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2008年9月

嬉しいお知らせ!!

もう見ることは出来ないと思っていた「世界ウルルン滞在記」ですが、
BS-iにて、再放送が決まったそうです。

詳細は分かりませんが、
初回は、10月10日(金) 22:00~22:54 とのことです。
第1回目から再放送して貰えたら嬉しいけれど、期待しないことにします。

とにかく、忘れないようにメモしておかなければ…

それから、2009年1月23日(金)に、DVDが発売されるそうですね。
全6巻 各2,625円(税込)

#1 小栗旬 (氷点下40℃ 真冬のバイカル湖に…小栗旬が出会った)
#2 上地雄輔 (ジャングルの即興詩人ワオラニ族に…上地雄輔が出会った)
#3 玉木宏 (エチオピア 雲の上で暮らすコンソ族に…玉木宏が出会った)
#4 塚本高史 (エクアドルの本場のバナナに…塚本高史が出会った)
#5 藤原竜也 (ネパール・下町の6人姉妹に…藤原竜也が出会った)
#6 山本太郎 (ニューギニアの裸族に…山本太郎が出会った)

売れ行き好調なら、他の人のDVDも発売されるのでしょうかね…?

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お手玉…その後

今日、実家へ行ったので、この前作ったお手玉を、母にあげました。

数年前に左手首を骨折して、完治しきれていない母は、
好きな針仕事もままならない状態ですが、
すぐさま、お手玉を手に取り、
“四つでやっていた”と、両手で四つのお手玉を回して見せました。
私は三つでも出来ないのに…

骨折の後遺症ため、さすがに長くは続きませんでしたが、
“リハビリになるから”と言って喜んでくれました。

また母は、正方形の布を6枚つなぎ、サイコロ型のも作ったと言っていました。
サイコロ型は見たこともありませんが、是非とも作ってみたいです。
(長方形(1:3)の布2枚を組み合わせて立方体ししても可。)

会う度に老いていく両親、
仕方ないこととは知りながらも、やはり辛いです。

自分の老化現象を自覚した時より、
老いた親の姿を見る時の方が、はるかに悲しいものです。

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卒園アルバム

片付けしていて、はるか昔の、卒園アルバムを見つけみました。
現在も続いているこの幼稚園の歴史は古く、卒寿を迎える父も通っていました。

赤い表紙には、金色で押された園の徽章と、「幼き日のおもかげ」の文字、
開けば、薄紙に覆われた懐かしい写真の数々…

まず現れたのは、12月8日の成道会(じょうどうえ)の時の写真。
そこには、
 「ののさまに あげましょ きれいな おみづ(水) 」
の文字が印刷されていました。
昔の幼稚園は、仏教系が多かったようですね。

毎日、♪~ ののさまに あげましょ きれいな  お水 ~
    ののさまに あげましょ きれいな お花~
と歌っていました。
(偶然ですが、私の子供も、(別の)幼稚園で、同じ歌を歌っていました。)

集合写真の先生方は、誂えの、きちっとしたスーツやワンピース姿ですが、
PTAの役員のお母さんの中には、和服に下駄履きの人もいました。

卒園生のクラス名は、まるで宝塚みたいな「ゆきぐみ、にじぐみ、つきぐみ」、
私は、にじぐみでした。
各クラス50人前後と、昔は園児数が多かったです。

運動会の写真では、やはり、「はだし足袋」を履いていましたが、
驚いたのは、先生方も園児(女子)も、スカートだったこと・・・

まだジャージが無かったとは言え、
運動会でさえ、当時の女性のほとんどは、ズボンを履かなかったようです。
(小学校の運動会では、女性教師は、濃紺のサージ製の
膝下丈キュロットスカートでした。)

半世紀も昔のことなのに、一枚一枚の記憶がしっかり蘇ります。
写真に残されていればこそ、思い出は消えないものなのですね。

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お手玉

手なぐさみに、お手玉を作ってみました。
(昔、私達の地方では「おじゃみ」と言っていました。)

小学校の3年生の頃、クラスの誰かが学校に持ってきたのが切っ掛けとなり、
たちまち、お手玉が流行りました。

自分で作ったり、母親に作って貰ったり、
又は、オモチャ屋で買ったりしたお手玉をランドセルに入れて登校してましたね。

お手玉は、多分、私達の母親世代の人の遊びで、
私達の時代では、もうお手玉で遊ぶことは無かったですね。
にわかに流行ったから、遊び方は一つだけ…だったような…

(手の平に乗せたお手玉を放り上げて、一つだけ手の甲で受け、
手を返さず掴み取り、それを親玉にして、
親玉を放り上げながら、他のお手玉を一つずつ取っていく。
取るお手玉を、2個ずつ、3個ずつと増やしていき、次は親玉を2個にする…)
…説明が下手ですみません。

