ母親を恋しがっていたら、
継母になつかないだろうし、そんな子を、継母は愛さないだろうから…”

母の深い愛に、涙が出てしまいました。
西村さんも、母親の愛を知ったからこそ、今があるのでしょうね。

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『母恋い放浪記』(主婦の友社)…第6回 路傍の石 文学賞 受賞
『雨にも負けて 風にも負けて~1日だけの名優たち~』(民衆社)
…第2回 日本ノンフィクション賞 受賞
『おとうさんのひとつの歌』(民衆社)

<路傍の石 文学賞>
第1回受賞 『太陽の子』(灰谷健次郎)
第5回受賞 『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子)
(どちらも素晴らしい本でした。)

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「COOL JAPAN」…お父さん(Father)

昨夜のテーマは「お父さん」。

かつての日本のお父さんのイメージは、
「地震、雷、火事、親父」と恐れられていた存在でした。
理不尽な事にも絶対服従、口答えなど以ての外、時には暴力さえも…

今では、お父さんの権威は失墜し、街頭アンケートに因れば、
「優しい、友達みたい」だとか…
それは良いのですが、中には、
「頼りない、尊敬してない、嫌い(思春期女子特有なのかも)」には、
スタジオの外国人からは、
「嫌いだなんて信じられない…、尊敬するのは当たり前…」
と疑問、反論がありました。

お父さんが働いている姿を知らないし、日本のお父さんは忙しいのですよ。
家にいる時は、あくまで、リラックスタイムなのですから…

それに、昔から、お父さんは稼ぎ手であって、
家事、育児、近所付き合いなどは、全て妻の役目とされていました…
何か子供に(成人してからも)問題があれば、
世間からも身内からも、母親の育て方を云々されてしまうのですから。

スタジオの外国人の意見では、
「忙しいのを言い訳にしては駄目」
「父親は、子供が話しやすい雰囲気を作るべき(母親にも責任が)」
「家族サービスという言葉は変、当然なことでサービスではない」
本当にそうです。
お父さん達は耳が痛いでしょうが、
私に限らず、日本の女性は皆さんそう思っているでしょう。

「理想のお父さんは?」の質問に、
全員が「自分のお父さん!」と…
その中のお一人は、「ミー!」と答えました…素晴らしい!!
「日本のお父さんは、“cool or notcool?”」には
全員(一人は両方)が“notcool”を選びました。

お父さん自身が改める事でもありますが、
男の子の育て方も重要かも知れません。

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『お菓子放浪記』の思い出

『お菓子放浪記』には、忘れられない思い出があります。

30年以上も前のこと…
昼休みに、『お菓子放浪記』を読んでいたら、
同僚の一人が、何の本かと尋ねるので(私はいつもカバーをしています)、
あらすじを話しました。

するとその人は、
“…自分は子供の頃、非常に素行が悪かったので、
施設(感化院とか教護院とか言われた所)に入れられたのだけど、
そこを出るまでの間(何年間だったかは忘れました)、
両親は一度も面会に来てくれなかった。
面会人から、差し入れて貰ったお菓子を食べている他の子が、
本当に羨ましかった…
ああいう所にいる子供には、お菓子は、本当に嬉しいもの。

…次の休日に、お菓子を差し入れに行こうと思うけれど、
一緒に行ってくれないか?
○○さん(私のこと)なら、偏見を持たないだろうし、是非見て貰いたいから…”
と言うのです。

私は少なからず戸惑いを覚えました…
小学生でも入れられる子がいるとは信じられなかったけれど、
それは兎も角、少なくとも偏見は無いつもりでした。
でも、施設を強いて見てみたいとも思っていませんでしたが…

ただ同僚とは言え、殆ど知らない人と、電車で数時間の距離を同行することに、
抵抗がありました。
何と断ったか記憶にありませんが、迷った挙げ句、結局は断りました。

“当然だよ。”と言ってはくれましたが…何が当然なのかが気になったし、
やっぱり、“偏見を持っている”と思われたのでは?などと、
上手く説明出来ないことが、もどかしかった事を覚えています。

休み明け、
“ダンボール一杯のお菓子を持って行ったら、みんな、すごく喜んでくれた。”
などと話してくれました。

考え過ぎたりせず、一緒に行けば良かった・・・と悔やんだりもしましたが、
最近、ふと、思ったのは、ある疑惑…
施設に入れられた事が嘘だったとは思いませんが、
お菓子を差し入れに行ったというのは、事実だったのか?ということ…

微かであるにせよ、疑いを抱いた自分が悲しい…。

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「私は誰になっていくの?」

録画して置いたETV特集「長すぎる休日」~若年性認知症を生きる~
を見ました。

50代初めという若さで、若年性アルツハイマー症を発症し、
職場を解雇された2人の男性と、その妻達の苦悩の日々…

番組では、2組のご夫婦の毎日と、
クリスティーン・ブライデンさんご夫婦に再会するための、
オーストラリア旅行の様子を紹介していました。

それにしても素敵なご夫婦たち…
それまでの関係が良くなかったなら、難しい様な気がしました。
…泣いて、泣いて、葛藤の末に辿りついたのかも知れませんが…
いえ、まだ辿り着いてなどいないのでしょう…

お二人の奥様たち以上に、感動を覚えたのは、
クリスティーンさんの夫のポール・ブライデンさんの献身ぶりでした。
クリスティーンさんが認知症と知って求婚されたのですから、驚きです。
ポールさんの心に、“神”が存在するからなのでしょうか?

最近、物忘れの激しい私にとっては、決して他人事とは思えません。
クリスティーンさんの二冊の著書、
『私は誰になっていくの?~アルツハイマー病者から見た世界~』
(原題「Who will be when I die?」)と、
『私は私になっていく~痴呆とダンスを~』(原題「Dancing with dementia」)
を、是非読みたいと思いました。

…『アメージンググレイス』は琴線に触れ、胸が熱くなりました…

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「走れ!ポストマン」…ルーマニア

今回のポストマンは大東俊介さん。
川崎市にお住まいの、大道芸人(アコーディオンパフォーマー)、安齋礼恵さんの
依頼を受け、ルーマニアのビジューさんに、スカーフを届けに行きました。

毎年、アビニョン行われている大道芸の大会で、
7年前に知り合ったロマ(ジプシー)のビジューさんですが、
今年は会えなかったことに、大変心配されていました。

そこで安齋さんは、ビジューさんの無事を祈ってビーズ刺繍したスカーフを、
ポストマンに託したのでした。

ジプシーというと、日本人にとっては遠いヨーロッパの存在で、
私などは、チャールダーシュやブラームス、リストの曲を連想してしまいます。

…『耳に残るは君の歌声』『ショコラ』などといったジョニー・デップの映画も…
また、ルーマニアというと「ドラキュラ」を連想してしまう私…

でも、かつては「放浪の民」と言われ、差別や迫害を受けていたそうですね。
それは今でも続いているとのこと…
人間は、異質なものに警戒心を抱いてしまう生き物なのかもしれません。

苦労の末辿り着いたビジューさん…長かったとも言えますが、
名前と写真しか手がかりが無かったと思えば、早かったとも思えます。

毎回、手がかりが少なくても、結局見つけ出してしまうのですから、
「世界(世間ではなく)は狭い」ということを実感しました。

行方不明などと言っても、諦めなずに探し続ければ、
いつかは見つかるということなのでしょう。
でも、なぜ死んだって言ったのでしょう?…噂を信じては駄目ってことですね。

ビジューさんの歌に、ロマの悲しみの歴史と、彼女の人生の重みを感じ、
涙が出てしまいました。

ところで、新シリーズは、前回までのウェーク島の「絵画」とは対照的に、
ファンタジックな韓国の「風船」のお話で、ポストマンは松木里菜さんです。

山形県川の川崎修さんの依頼で、手紙付きの風船を飛ばした韓国の少年に、
サッカーボールを届けて欲しいというものです。

日本の義務教育では英語を教えていますが、
ハングルも教えたらいいのでは?お隣さんですから…

そういえば小学生の時、毎年、手紙を入れた瓶を海に流していました。
あれは社会科の授業だったのかしら…?
今頃は、海底のどこかで眠っているのかも知れません。

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「海賊の金貨」 アレック

私は、何より安らぎが欲しいね。
静かで穏やかな夜は、金貨より、ずっと価値がある。

島には海賊の宝物が隠されているという。
宝の地図の半分を持っているイジーケル・クレーン船長を、
もう半分を持つボーデンが狙う…

一方キング家では、セーラが、灯台付近で古い金貨を見付けたことから、
“ヘティ+セーラ”と、“ジャネット+フェリシティの二組は、
地図を手がかりに、先祖が埋めたという宝物を探し始める…

でもアレックは、形振り構わぬ女性達の争いに冷ややかでした。
“あるわけ無い”と思っていたから…

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<第2シリーズ>
第22話「海賊の金貨」(All That Glitters)より

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「ウルルン・リターンズ」…エチオピア(玉木宏さん)

前回の「ウルルンリターンズ」は、
山本太郎さんのニューギニア編でしたが、
2週とも、見逃してしましました。

今回の旅人は玉木宏さんで、エチオピアの高地に暮らすコンソ族の生活を体験。
(2002年5月5日の放送でした。)
コンソ族の挨拶(ほとんど合い言葉)は「ナガイタ」、
その意味は“平和”と言うだけあって、平和を尊ぶ民主的で働き者の人達でした。

厳しい環境の中、食事は発酵させた飲み物のチャガだけなのに、
均整の取れた逞しい肉体の人達ばかり…ここには糖尿病など無いのでしょう。
肥満大国の人達に見せたい思いでした。

でも、食事が苦いチャガだけというのは、玉木さんには辛かったことでしょうね。
見かねたホームステイ先の、村長(とても若い村長)の弟が、
蜂蜜を買って混ぜてくれて、その時は、何とか飲めたのですが…

水は、坂道を30分下った水汲み場まで、汲みに行かなければならず、
20キロの重さの水を担いでの(登り坂)帰り道が、2時間掛かってしまっても、
日本人には仕方無いことです…

「下の生活は便利だけど、バラバラ(村人の心)になる。」と…
村長のカルマさんからの別れの言葉は、
「平和が大切だ。平和に生きてくれ。」でした。
究極の別れの言葉ですね。

来週は再放送ですが、次回(再来週)は藤原竜也さんのネパール編です。
ホームステイ先には、健気な美人6姉妹がいましたよね。

ところで、初回の阿部サダヲさんは別として、
上地雄輔さん、山本太郎さん、玉木宏さん、藤原竜也さんと続くと言うことは、
次は、小栗旬さんか、塚本高史さんという事でしょうか?
(来年1月23日発売のDVDに収められている旅人達です・・・)

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ハンマースホイ

録画してあった『新日曜美術館』を見て、ハンマースホイを知りました。
今まで私は、コペンハーゲン生まれのヴィルヘルム・ハンマースホイ
(1864-1916)の名前さえ知りませんでした…

フェルメールに影響を受けたというだけあって、
構図がそっくりな作品もありました。

でも、鮮やかな彩色のフェルメールと違い、
ハンマースホイの絵画は、モノトーン、セピアといった寒々しい色調で、
人物が中心に描かれていなかったりして、不可思議な印象を受けました。

また、ありふれた室内にも関わらず、
夢の中の光景のように非現実的で、生活感というものが感じられません。

特徴の一つが、描かれている若い女性(彼の妻)が後ろ向きということです。
顔が描かれている作品でも、表情が判らないように、ぼかされていて、
とてもミステリアスです。

21歳の時、初めて展覧会に出品した作品が、
妹を描いた『若い女性の肖像』なのですが、
見ている人と視線が合わないと言う理由で、落選したのだそうです…
先例が無いことをすれば、理解されないし、
批判の対象になってしまうということなのでしょうか。

どの作品も、謎めいていて、想像力をかき立たせるものばかりでした。
ということで、壁紙を「大工の聖ヨセフ」から「休息」に変えました。

PCを開くたびに、ドキッ…

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「COOL JAPAN」…地下(Underground)

今回のテーマは、「地下」。

地下街の巨大ショッピングモール、地下利用の最新駐輪場、
一般家庭の地下室、巨大地下施設見学ツアー、
それに、タイムカプセル…

日本の地下が進化(?)しているのは、どなたかが言っていたように、
やはり、国土が狭いからなのでしょうね。
でも、「地下は安全」というのは、どうなのでしょう?