みんな、「おっさらい~」という遊び方は知らなかったし、
ジャグリングのように、片手で2個のお手玉を回したり、
両手で3個のお手玉を回したりが出来る子も、少なかったと思います。
(3個をグルグル回す方法と、交差させる方法がありました。)

不器用な私は、ジャグリング方法の遊びは、出来なくて、
どちらかと言えば、作ることに熱中してました。(中身は小豆。)

20080927

当時の女子はみんな、輪ゴムを繋げたゴム跳び(一段とび)用のゴムも、
持っていましたね。

お手玉の作り方

20080927b

↑(拡大します)

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ベジタリアン…

ぼんやり、クイズ番組を見ていた時のこと、
Q「ベジタリアンを日本語にすると?」…A「菜食主義者」、「正解!」…と、
でも、これ正解とは言えないのです。

辞書でも、「菜食主事者」と訳されてますが、
ベジタリアンのベジタは、ベジタブルではなくて、
VEGETUS(ラテン語で活気有る、生命力に満ち溢れた)
と言う語源から来ているそうです。

だから、野菜ばかり食べる人をベジタリアンと言うのではなく、
「健康で活力ある人」と言う意味なのだそうです。
意外なことに、野菜を食べないベジタリアンも存在するとか…

私も昔は知りませんでした。
好むと好まざるに関わらず、健康の為と信じ、バランス良く(?)食事してましたが、
家族の持病治療のため、食生活を見直したと言うわけなのです。
でも、結構、適当なのですが…

食事は、人それぞれです。
生肉を食べる事で、ビタミンが摂取出来ていたイヌイットの人達、
ほぼ牛乳とウガリだけなのに、素晴らしい肉体を持つマサイ族、
タロイモだけなのに筋肉隆々の民族もいます。
その人達を「バランスが悪い」と言ったら、それこそ愚の骨頂です。

ペットの様に育てた動物を、食料にしなければならない貧しい人達もいれば、
犬や鳩を食材として売られている国もあります。
でも、それを残酷とは言えないでしょう。牛も豚も鶏肉も同じですから…

ただ、牛肉1kg生産するのには、穀物が16kg必要で、
牛1頭飼うには1haの草地が必要とのことです。
地球上には、何百億頭の家畜がいる…
一方で、生きていく為の、最低の穀物さえ無い人が、何億人もいるのです。

“飢餓に苦しむ人の事なんか関係ない”、
“地球温暖化や砂漠化も、自分には関係無い。”とは思えないのです。

肉も野菜も同じ生き物だから、という常識論を信じる多くの人達、
あまりにも単純過ぎませんか?
野菜を収穫する感覚で、自ら屠殺が出来るのでしょうか?
矢ガモを可哀想と言いながら、普通に鴨南蛮を食べるのは矛盾してませんか?

私は自分の考えに、賛同して欲しいと思っているわけではありません。
ただ「ああ、こんな風に思う変わり者もいるんだ…」
と受け流してくれればいいのです。
名も無い個人のブログなのですから…

ベジタリアンの種類  ↓

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COOL JAPAN…写真(Photo)

昨夜の「cool japan」のテーマは写真でした。

よく外国の漫画などで、「チビ、出っ歯、メガネ、カメラ」と表されるように、
外国人に比べて、日本人は昔から写真が好きなのでしょうね。
日本人って、記録魔なのかな?

それにしても、笑顔でシャッターが切れるとか、
10人にピントが合わせられ、しかも各々に適した顔色に調整出来るとか、
最新のデジカメは凄いですね!
何しろ私のデジカメは7年前のもの、信じられないです。

カメラに限らず、技術が進歩すればするほど、
人間の腕は退化するようにも思えます。時代に取り残された者の感想ですが。

最後に紹介されたのは、
「貴婦人」(一本の白樺)を写し続ける写真愛好家の人達です。
とことん追求する、これも日本的なのでしょうね。
でも、スタジオの外国人には不評でした。特に女性からは…

外国人の女性にとっては、何年経っても、自分に向いていて欲しいし、
常に家族サービスしてもらうのが当然みたいです。
これも文化の違いでしょうね。

要求、サービスというより、彼女たちにとっては、それが当然なのでしょうけれど、
日本の熟年女性にとっては、必ずしも、そうでは無いような気がします。
かつてのCMで、「亭主元気で留守が良い」が受けたように。

「せめて仕事場では、家族を忘れたい。」(教授の弁)
これ日本の熟年男性の本音でしょうね。
外国人の熟年男性の本音を、聞いてみたいと思いました。

そして今回のベスト・オブ・クールは、「カメラ付き携帯電話」に決まりました。
携帯電話は、この先も、どんどん進化していくのでしょうね。

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「フェリシティの選択」

第49話「フェリシティの選択」では
フェリシティ、ガス、アーサーが、こじれた関係になってしまいました。

可笑しかったのは冒頭の、フェリシティとセーラが、
少女画報の『理想の相手の見つけ方』を読む場面です。

「四つ葉のクローバーを食べながら(?)、好きな人を心に思い浮かべると、
その心を射止めることが出来る。」

「黒い馬の前髪を撫でた後で、未婚の人と握手すれば、その人と婚約出来る。」
(これ、やっていましたよね。)