戦時中の防空壕や、核シェルターといった施設は地下だとしても、
何か事が起こった場合(テロとか)や、洪水などの場合とかでも、
逃げ場を失って、大勢の犠牲者が出る可能性が大きい様な気がします。

ところで、タイムカプセルですが、
「大阪万博」が、日本で最初と言われていますが、
「国として」という意味なのでしょうね?
それ以前から、やってましたが…

それにしても、5000年後の、6970年に開ける予定だなんて…
その頃の地球がどうなっているか、全く想像できません。

今回の「BEST OF COOL」は、タイムカプセル、
スタジオの外国人の皆さん、納得のご様子でした。

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アボンリーのCD

アイリッシュ音楽を聴くと、「アボンリーへの道」を思い出します。
サントラ版があると知れば、買わずにはいられません。
当然買いましたよ。もう、5~6年も前ですが…

その名も、
Road to Avonlea...The Original Series Soundtrack』!
…迂闊でした…
アボンリーの作曲家は一人では無かったことを、忘れていたのでした。

購入したアルバムは、ドン・ギリスの曲だけで、
オープニング曲や、ガスのテーマ、
一番好きな「町はお祭りムード」のテーマなど、
お目当てが無かったからガッカリ…

ガスのヴァイオリン(オリジナルは英語なので「フィドル」と言ってます。)
イジーが弾いている「Lonely Hearts」が聴きたかったのに・・・

ところが、つい最近、私に思いがけない贈り物が届いたのです。
お陰で、いつでも好きな時に聴けて、その度に癒されています。

ところで、アボンリーのサントラ版のジャケット写真ですが、
ジェネットが写っていませんね。

この写真は、第27話「オリビアの結婚」の記念写真のシーンで、
(日本ではカットされてました。)勿論、ジャネットも写っていて、
少し退けば入ったというのに、サリバンって大胆ですね。

でも、もっと凄いのは、左右が逆転していることなのです…
(拡大して、フェリックスのジャケットの合わせに注目!)
それに、主役のセーラやヘティが目立っていないし、
結婚式の記念写真なのに、新郎新婦が、あの位置というのも…

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        こうなるはずでした…実際は…

ちなみに、アボンリーの音楽家は、
ハーグッド・ハーディ(Hagood Hardy)
ジョン・ウェルズマン(John Welsman)
ドン・ギリス(Don Gillis)
マイケル・コンウェイ・ベーカー(Michael Conway Baker)
ミカエル・ダンナ(Mychael Danna)
クリストファー・デドリック(Christopher Dedrick)…です。

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「灯台の悪人」 レイチェル

少しばかり成績がいいからって、かばい立てしない方がいいわ。
ちょいと利口っていうのが、悪いことするものよ
。」

無くなったジャネットの指輪は、ガスが持っていました。
レイチェルは、ガスが犯人と決め付けましたが、
セーラは、「ガスはそんなことする人じゃない!」…当然ですよ!

ガスの父、エイブ(エイブラハム)・パイクが、脱獄してアボンリーに…
エイブは、ガスを悪の手先にしようと、
盗んだ指輪を、「お前の母親の結婚指輪だ」と渡したのですが、
内側には、“J.K.”のイニシャルが彫られていました。

ジャネット以外の人が置いたとは思えませんが、
なぜ、あんな所に、ジャネットの結婚指輪があったのでしょう…?
それに、外にあったあの蠅帳みたいな戸棚はなに…?
パイを冷ます為の物でしょうか…?

ラストシーン、セーラの
「ジャネット叔母さんが、『パイを焼いたから食べに来て』って言ってた。」
に、ようやく笑みを浮かべたガス…疑いが晴れて良かったですね。

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ところで、
ガスは、第2シリーズ、第14話「フェリシティの初恋」が初登場でした。
その時アレックは、「島の人間では無いな」と言っていましたが、
第15話「のろわれたバイオリン」では、ヘティが、
「あなたのお父さんは・・・」と話していました・・・?
灯台も、第1シリーズのものとは別でした。

<第2シリーズ>第21話「灯台の悪人」(The Sea Ghost)より

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「走れ!ポストマン」…ウェーク島・完結編

4週に渡って放送してきた、ポストマン・中尾明慶さんのウェーク島シリーズも、
ようやく昨夜が、ファイナルでした。

滋賀県米原市にお住まいの、柏 隆之さんの依頼では、
柏さんの亡き父、傳三郎さんの遺志を届けて欲しいというものでした。
それは、アメリカ人捕虜、E.W.Jhonさんが描いた富士山の絵…

手がかりが、絵に記された「E.W.Jhon」だけなので、
さすがに無理なのでは、と思いましたが、
データが残されていたのですから、アメリカってやっぱり凄い国ですね。

また、ウェーク(ウェーキ)島のアメリカ人捕虜の生存者の一人、
ジョー・ゴルコチーヤさん宅を訪問した当日と翌日に、近くのホテルで、
捕虜生存者の懇親会が開かれていたというのも、驚くべき偶然ですが…

苦心の結果、E.W.Jhonさんの本名は、Edwin Waldeman Johnson
(エドウィン・ウォルドマン・ジョンソン)で、
1943年、日本の捕虜収容所で病死していた事が判明…
独身だった彼の親族といえば、
コパロポリスで暮らす、甥のウォーレン・フリードランさんだけでした。

届けられた一枚の絵に、フリードランさん(75歳)は、
「まるで伯父さんが帰っていたみたい。」と、大変感動されていましたが、
お宅には、同じタッチの山の絵画もありました。

それにしても、忘れていた記憶が一瞬で蘇るのですから、
写真は残すべきですね。

懇親会で出会った生存者の一人の言葉、
「戦争は国と国が始めた事、日本人に悪い感情は持って無い。」
もしかしたら、ポストマンの出現が、そう言わせたのかもしれませんね。

懇親会に出席していた人達だけで無く、
中尾明慶さんが接した、全てのアメリカ人の心に、
暖かで清々しい風が吹いたことでしょう。

国と国が始めた戦争の綻びを、番組とは言え、
日本の勇気ある一人の若者が、繕ってきてくれたのですね。

もし本当に天国という所があるのなら、
柏 傳三郎さんと、エドウィン・ウォルドマン・ジョンソンさんは、
きっと今頃、天国で、富士山の話でもされていることでしょうね。

ところで、ゲストの猪瀬直樹さんが、
「日本軍が捕虜を虐待していたと言われているが、
実際は、日露戦争の時から、ちゃんと扱っていた…」と言っていました。
いかにも彼らしい発言ですが、
「…場合もあった。」と付け加えるべきだったと思いました。

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『お菓子放浪記』

西村 滋さんの自伝的小説『お菓子放浪記』は、
読書感想文の課題図書になり、ドラマ化もされたので、
ご存知の方も多いかと思います。

『お菓子放浪記』のプロローグでは、
家族から呆れられる程、お菓子に憧憬を抱いているお父さんが、
子供達に、その訳を語ろうとしています。

孤児院を脱走したシゲル少年が、
空腹のあまり菓子を盗んだ事で、報徳学院(少年院)に入れられながらも、
遠山刑事や富永先生などとの出会いによって、
逞しく成長していく様が、一人称で描かれています。

時代背景もあって、少年院では甘い物は非常に貴重で、
元日と創立記念日に貰えるだけでした。
それなのに、盗られてしまっただなんて…
天涯孤独ゆえ、面会に来て、お菓子を差し入れてくれる人もいない彼にとって、
富永先生が、オルガンで演奏し歌ってくれる『お菓子と娘』は、心の拠り所でした。

♪~ お菓子の好きなパリ娘
        ふたりそろえばいそいそと
    角の菓子屋へボンジュール
        よるまも遅し エクレール
    腰も掛けずにムシャムシャと
        食べて口ふくパリ娘……

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『お菓子放浪記』西村滋=作 八木康夫=絵(理論社の大長編シリーズ)
(右)カバーを外した表紙

ドラマの方は、見て無いので調べてみたところ、
TBSの「木下恵介・人間の歌シリーズ」(1976)で放送されていました。

シゲル役は板東正之助、富永先生役は島田陽子、
生徒達に恐れられている、ホワイトサタンこと日比野教官役は谷隼人、
他に、新玉三千代、高橋洋子、石橋正次、大谷直子、都家かつ江、
などが出演されていたようです。(敬称略)

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カール人形

最近の女の子(小学校低学年以下)も、お人形遊びをするのでしょうか?
一時期、シルバニア・ファミリーが流行っていましたが、
やっぱり、主流は「リカちゃん」なんでしょうか?

まだ「リカちゃん」がなかった頃のお人形といえば、「カール人形」でした。
「カール人形」は、その名の通り、
カールしたブルネットの髪を、ポニーテールにしていまいしたが、
付属の小さなヘアーブラシで、髪型のアレンジも出来ました。

でも植毛の関係上、分け目が付けられないのが、とても不満で…
また、寝かすと長い睫毛の目蓋を閉じるのも特徴でした。

「カール人形」の思い出と言えば、何と言っても、洋服作りです。
おもちゃ屋さんには、ドレスも小物も売られていましたが、
作る事が、とにかく楽しかったのです。

家には、洋服や和服の端切れが沢山ありましたし、
当時は何処の町にも、「端切れ屋」がありましたから…

とにかく、色んな洋服を、せっせと作りました。
時には、自分の服の余り切れを使って、お揃いを…
ただ、リカちゃんと違って幼児体型なので、デザインには限りがありましたね。

さすがに着物は作れなかったのですが(作ろうとも思わなかったけれど)、
知らない間に、母が作ってくれたり…母自身が作りたかったのでしょう。

「カール人形」も、箱一杯あった手作りの洋服類も、
多分、中学生になった頃に、処分したのだと思います。
惜しいことしました。

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縁日での恐怖

外国でも、そうかも知れませんが、日本には一年中、何かしらお祭りがあります。
縁日やお祭りと聞けば、今も昔も、老いも若きも(古今東西、老若男女)、
心躍るものでしょう。

迷子にならないようにと、親に手をしっかり手を捕まれながら、
雑踏の中を歩いた幼いあの日、
ヨーヨー釣りや金魚すくいなどは、上手に出来た例しが無く、
お店のおじさんから、一つだけ渡されたものでした。

綿菓子やハッカのパイプ、油断すると、空高く逃げてしまう大きな風船、
セルロイドのお面は男の子用ばかりで、女の子用と言えば、
姫様ぐらいしかないことに、幼心に差別を感じたり…

お祭りで買って貰った物の中でも、鮮明に覚えているのは、
綺麗な薄紅色の紙で作られ、舞妓さんやお花の絵が描かれている日傘です。
大きさは色々あったけれど、毎年、決まって程々の物を買って貰っていました。

でも、お祭りや縁日は楽しいだけではありません。
必ず、異常な程、恐ろしい思いをするのでした。

白い着物を着て、後ろにヒラヒラの付いた兵隊帽(?)を、目深に被り、
大きなマスクで顔を隠した2~3人の元兵隊が、
松葉杖で支えられながら、物乞いしている姿は、とても不気味で恐ろしいものでした。
(友達に聞くところに因れば、傷口を見せていたとか…)

絶対見たくないと、親の衣服に隠れながら歩いても、
アコーディオンやハーモニカで奏でる「天然の美(美しき天然)」や軍歌の、
もの悲しいメロディーだけは、否応無しに耳に入ってしまう…
一刻も早く通り過ぎたいけれど、人混みで思うように歩けないのです。

子供の取っては、異常に恐怖の対象だった傷痍軍人ですが、
戦争体験者の大人に取っても、好意的には思われていなかった様で、
母などは「あの人達は恩給を貰っているのに…」とか、
「○○ちゃんのお父さんは…」と、戦争で片足を失いながらも、
普通に働いていた近所の人の事を言うのでした。

その後、この歳までに数々の恐怖体験をしましたが、
あれ程の恐怖感は無かった様な気がします。

傷痍軍人という言葉も知らなかった幼いの頃の恐怖体験、
でもなぜ、あれ程まで怖く感じたのでしょうか…?

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COOL JAPAN…観光(Importation)

昨夜のcool japanのテーマは「観光」(外国人旅行者を対象とした)。
日本への旅行者の数は、世界で30番目なんだそうです。

なぜ、日本が少ないかと言うと、
外国人お断りの旅館や商店が多く(3割とか)、カードが使えない場合も然り。
また、観光地などでも、英語表記がなされていない所も多いそうです。
これは、島国根性と鎖国政策の後遺症…?
それ以外では、欧米から遠くて、物価が高い事も上げられていました。

ところで、昨夜の放送では、何故か触れられていなかったですが、
NHKで以前放送された番組に因れば、海外からの観光客が少ないのには、
「食事」にも、大いに原因があるとのことでした。

日本人の中には、和食が世界で最高と思っている人が多いかも知れませんが、
外国人から見ればそうでもないそうです。

「高い、少ない、嗜好に合わない」は別としても、
欧米人は「肉が大好き」という先入観を持っている日本人には意外な事に、
欧米人には、ベジタリアンが多いそうなのです。

他にも、台湾人では1割がベジタリアンで、インド人(ヒンドゥー教)の3割以上が。
イスラム教やユダヤ教では豚肉がタブーと、食べ物にも宗教毎の
厳しい戒律があることを、日本人は理解出来ていません。