「こんな男性には要注意。“言動が好ましくない者。」

「二本の枝を打ち合わせると、好きな人の夢が見れる。」

…恋愛成就のおまじないも、色々とあるものですねぇ…

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フェリシティを失いたくない一心ながら、いつになく攻撃的なガス、
フェリシティも、売り言葉に買い言葉で、結構酷いこと言ってました。
「あなたは、ありふれた事しか言わないけど、アーサーの話は夢がある。」とか、
「あなたにあるのは、古いブーツだけよ!」とか…

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アーサーとは、友達以上にはなれないと気付きはしたものの、
ガスへの返事は、ガスにとって辛いものでした。
振られた訳ではないけれど…

Felicity 「ガス、あたし達の人生は、まだ、これからでしょ?
             …道はいくつだってあるんだし、
             出来ることなら、あたし、将来、先生の学校に行きたいの。
      …もちろん、結婚して、子供も欲しい…
             それにね、ガス、あなたにも、やりたいことがあるんでしょ?
             きっと色々…だから、焦らないで。」
Gus       「俺は待てない。」
Felicity   「もし、二年経って、気持が変わってなかったら、その時考えましょ。」
Gus   「二年も!?…何があるか、分かったもんじゃないだろう。
             でも、俺の気持ちだけは変わらない。」

ガスらしいです。

ところで、アーサー役のZacary Analey は、
レオナルド・ディカプリオ主演の『ボーイズ・ライフ』に、
トビー(ディカプリオ)の義兄役で出演していましたね。

<第4シリーズ>
第49話「フェリシティの選択」(Felicity's Perfect Beau)より

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校庭

何かと物騒な世の中、校門は閉ざされたうえ厳重に施錠され、
たとえ、そこの生徒であろうとも、事前に届け出が無ければ、
放課後に遊ぶことさえ出来ない学校もあります。

私が子供の頃の校庭は、出入りが自由に開放された地域の広場でした。
いくつかの門には、門柱しか無かったし、
コンクリート柱を繋いだ塀も、出入りし易いように、何ヶ所か壊されていました。

校庭は遊び場であり、野球場であり、自転車の練習場であり、
夏休みにはラジオ体操の場でした。
夏休みの夜には映画も上映され、蚊に刺されながら見た事もありました。

また校庭は、近道の為の通路でもあり、
すぐ近くで、体育の授業をやっていようとお構いなし、
徒歩や自転車で斜め横断する人も多かったです。

横断している人は当然のこと、
生徒達も先生方も、何の疑問も抱いていなかったような気がします。

校庭の中央には、センダンの大木があって、周りにはベンチがありました。
夏は日除けに、冬は日向ぼっこにと、近隣住人の格好の憩いの場でした。

そのシンボルだったセンダンの木は、私が在学中には取り除かれ、
校庭は広くなったけれど、みんな、残念に思ったものでした。

小学校発行の広報誌の名前も「せんだん」だったのに…

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はだし足袋

近くの学校で運動会が行われています。

昔は、運動会と言えば10月(秋)、そして日曜日でしたが、
今は(子供が小学生の頃には既にそうでした。)一学期の所もあるし、
平日に行われる学校も多いようです。

小学校の運動会で思い出されるのは、「はだし足袋」。
「はだし足袋」を検索し出る画像は、「地下足袋」ですが、
(私には違いが分かりません)
昔のは、ほとんど足袋に近く、違いは、底に滑り止めの薄いゴムが張ってあって、
コハゼでは無く、履き口にゴムが通っていました。
イメージ的には、「ホームソックス型足袋」と言ったところでしょうか…

「はだし足袋」の寿命は1日限りで、
毎年運動会には、誰もが、真っ白な「はだし足袋」を履くというわけです。

運動靴より、より早く走れると考えられていたからでしょうが、
実際のところは、どうなのでしょう?
(似ている言葉に、「足袋はだし」がありますが、
こちらは、草履や下駄を履かず、足袋のまま地面を歩くこと。)

ところで、運動会で思い出す事がもう一つ。
それは、校庭に、三張りほどの売店のテントが張られていたことです。
でもその売店は、間違いなく、お祭りのものと同じ…
そう、「テキ屋」…今では考えられないですね。

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「聖バレンタインの日に」

ホワイト・サンド・ホテルのオーナー、サイモン・トレメインは、
臨時収入獲得のため、「聖バレンタイン」の舞踏会を企画します。

いち早く知ったガスは、フェリシティを舞踏会に誘い承諾されたのですが、
休暇で帰省中のアーサー・ペティボーンも、フェリシティに申し込みます。

イジーの長兄のアーサーは獣医の卵、
ガスとはタイプの違う彼の申し込みに、まんざらでもないフェリシティです。

ホテルには、料理長ピエールの姪のスゼット・モローが滞在中…
修道院付属の女学校に在学中の世間知らずのスゼットは、
親切なガスに夢中になってしまいました。

スゼットに言い寄られ閉口したガスは、「アーサーにスゼットを紹介したら?」
と言うフェリックスの案に飛び付いてしまった結果、
ますます、ややこしい状態に…

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フェリシティを巡って、ライバル心むき出しのガスとアーサー、
ガスにお熱のスゼット…
四角関係の結末は、意外な結末を迎えます。

4809 4810 4811

(ブログ記事「お風呂の疑問」、「ガスの失言」を参考になさってください。)

<第4シリーズ>
第48話「聖バレンタインの日に」(Hearts and Flowers)より

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食欲の秋、到来

「暑さ寒さも彼岸まで」、諺は正しいですね。
もう、タオルケットでは寒くなりました。

涼しくなって到来した食欲の秋、
秋刀魚、栗、松茸、柿、梨、銀杏…色々ありますね。

秋の味覚の一つ、梨の代表といえば、今では「幸水」や「豊水」ですが、
私の子供の頃は、「二十世紀」でした。
でも私は、ザラッとしてちょっと硬めの「長十郎」の方が好きでしたね。
芯付近が酸っぱいから、多めに切り取って…

特別、歯が丈夫と言うわけでも無いけれど、
柿にしても、「富有柿」より、硬めの「次郎柿」の方が好みですし、
トウモロコシも、最近の甘く柔らかいものより、
歯応えのあった以前のトウモロコシの方が良かったのに…

お店に並べられている果物は、大きくて立派な物ばかり…
少人数の家族に取っては、
大き過ぎるというのは、必ずしも有り難くは無いのですよ。

リンゴも「紅玉」が一番好きなのに、今では見つけるのが困難になりました。
そう言えば、昔大好きだった「マクワウリ」の上品な甘さも、
幻の味になってしまいましたね。
素朴で懐かしい物が、やがては消えてしまうのかと思うと寂しいです。

ところで、「水菓子」というと、
水羊羹やゼリーなどの事と思っている人もいる様ですが、
果物では無い、西瓜、苺、メロンも、
「水菓子」と言ったら間違いなのでしょうか…?

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「はるか昔の恋」 ヘティ

「ほらね~ 心配すること無いって言ったでしょ。
このチャンスは掴まないと。
掴まないと、きっと後悔するわ。
引っ込み思案は駄目よ。
セーラも覚えておきなさい。フンッ!

オリビアの頑張りで、「アボンリー新聞」が立ち直りました。
経営者のタイラーさんも、実力を認めてくれ共同経営者にと言ってくれました。
前言とは正反対なヘティ伯母さんの言葉に、セーラとオリビアは苦笑い…

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事実って、そういうものよ。
見かけとは随分違うの。

ロムニーの秘密を知らない町の人達は、想像だけで噂話をしていました。
…どこの国でも同じですね。

<第2シリーズ>
第18話「はるか昔の恋」(Old Quarrles,Old Love)より

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「はるか昔の恋」 ヘティ

「アハハ~、新しいものに偏見を持つのは駄目!
そうよ~ この町の他の人達もね~
みんな心が狭いの。想像力が無いのよ
悪いことに、それを誇りにしてる。フンッ!

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昔の恋人、ロムニー・ペンハローに挑発されたヘティは、
「あなたに出来ることは私にも出来るの。もっと上手にね。」
と自動車の運転をして帰宅。

それを見たセーラとオリビアは
「あんなに自動車を嫌っていたのに!」と仰天…
でもこの言葉、そっくりそのまま、ロムニーからの受け売りなのですが…

<第2シリーズ>
第18話「はるか昔の恋」(Old Quarrles,Old Love)より

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NHKスペシャル「戦場 心の傷(1)(2)」

保存しておいたNHKスペシャル「戦場 心の傷」の、
「兵士はどう戦わされてきたか」と、「ママはイラクへ行った」を見ました。

どちらも、訓練の様子や、元兵士のPTSDを取り上げたもので、
またしても戦争の空しさ恐ろしさに、憤りを覚えずにはいられませんでした。

PTSDが、最初に記録として残っているのは、「第一次世界大戦」で、
身体には異常が無いのに、全身を痙攣させている映像に愕然としました。

当時はシェル・ショックと言われ、治療法は電気ショック、
臆病者のレッテルを貼られ、処刑されたりもしたとのこと。
当然ながら、それ以前にも、あったことでしょう。

「民主主義を守るため」、「悪い独裁者からイラクの人達を助けるため」、
「子供達を戦場に行かせないため」などという大義名分。

しかし兵士は、自責の念に駆られ、ドラッグやアルコールの依存症となったり、
自らの命を絶ってしまったり、我が子を愛せなくなってしまったり…

「敵は人間では無い」と訓練されても、社会に戻る訓練は受けていないのです。
どんなに厳しい訓練を受けても、ロボットにはなれないのです。

番組では、日本のケースも取り上げていましたが、
私の友人も父親のことを、母親から、
“穏やかな人だったのに帰還後、凶暴になってしまった”と聞かされたそうです。

“イラクの人達を救うため”と言いつつ、
自国の若者を、戦死やPTSDに追い込んでいるアメリカ…
ベトナム戦争時は、あれ程、反戦運動が盛り上がったのに、
それ以後は、反戦運動に至っていない気がします。