「和食はヘルシーでしょ?」と言っても、
和食を代表する「懐石料理」では、お清ましは当然のこと、
野菜の炊き合わせにしても、鰹だし(鮪だし)が使われているのです。
「精進料理」を食べるために、宿坊に泊まるしか手はないようです。

日本では、「ベジタリアン」=「菜食主義者」と誤解され、
「偏食」又は「変人」として扱われることも多いです。
“野菜だって命なのだから、野菜を食べて肉や魚を食べないのは矛盾している。”
と考える人も多いのでしょうが、世界では通用しない論理かも。

横道に逸れて失礼しました。
番組では、東京から近く、ケーブルカーで登れることから、
最近、外国人に人気が高い「高尾山」や、「日本文化体験ツアー」をリポート。
体験ツアーには、歌舞伎、日本舞踊、書道、殺陣、寿司職人、和太鼓、忍者や
提灯作りなどもありました。
外国人観光客だけでなく、日本人でも面白そうでした。

忘れた頃にやって来る「街のラフカディオ」コーナーでは、
ニセコでラフディングの会社を経営している、ロス・フィンドレーさんを紹介、
そして今回のベスト・オブ・クールは、「日本文化体験ツアー」でした。

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『マディソン郡の橋』

10年位前に大ヒットした『マディソン郡の橋』は、同名小説を映画化したもので、
あまりの評判に、私も昔、レンタルビデオを借りて見ました。

クリント・イーストウッドが監督なので、
彼の意向に沿ったキャスティングだったのでしょうが、
たとえメリル・ストリープとクリント・イーストウッドが名優だとしても、
ミス・キャストに思えました。

物語は、ヒロイン(名前は忘れました)の葬儀のシーンから始まり、
母の遺品を整理していた子供達が、昔の手紙や日記を見付ける…
だったような…?

アイオワ州の田舎町で、平凡に暮らす中年主婦(メリル・ストリープ)、
夫と子供達が出かけてしまって、数日間、一人で留守番することに…

一人きりで、開放感を味わっている時(解りますよ!)、
突然現れた中年(?)のカメラマン(クリント・イーストウッド)、
道を尋ねに来たその男性はプロカメラマンで、
屋根付きの橋の「ローズマン橋」を撮りに来たと言う…

牧歌的でレトロな雰囲気は良かったのだけれど、
既婚者の恋愛に否定的な私にとって、2人の恋(?)に愛が感じられなく、
しかも、2人が若くないだけに、尚のこと嫌悪感を覚えてしまって、
途中からは、見るのが苦痛になりました。

好みは人それぞれではあるけれど、ヒットした理由が解りませんでした。
この物語は、平凡な毎日を送る主婦達に潜在する、
見果てぬ夢なのでしょうか?

ちなみに、同世代の友人も、
“詰まらなかった。途中で寝てしまった。”だったとか…

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「自立へのストローク」

「情報発 ドキュメンタリ宣言」…
偶然見た前回は、長門裕之さん南田洋子さん夫妻のドキュメントで、
夫婦のあり方について考えさせられました。

今回のタイトルは、「自立へのストローク」、
重い障害を持って生まれた浜松市の青年と、彼を赤ちゃんの時から育て、
立派に自立させた、里親のおばあちゃんのお話でした。

北京パラリンピック、50m平泳ぎのゴールドメダリストである鈴木孝幸さんの両親は、
障害ゆえ、あまりのショックで育児放棄をしてしまったそうですが、
どんな障害があろうとも、親として、決して許される事ではありません。
とは言っても、それはあくまで他人事だから言えること、
もし自分だったら・・・と考えた時、絶対しないと言い切れる自信はないのです。

鈴木孝幸さんを、21年間、両親に代わって育てたのは、
里親のおばあちゃんこと、小松洋さんという、
大らかで、常に笑みを絶やさない観音様のような女性でした。

我が家に赤ちゃんがやって来ると知った時、親なら誰でも夢を抱くものです。
“男の子がいい、女の子の方が・・・頭が良ければとか、可愛らしい顔とか…
でも結局、最終的な望みは「五体満足」であればいい。”となる訳です。

以前、乙武洋匡さんの『五体不満足』を読んだ時にも感じた事ですが、
元々強い精神力の持ち主なのか、育てた人物が立派だったのか、
それとも障害が強くさせたのかは分かりませんが(多分全部でしょう)、
ご本人は勿論のこと、乙武さんを育てたご両親にしても、
小松さんにしても、どうして、これ程までに強いのでしょう。

現在、早稲田大学、教育学部在学中の鈴木さんは、
“折角こういう身体に生まれたのだから、色んな事が出来るところを見せたい”
と語っていました。
五体満足なのに、この歳になっても何も出来ない自分が恥ずかしいです。

人間を評価する基準というのは、人それぞれでしょうが、
家柄や経済力でも無いし、容姿でも無いです。
要するに、どんな人生を送っているかなのではないでしょうか?
生きていくのに重要なのは、精神力で、
「五体満足」であっても無くても、結局は関係無いのかも知れません。

それにしても、パラリンピックの放送が申し訳程度なのは何故でしょう?
オリンピック以上に、勇気と感動を与えられるのに…
〔経済効果が少ないからなの…?)

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「走れ!ポストマン」…フィリピン・レイテ島

録画しておいた昨夜の「地球感動配達人 走れ!ポストマン」を、見ました。
今回の依頼人は、長野県で農業を営む高見沢宣男さん。

高見沢さんの所は、毎年大勢の農業研修院を受け入れているそうですが、
6年前、フィリピンから来ていた研修生のロナン・パランニャさんに、
農機具(電動噴霧器)を届けて欲しいとのことでした。

2年前、“農業がうまくいかず家族を養えないから出稼ぎしたい。”という
手紙が届いたのだけれど、高見沢さんは、“フィリピンで頑張るように”と、
心を鬼にして、断りの返事をしたそうなのです。

その後、ロナンさんからの便りが途絶えてしまった事を、
とても気に掛かっているとのことでした。

セブ島からレイテ島を目指した今回のポストマンは、川村陽介さん。
それにしても、フィリピンには、7000以上の島があるとは知りませんでした。

レイテ島と言えば、太平洋戦争での激戦地です。
何も関係ないのに、日米の戦争に利用された島…
食料を強奪し、田畑や家を焼き尽くし、現地人を暴行し虐殺した日本軍、
今でも、日本人に憎しみを抱いている人は少なくないでしょう。

ロナンさんが、高見沢さんの親心を誤解しているのでは…?
農業を諦め、出稼ぎに行ってしまったのでは…?と心配しましたが、
ロナンさんは、高見沢さんに学んだ農業を生かして頑張っていました。
連絡が途絶えたのは、フィリピンの郵便事情によるものだったのです。

見せてくれたロナンさんの宝物は、
丹誠込めた自分の畑と、日本での思い出が詰まったアルバムでした。
高見沢さんの所での生活が、素晴らしいものであったなら、
どんなに大変であろうとも、決して農業を諦めたりしないような気がしました。

ロナンさんが、周りの人に日本での体験を語ることで、
日本人に対するイメージアップに繋がるならば、日本人の一人として嬉しいです。

ところで、小出しにしている中尾明慶さんのウェーク島のシリーズも、
いよいよ次回はファイナルです。
富士山を描いたアメリカ人捕虜、E・W・JOHNさんに、辿り着けますように!