情報操作されているからなのでしょうか…

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「はるか昔の恋」 ヘティ & オリビア

オリビアが記者をしている「アボンリー新聞」が経営難から閉鎖の危機に…
「自分で新聞を出したらどう?お金なら少しはあるから…」と言うセーラに、
「問題はお金じゃ無いの。新聞社をやる知識がまるで無いの。」とオリビア。
そこで、ヘティが…

ヘティ     「一つ忠告しとくけど、
           もし不安なり、疑問なりがあったら、やらないのが一番よ…」
オリビア  「でも、気が進まないとか、不安だからって、じっとしていたら
              何も出来ないわ
       …思い切ってやらなきゃ、何も得られないわ。」
ヘティ     「…思い切ってやる程、馬鹿を見るのよ。
      分かってない!

オリビア  「違うわ。馬鹿なのは、怖がって何もやらない人の方よ。」

1801 1802 1810 1803

ヘティの言葉は、人生経験豊富な年長者だからこそ言える言葉でしょうね。
とは言っても、ヘティらしくないですよね。

気が進まないパーティーに出たばっかりに、初恋のロムニーと再会して、
意地を張った結果、町中の人の前で大恥をかいてしまったからなのです。

<第2シリーズ>
第18話「はるか昔の恋」(Old Quarrles,Old Love)より

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ウルルン2008…さよなら 大感謝スペシャル

遂に最終回!
毎週楽しみにしてきたウルルンも、今回で終わりです。
(9月2週で終わりだなんて…)

13年間で、延べ688人の旅人とは凄いですね。
過去の旅の映像が、次々と流れていく中で、
どれ一つとして、思い出せないシーンはありませんでした。

でもそれは、ほんの一部、映らなかった人の方が多い訳ですからね。
旅人の名前を見れば、映らなかった旅も思い出せるのに、
リニューアル時に、以前の記録が削除されてしまった事が残念です。

ウルルンの力は大きいですよね。
芸人さんから画家になったジミー大西さんや、
その後も韓国に残り、今では韓国で俳優をしている塩田貞治さんなど、
番組が切っ掛けで、人生が変わった人もいましたから…

最終回と言うことで、懐かしい声を聞かせて貰えました。
ゴリさんが時は、松尾スズキさんだった筈なのに、
下條アトムさんのナレーションになっていましたね。

地球は広くて、言葉や文化や肌の色が違っても、みんな同じ人間、
たった一週間でも心は通じ、別れの悲しみも流れる涙も同じです。

そこに、何の利害関係も無いからなのでしょうね。
政治の世界と違って…
また、世界の厳しい現実も思い知らされました。

多くの旅人の皆様、お世話になった旅先の皆様、そして、スタッフの皆様、
沢山の感動を与えてくださって、ありがとうございました。

出来ることなら、第一回目から、もう一度見たい気持ちで一杯です。

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紙芝居のおじさん

昔の子供にとって、「紙芝居」は日課の一部です。

何処からか自転車でやって来ては、拍子木を鳴らし、
水飴などを売りって紙芝居を読んでは、
また何処かへ去って行く…
紙芝居のおじさんは、謎めいた存在なのです。

紙芝居のおじさんのイメージは、元気が良くて子供好き…
でも、私の地域に来るおじさんは、違いました。

“おじさん”という程の歳でもなく、物静かで近寄りがたい雰囲気、
声も小さかったし…

でも、紙芝居を読むのが、俳優さんの様に上手でした。
(母が、“すごく上手”と言っていたのを覚えています。)
それに、インテリ風で、なかなかの美男子でした。

今となっては、知る術も無いけれど、
あのおじさんは、一体、何者だったのでしょうか…?

…永遠の謎です。

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遊び場

今は昔…もう、半世紀も昔のことです。

車の往来が激しい幹線道路(国道)は論外ですが、
一歩入った一般道路や路地裏は、子供達の遊び場でした。
近くに、空き地が無かったこともあるのですが…

30秒で行ける距離に、自由に遊べる小学校のグランドがあるのに、
当然の如く、道路で遊んでいました。

色んな色のチョークで、道路一面に図形を描いたり、
暴走族さながらに、子供用自転車を乗り回したり、
ドッジボール(男の子はキャッチボール)や縄跳びをしたりしても、
邪魔だと言われることもなく、危ないと叱られる事もなかったのです。

当時の大人は、大らかだったのでしょうか…?
それとも、ほったらかしだったのかな…?