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「病める娘」

「病める娘」は、サナトリウムから戻ったセシリーのことなのでしょうが、
私には、フェリシティの事のようにも思えてなりませんでした。

ガスからの手紙をセシリーに読んで聞かせている時は、
あんなにも幸せそうだったのに…

Felicity  「ガスから手紙が来たのよ。
            『ジャマイカの海は、本当に真っ青です
            昼間は、毎日がカナダの夏のようで、夕方、太陽が沈んで行くさまは
            言葉では、とても表せません
            でも、昼間が夏のカナダより短いので、夜が長く感じられます
            特に君のことを・・・』
     この先はいいわね。
           医科大を辞めること、ガスに何て言ったらいいか…」
Cecily   「ガスなら、分かってくれるわよ。」

また、オリビアとは、こんな会話も…

Felicity  「…ガスはあたしのこと、よく解ってるの。
            一緒に居ると、自分に素直になれるのよ。」
Olivia    「ステキね。あなた達、心が通じ合ってるってことでしょ。
            この広い世界で、そんな人には、そうそう、巡り逢えないないわ。」
Felicity  「オリビア叔母さん…
            何だかみんなが、あたしに期待し過ぎてるような気がして…
      でも、ガスは、あたしに何にも望まない。
            だから、二人で暮らせば、幸せになれると思うのよ。」
Olivia    「きっと幸せになれるわ。ガスに逢えて良かったわね。
            ガスも、あなたがいて幸せよ。」

それなのに、あんな悲しい報せが届くだなんて、
「嘘でしょ!?」と、心の中で叫んでしまいました。

ラストシーンは、灯台の横で一人佇み指輪を見詰めるフェリシティ、
そして、両手で顔を覆って泣いている…可哀想過ぎますよ~

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<第6シリーズ>
第78話「病める娘」(The Homecoming)より

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万葉集

「日めくり万葉集」の時に、知っている歌は無いと書きましたが、
授業で習っていたので、私でも知っている歌がありました。
…忘れていただけでした。

あおによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
(原文:青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有)
小野老という歌人は知らなくても、これは有名な一首ですよね。 (3-328)      

銀も 金も玉も なにせむに 優れる宝 子に及かめやも
(原文:銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母)
山上憶良のこの歌も、どなたでも知っていると思いますね。(5-803)

春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山
(原文:春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香具山)
持統天皇のこの歌は、「小倉百人一首」の二番目の歌としても、
有名ですね。(1-28)
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山

他にも、きっと、知っている歌があると思いますが…

ところで、今月の「知るを楽しむ」の「歴史に好奇心」は万葉集。
タイトルは「万葉びとに恋愛を学ぶ」で、講師は上野誠さんです。

6日の「元気でしたたかな女たち」は、とても面白かったです。
どんな歌だと嫌われるか…またその逆も…
現在にも通ずる、永遠の法則にも思えましたね。

それにしても、
『万葉集』に、4,500首もの歌が集められているというのも凄いですが、
天平のモテ男、大伴家持を虜にしたという、
15歳年上の紀女郎(きのいらつめ)という人は凄い!
自分のラブレターが、1300年後(?)の人にも見られているのですから…

「歴史に好奇心」
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200811/thurseday.html

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『明日は咲こう花咲こう』

BSで、『明日は咲こう花咲こう』(1965)の放送があったようですね。

私は以前に見たので、録画もしなかったのすが、
吉永小百合さん扮する主人公の保健婦が、
恋人(中尾彬さん)の挑発に乗り、志願して僻地に赴任しはのは良いけれど、
そこは古い因習に囚われた人ばかりの村…
村の近代化のため、保健婦として奮闘するお話でした。

生一本で頑張り屋、小百合さんにピッタリな役でしたが、
あまりにも頑張るから、見ていて、感動する前に、いささか疲れてしまって…
(『あゝひめゆりの塔』の時も、そう感じました。)
また、村人達が方言だったので、台詞が解りにくかったし…

『明日は咲こう花咲こう』は三田明さんのヒット曲と思っていましたが、
小百合さんとのデュエットだったのですね。
(三田明さんも、本人役で出演されていましたね。)

他には、山内賢さん、西尾三枝子さん、名子役と言われた頭師佳孝さん、
それに、伊藤雄之助さん、金子信雄さん、花澤徳衛さん、武智豊子さんといった
懐かしい顔ぶれが揃っていましたね。
そうそう、山本陽子さんも出ていました。

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『地下鉄(メトロ)に乗って』(小説)

映画『地下鉄(メトロ)に乗って』の原作を図書館で借りるつもりでいたところ、
家にありました。
原作の『地下鉄(メトロ)に乗って』浅田次郎(講談社)を読んだことで、
多少の疑問は解けました。

でも、映画でも感じたことですが、原作でも、共感できる人物がいなかった…
ただ、真次の妻・節子と弟の圭三が、普通の人だったので、ホッとしましたが。

昔、海外ドラマで『タイムトンネル』というのがあって、
巨大なトンネルに入って行く事で、過去や未来にタイム・スリップしていましたが、
この映画も、同じように、走る地下鉄の列車によってタイムスリップしていたと
思っていました。
違いました…ある時は、地下鉄構内を歩いていて、
またある時は、眠っている夢の中で、タイムスリップしていたのす。

みち子はアムールで父母と会う以前に、真次が兄と気付いていたのですね。
だからこそ、敢えて、自分の存在を消してしまったのでしょう。

みち子が生まれなかったことで、職場の人達は、みち子を知らないし、
真次も、徐々にみち子の記憶が消えてしまったのは解るのだけど、
真次の中で、みち子の存在が消えたのに、
二人で知った、過去での情報は消えないのはなぜでしょう…?
みち子が存在しなかったはずなのに、指輪が残っているのも不思議です。

タイムスリップといえば、歴史を変えてはいけないのが前提と思っていましたが、
この作品は違いました。
どちらかといえば、パラレルワールドに思えましたが…

ところで、映画では、真次役が堤真一さん、みち子が岡本綾さんでした。
みち子は昭和39年生まれで、真次は14歳年上のはず…
映画、原作とも、「現在」が何年なのか謳っていなかったと思いますが、
小説では、みち子が「30歳になった。」と言っていたので、
1994年(H6)ということになります。

映画の時代設定が、封切られた2006年頃だとしたら、
(お二人の年齢は知りませんが)役者さんが若過ぎた様に感じました。
吉行和子さんにしても…
小説は兎も角、映画の場合は、現在が何年なのかを、
はっきりさせた方が良かった様に思いました。
私が見逃したのかも知れませんが…

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「源氏物語 黄金絵巻の謎」

3日放送のNHKスペシャル「源氏物語 黄金絵巻の謎」(録画)を見ましたが、
とても面白かったです。(ナビゲーターは黒木瞳さん)

「源氏絵」と言えば、一つの約束事があって、雅で華やかなものなのですが、
近年、世界各地で見つかった「黄金絵巻」には、
異様で不吉な場面や、不名誉な姿の源氏が多く描かれていたのです。
一体誰が描いたのでしょう…

「源氏絵」は平安時代から江戸時代にかけ、
天皇や公家といった時の権力者が、権力を誇示するために、
お抱え絵師に描かせたものと思っていたのですが、
実は、現存する源氏絵の9割は、16世紀から17世紀に
描かれていたものだとか…

天皇や公家だけで無く、武士階級までもが「源氏絵」を権力の道具として、
利用していたと言うから驚きです。
武士が描かせた源氏絵には、肝心の源氏の姿は御簾に隠され、
流鏑馬をする凛々しい武士の姿が描かれていたりするのです。

ところで「黄金絵巻」ですが、一巻が約15メートルもあり、
(もし全巻揃っていたのなら、200巻にもなる「黄金の源氏絵巻」)
画商の手に因って1メートル程に切断され、
オークションで売られていただなんて…日本人なら有り得ないことでしょう。
また日本人の研究者は、口元にハンカチを当てていたのに対し、
外国人の研究者は、白手袋もしないで扱っていました。

絵には作者(描かせた人)の深層心理や欲望が表れるといいます。
誰がこの「黄金の源氏絵巻」を描かせたのでしょうか?

稲本万里子さんの説として、描いたのは「京狩野」の一派の絵師、
描かせたのは、後水尾院(1596~1680)を中心とする宮中勢力ではないか、
ということでした。

美貌と才能を兼ね備えた、光り輝く貴公子「光源氏」…
美男子のはずの光源氏なのに、引目鉤鼻のせいで疑わしく思えていましたが、
「黄金絵巻」に描かれていた源氏は、更に酷かったです。
時代と共に、美の基準は変わるにしても、
平安時代の美男子って、どんなだったのでしょう?

たまたまでしょうが、出演されていた各国の研究者達の殆どが
女性だったというのも、女性が好む物語ということでしょうか?
そう言えば、現代語訳も、瀬戸内寂聴さんや与謝野晶子、園地文子、
田辺聖子さんなど、女流文学者が多い様な気がします。
谷崎潤一郎訳もありますが…

私にとって「源氏物語」は、何度挑戦しても、どうしても好きになれなくて、
結局、挫折してしまう作品なのです。

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南田洋子さん

昨夜、ドキュメンタリー番組で、南田洋子さんの事を放送していました。
タイトルは「女優・南田洋子がテレビから忽然と姿を消した理由」というもの、
ドラマを見ないので知りませんでしたが、そうだったのですか…

南田さんは、数年前からアルツハイマーに罹り、
夫である長門裕之さんが、介護されているとのことですが、
始めは、“何も、わざわざ認知症になった妻を公にしなくても…”
と思いました。
でも、長門さんが、
“仕舞って置こうとすれば、人は覗こうとするし、無責任な憶測が広がるだけ。
同じ苦しみを味わっている人達の為にも公にしようと決心した。”
このような事が語られ、私はあっさり納得しました。

壮絶な介護とは言っても、経済力のあるご夫婦のこと、
実際は介護スタッフや、家事全般をしてくれる通いの家政婦さんもいるから、
一般人とは大違いです。

普通は、デイサービスがあるにしても、一切の負担は家族に掛かるから、
比べられないくらいの苦労があるでしょう。
それでも、たとえスタッフがいたとしても、一番の辛さは、精神的なもので、
「先には死ねない」の言葉に込められていました。

南田さんは、今年になってから転倒骨折され、
その後遺症で歩行困難なため、支えが必要ですが、
(映像で拝見する限りでは)想像していた以上にお元気そうでした。

思いを上手く表現出来ず、もどかしげな時は、さすがに厳しい表情でしたが、
出掛ける夫を気遣って、玄関で見送るにこやかな表情は、
とても認知症の人には見えませんでした。

嫌いな野菜を夫に勧められ、“嫌いなのに”と言いながらも、
トマトの一切れを口に運ぶ姿は、まるで少女のように愛らしかったです。

人は「早く、専門家に見せるべきだ。」と言うでしょう。
でも、子供と違い、大人を医師(神経科など)に診せるのは、とても困難、
“それでも連れて行くのが家族の役目”、確かにそうではあるけれど…
それでも当事者でないと解らない事もあるのです。

「徹子の部屋」で、南田さんは、
“あの人、小指ちゃん大好きでしょ。でも私は、逃げ口を塞ぐのは嫌いなの。”
と語っていましたが、これ、妻というより母ですよ。
“苦労を掛けたから、今が贖罪の時”と仰る長門さん…
妻に苦しみを与えていても、自覚も反省もない人もいますからね。

若い頃は、アルツハイマーなどは、他人事に考えていましたが、
今は、「今日の洋子は、明日はいない。」という言葉が身に染みました。
物忘れの激しい最近の自分、心配です。
明日は我が身です…

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「走れ!ポストマン」…キルギス

録画しておいた昨夜の「感動!ポストマン」を見ました。
水戸市在住の新沢奈津子さんの依頼を受け、中央アジアのキルギスまで、
リコーダーを届けた今回のポストマンは、女優の黒川智花さん。