少しだけ静けさが漂っていて、何故か秘密めいている路地裏、
毎日、縄跳び、石蹴り、一歩三歩、ままごとなどして遊んだものでした。

そこは、紙芝居屋のおじさんがやって来る場所でもありました。

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全国民総懺悔

先週の「その時歴史が動いた シリーズ 日本降伏」、
「(前編)玉音放送」の録画するのを、すっかり忘れていました。

しかも再放送の時も…“絶対見たい!”と思っていたのに…
(でも、もう一度、再放送があるみたいです!)

今回の「(後編)帝国最大屈辱ノ日ナリ」は、しっかり録画出来ました。

内容は、8月15日の「玉音放送」から、
9月2日の「降伏文書に調印」に至るまでの政府の動きを追ったものでした。

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COOL JAPAN…台所(Kitchen)

今回のテーマは、「台所」。
最初に訪れたのは、最新のシステムキッチンのショールーム。

驚いた事には、ステンレスの台所は、外国人には珍しいとか…
日本では、半世紀前から、極々普通に使われているのにね。

日本の一般家庭の台所にある、床下収納も外国には無いとか…
そうでしょうね。
台所の隣りの貯蔵室や、地下室があるのなら、
床下収納など必要無いですからね。

床下収納はさておき、
日本の家庭では、和食のみならず、中華や洋食まで作るため、
また、季節に応じて食器を変えたりもするので、台所用品や食器が兎に角多く、
おまけに台所が狭いから、収納を工夫せざるを得ないのですよ。

鴻上さんの口から、思わず「大変だね。」と洩れましたが、
COOLなのは、「日本の台所」では無く、「日本の主婦(主夫)」の方だと思いました。

最後に取り上げられた「和包丁」の世界。
素材に応じて使い分けられる包丁は、
当然の如く、柄まで手入れが行き届き、板前さんの誇りであり、象徴ですね。
また、堺の鍛冶職人さんの打つ作業を、見る事が出来ました。

一生使える和包丁は、切れ味が抜群というだけで無く、姿も美しいです。
日本刀と同じですね。まさに芸術品ですよね。
(素人には、手入れが難しそうですが…)

そして、今回のベスト・オブ・クールは、「和包丁」。
日本の文化は、妥協を許さない職人さん達が守っている様に感じましたね。

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「はるか昔の恋」 ヘティ & レイチェル

ヘティ    「女は結婚がすべてじゃないわ
       私は自由を失いたくなかったの

              結婚って、束縛ですものハッ!

レイチェル 「あなた、誤魔化してる
              新しい生活に、飛び込む勇気がなかっただけよ
              自由な生活はいいけど、
              年を取って一人ぼっちってのも、 寂しいんじゃない?

30年以上の間、ロムニー・ペンハローの事で仲違いしていたヘティとレイチェル。
ようやく誤解が解け、仲直りした2人の会話です。

早くに両親を亡くしたヘティは、弟妹の親代わりとなり、
未婚のまま教師を続けていますが、
近所には、気に掛けてくれる弟妹や、頼ってくれる姪や甥もいるので、
ヘティの老後は、決して、独りぼっちにはならないと思いますね。

レイチェルは、夫トマスの亡き後、マリラ・カスバートと暮らしてはいますが、
2人の息子達は遠くにいるため、簡単には会えません。

レイチェルの言葉って、世間では、よく言われますが、
老後の寂しさは、未婚とか既婚とかとは、関係無いようにも思えます。

<第2シリーズ>
第18話 「はるか昔の恋」(Old Quarrles,Old Love)より

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「スポルディングコレクション」

NHKスペシャル、
「よみがえる浮世絵の日本 封印が解かれた秘蔵コレクション」を見ました。

「ボストン美術館」の日本美術コレクションは、
質、量とも、他の追随を許さない優れたものですが、
秘蔵浮世絵版画の「スポルディング・コレクション」も、その一つ。

寄贈者のスポルディング兄弟から、
公開を一切しない条件で1921年に寄贈された6,500枚の浮世絵は、
世界で最も美しいと称される「浮世絵版画コレクショ」です。

日本では殆ど知られていない幻の絵師「歌川国政」、錦絵の「鈴木春信」、
風景画の「歌川(安藤)広重」、
それぞれの作品に秘められた絵師の、芸術家としての葛藤を知り、
たとえ、人気の絵師であっても、版元(出版社)の意向には逆らえなかった事実が
興味深かったです。

時代が明治になり、それまでの文化が軽視され、
多くのの美術品が国外に流失したのですが、
それによって、日本の美術品の価値が認められ、保存された訳です。

もし、海外に流失されて無かったなら、
浮世絵版画を見ることも、絵師の名も知らないままだったかも知れないと思うと、
不思議な気持ちになります。流失に感謝です。

美術館が、寄贈者の寄贈の条件を守ったため、色褪せること無く、
擦られた当時の美しさを保っていて(多分)、
日本で知られている物と比べ、その色彩の違いに驚かされました。

現在、ボストン美術館では、
「スポルディングコレクション」の、デジタル画像化が進められているそうです。
本物は、決して見ることが出来ないのですから、
せめて、デジタル画像を見てみたいと思いました。

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ウルルン2008…大再会スペシャル(2)

昨夜のウルルンは、
前回に引き続き、「大再会スペシャル」のパート2でした。

登場されたのは、山本耕史さん(ヤップ島、13年前、当時17歳)、
藤原竜也さん(ネパール、8年前、当時17歳)、
小栗旬さん(シベリア・バイカル湖、7年前、当時18歳)、
吹石一恵さん(パリ、8年前、当時17歳)、
金子貴俊さん(フィリピン・ルソン島、6年前当、時24歳)と、
今では第一線で活躍されている俳優さん達の、
まだ初々しかった頃の映像でしたが、
過去の映像の、どのシーンも鮮明に覚えていて、懐かしいと言うより、
つい最近、見たことの様に感じてしまいました。
歳を取る筈ですね。

特別思い出深かったのは、藤原竜也さんのネパールの旅。
ホームステイ先には美人6人姉妹がいましたが、
お父さんにとっては、藤原さんが念願の息子となったのでした。

姉妹は、今となっては希少価値となってしまった“大和撫子(?)”、
控えめで、優しく慎ましい女性達でしたね。
今は、長女と次女は結婚されていました。

新婚というのに、次女・ザンネソーリさんは暗い表情…
「結婚すると、人生が辛くなる…」と話していましたが、
親が決めた結婚が、幸せでは無いのでしょうか?
きっと、藤原さんと過ごした楽しかった日々のことが忘れられなくて、
ずっと心に秘めていたのでしょうね。

思いがけず番組スタッフが現れ、聞けば、まだ独身と…
もう叶わぬ事と諦めていた筈なのに、想いが蘇ったのかも知れませんね。

二度までも、乙女心を乱してしまったのでは無ければよいのですが?
と、罪作りな取材に、心が痛みました。

ジャングルさん、お変わりなくて何よりでした。
身体を使い粗食の人は、いつまでもお元気ですよね。

金子さんの結婚報告を、あんなに喜んでくれるなんて、
やっぱり、ジャングルさんはお父さんですね。

ジャングルさんの言葉の一つ一つが、どんな哲学者のそれより、
深く心に染みましたね。

今回の放送では、新たなナレーションが付けられていました。
下條アトムさんのお声が聞きたかったのに…

いよいよ次回は最終回です。    

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理想と現実

子供の頃から、しばらく日記を付けては、処分することの繰り返しでした。
(その言葉も知らない頃から、“メメントモリ”を意識していたから…)

そんなですから、
『ティファニーで朝食』を読んだ時には、ある一文に釘付け状態でした。

主人公のホリディ(ホリー)の名刺には、トラベリングと印刷されていて、
住み家のアパートには、壁一面の本棚があるにせよ、
スーツケースと解かれていない木箱だけが家具の代わり…
(当然ベッドはあったでしょうが…)

現実には不可能とは知りつつも、
いつでも夜逃げ出来る彼女の身軽さに、憧れました。
(ホリーの生き方には、共感出来なかったけれど…)

 ↓

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『ティファニーで朝食を』

10代の頃に、トルーマン・カポーティーの小説、
『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tifany's)』を読みました。

同名のオードリー・ヘップバーン主演の映画の、あまりの詰まらなさから、
逆に、原作を読みたくなったからだったと思います。
(オードリーは素敵でしたが…)

映画の内容(小説もですが)は、殆ど忘れてしまい、覚えている事と言えば、
タクシーで乗り付け、ティファニーの前でクロワッサンをかじるヒロイン、
主題歌の「ムーンリバー」、それに、ユニオシという日本人…などです。

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「日本のイルカ漁に抗議」

朝刊に、「日本のイルカ漁に抗議」という記事がありました。

要約すると、
 「3日、ローマに在る日本大使館前で、
 イタリアの動物愛護団体のメンバーが、
 日本沿岸で行われているイルカ漁について、
 「イルカを殺すな」と抗議集会を開いた。
 同日に、英米など50箇所で、同様の抗議集会が行われた。」
というものでした。

日本の捕鯨については、
グリーンピースや動物愛護団体などからの、抗議行動が在りますが、
その度に、無知な私は、園児並みの疑問を抱くのです。

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COOL JAPAN…日本男児(Japanese Man)

今回のテーマは「日本男児」、
「男らしさ編」「今時のモテ男編」「これぞ日本男児編」に分け
掘り下げてましたが、中々興味深いテーマでした。

まずは“男らしさとは?”のアンケートの結果は、
決断力、行動力、包容力などでした。

スタジオの反応は意外なもので、
「それらは男性だけが必要では無い。」…ご尤も!同感です。
男性としてでは無く、人として必要な事なのですよ。

次ぎに“モテ男について”
街頭アンケートでの結果に、またしても否定的な反応…
日本人女性が理想とする男性像は、外国人には、中性、又は少年であって、
男性に思えないとのこと。