新沢さんは、4年前に青年海外協力隊員として、
キリギスの中学校で、日本語と音楽を教えていて、
生徒の中でも、特に親しかった1人の少女アイダンさんとは、
帰国後も文通していたのに、昨年の12月から彼女の消息が途絶えてしまって、
心配を募らせていたのです。

キルギスの人達が、日本人とそっくりで驚きましたが、キルギスには、
「大昔、キルギス人と日本人は兄弟だったが、肉好きがキルギス人になり、
魚好きが日本人になった。」という言い伝えがあるそうです。
風貌ばかりか、口数は少ないけれど親切な所も似ている様に感じました。

学校の住所が分かっていたため、比較的スムーズにアイダイさんに会えました。
ただ、交通事情が日本と違い、バス停の始発場所には時刻表は無く、
満席にならないと出発しないし、バス停も無く、
満車だと止まってくれないから大変…
黒川さんは、始発駅を歩き出してしまったから、バスに乗れるまでに、
7時間も掛かってしまった…日本って、便利な国ですね。

黒川さんが、ロシア語やキルギス語などの他に、
キルギスの事を色々勉強して行ったのには感心しました。

アイダンさんは心臓病の持病があって、
お祖父さんが亡くなったため、学校をやめてしまった…
しかも、消息不明ということで心配していましたが、
実は、アイダンさんのお祖母さんが、忙しくて手紙を渡していなかったからで、
アイダンさんも、心臓病がかなり良くなって、
将来ボランティアをやるために、目下勉強中とのこと…ホッとしました。

「新沢さんは姉のようであり、生まれて初めてであった『真の友達』」
と語ったアイダイさんは16歳とは思えないほど大人っぽい少女でした。
(日本人が幼過ぎるだけ?)

新沢さん、アイダンさん、そして黒川さんという、
強くて優しい聡明な3人の女性を知り、感動で涙が出そうになりました。

ところで、アメリカ人捕虜の描いた絵画は届けられるのでしょうか?
気になります…

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『地下鉄(メトロ)に乗って』

最近、人に勧められ『地下鉄(メトロ)に乗って』(2006年)を見たのですが、
原作を読んでない私にとっては、疑問だらけでした。
疑問と言うより、納得出来ないと言う方が合っているのですが…

プロローグは、昭和36年の一コマが映し出され、
主人公・長谷部真次(堤 真一)の父、小沼佐吉(大沢たかお)の暴君ぶりが、
回想として描き出されました。

地下鉄のホームのベンチで電車を待つ真次の前に、突然現れた謎の老人…
老人は、高校の時の野平先生で、その日は兄の命日とということでした。

その後、真次は昭和39年にタイムスリップしている事に気付くのですが、
不思議なのは、昭和39年の赤電話から、現在の電話に通じることです。
(もしかして、パラレル・ワールドなの?)

そこは、東京オリンピック直前の10月4日、
出会った若者達が、、山手線を“やまのてせん”と言っていましたが、
当時は、まだ、“やまてせん”だったはず…

タイムスリップするお話に、リアリティーを追求するのも変ですが、
時代考証は、しっかりやって欲しかったです。
当時を知っているスタッフが、居なかったのでしょうか?

町のセットはちゃちながら、一応、それなりに作られていても、
人物が現代人にしか見えないために、感情移入が出来なかったです。
服装も、一見アイビー・ルック風ですが、微妙に違っていたし、
髪型も今風でした。

また、聞き違いかも知れませんが、
アムール(佐吉)が「何てさまだ!」と叫んだのも気になりました。
(完全に重箱の隅をつついている私…)

何回目かでは、いきなり物乞いの人がいたことで、タイムスリップに気付き、
そに直後に、タイムスリップの合図の地下鉄の走る映像…
順序が逆では?

出征する佐吉が、地下鉄に乗り込んで来た時の雰囲気や
戦場で「満州まで地下鉄で来た」という台詞にも、違和感を覚えました。

また、公衆電話から掛かってきた息子の電話に、
出生の秘密をばらす母親がいるでしょうか?
つまり、兄の自殺の原因は父ではなく、母だったということです。

お時(常磐貴子)が、みち子(岡本 綾)の母で、
真次とみち子が異母兄妹と判明した時、二人共、驚いた様子も無く、
みち子が胎児だった自分を消したのに、指輪が残っているというのも疑問…
(真次は、怪訝そうな表情を浮かべていた。)

父を否定し続けていた真次なのに、みち子と交際している真次…
理性とは裏腹に、DNAがそうさせてしまうのでしょうか?

エピローグは、何事も無かった如く、息子とキャッチボールしている真次。
全ては白昼夢だったの…?

『バック・トュ・ザ・フューチャー』は楽しく見る事が出来たのに、
この作品は、共感出来る人も無く、腑に落ちない事ばかり、
是非とも原作を読まなければ…

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南瓜の小倉煮

若い頃は好物では無かったのに、
歳と共に頻繁に登場するお総菜ってありますよね。
カボチャも、その類ではないでしょうか。

というわけで、小豆が残っていたから、南瓜の小倉煮を作ってみました。
作り方はとても簡単、かぼちゃの煮物に、下茹でした小豆を加えるだけです。

20081101

<材料>
カボチャ   1/4個
小豆(乾燥) 約100g
味醂、醤油 いつも適当(各大さじ1~2杯位…お好みで)

<作り方>
(1) 小豆は茹でておきます。(味付けしてない市販の物でも。)
(2) カボチャは種とワタを取り、好みの大きさに切ります。
   切りにくい時は、ラップし、電子レンジで1分位加熱すると切り易いです。
(3) 鍋に、カボチャの皮を下にして、なるべく重ならないように並べ、
   ヒタヒタに水を入れ、フタをして火に掛けます。
(4) 水が沸騰してきたら、小豆を加え、味醂、醤油を入れ、
   落とし蓋か紙ふたをして、弱めの中火で煮ます。
   (無い場合は、蓋を少しずらす。)
(5) カボチャに、ほぼ火が通ったら、蓋をして余熱で仕上げます。
   (冷める間に味が染みます。)

黒皮南京(クロカワナンキン)は固いので、面取りし、トラ皮に剥きますが、
エビスカボチャは、家庭では特に必要ないと思います。

「カボチャと小豆の煮物」を「いとこ煮」と思っている方もいますが、
厳密には違います。(「カボチャのいとこ煮」ならOK!)

「いとこ煮」とは、火の通りにくい食材から順々に煮る調理法で、
「順々」は「追い追い」で、「甥々」に掛け、甥と甥は「いとこ」ということで、
「いとこ煮」と言われる様になったのだそうです。

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