外国人にとってのモテ男の条件は、
あくまで、男性的な外見でなければならないようです。
ところで、「ダンディー」の意味は、“ナヨナヨしている”ということなんですってね!
ずっと、“お洒落で洗練されている”と思っていました。

また、究極のモテ男(?)ホストクラブを取材…またまた否定的なご意見。
(外国には無いそうですね。その必要が無いのだとか。)
第一に、髪型がヘン(これも同感!)、
ホストが、どんなにサービス満点で優しくても、結局は、うわべだけの商売、
帰りの際は、請求書を渡されるのですからね。それも高額の…

最後は、法政大学応援団の合宿を取材。
厳しい応援団の中でも、法政大学は最も厳しいとのことで、
まるで、軍隊の様でした。

歴史ある応援団には、「礼儀」「節度」「闘志」の三原則があって、
決して諦めない一年生部員の姿は、「武士道」に通じる様に思えました。

辛く厳しい訓練、でも他人からはどう見えようと、
命がけで打ち込む何かがある若者は幸せですよね。

スタジオでの最後のアンケート、「日本男児は男らしいか?」に、
“ノー”を挙げた人の理由は、これまた意外なもので、
「日本の男性は仕事ばかりで、家事をしないから。」というものでした。

確かに外国人に比べればそうなのでしょうが、
それだけ、仕事量が多いとも考えられます。
休日だって、家事を手伝いたくても、疲れ切っているのでしょうね。

(番組HPが、未だに「アイドル」になっています。
せめて、前日までには更新して欲しいのに…)

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『あしながおじさん』

女の子なら、誰でも一度は読んだであろう小説の『あしながおじさん』
(原題 Daddy-LongLegs=虫の“ガガンボ”のこと)、
私も、女の子の頃に読みました。

主人公は、孤児院で育った18歳のジルーシャ(ジュディ)・アボット。
ある日、彼女の書いた作文「憂鬱な水曜日(Blue Wednesday)」が、
評議員の一人である慈善家の目に留まり、
一月に一度、学業の報告の手紙を出すことを条件に、
大学進学の為の資金援助をしてくれることになったと報されます…

一瞬だけ見えた、長い足の人影から、
「あしながおじさん」と呼ぶことにしたジュディ…
(タイトルが原題通り「ガガンボ」にしなかった翻訳者に感謝です!)

20080903

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ゴブリン・シャーク

先日放送のNHKスペシャル、
「幻のサメを探せ~秘境 東京海底谷~」を見ました。

番組では、100年ぶりに見付かった幻の深海サメ、
「ゴブリン・シャーク(悪魔のサメ)」を追跡。

東京湾の中に太古の地層が広がっています。
長さ40キロ、深さ1,000メートルの「東京海底谷(とうきょうかいていこく)」です。

そこには、多くの深海生物が生息していて、
3メートル以上にもなる「タカアシガニ」や「アンコウ」、
植物のような「トリノアシ」等々…

意外だったのは深海ザメの種類の多さ、
その数、40種以上にもなるそうです。

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ウルルン2008…大再会スペシャル(1)

長かった(?)夏休みも終わり、今日から9月ですね。
新学期が始まり、憂鬱に感じている子供さんもいるでは?
今年のように、1日が月曜日というのは、尚更辛いですよね。

私にも覚えがありますよ。
でも、親御さんにとっては、きっと、“ヤレヤレ”なのでしょうが…

それはともかく、
昨夜のウルルンは「大再会スペシャル、パート1」でした。
もう終わりも近いと言うことで、今回は、旅人6人の旅の模様を紹介。

再会出来なかった旅人には、
お世話になった懐かしい家族からのビデオレターが届いた人も…

佐藤隆太さんに“男は一度決めた信念を貫け”と教えてくれた中国・河南省、
「猿仙人」のお父さんは、今は土の下…安らかにお眠りください。

成宮寛貴さんに“誠実に生きるのが何より大切”と諭した
中国・黄河で筏の渡し舟のお父さんは、再度ビデオレターでも“誠実”の大切さを
語られていました。
そんな中国人の存在に救われた思いです。

上地雄輔さんはクアドルのジャングル、
つるの剛士さんはマレーシア・ボルネオ島のジャングル、
お二人の旅には、いくつもの共通点が…
それにしても、上地雄輔さんのワオラニ族と暮らしは過酷でしたよね。

忍成修吾さんの旅は、記憶に新しいです。
繊細でシャイな忍成さんは、フランスで銀製品作りを体験、
時に涙することも…
忍成さんは、ホームステイ先のお父さん、お母さんとスタジオで驚きの再会を
果たしました。

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