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2008年8月

「いたずら天使」 ヘティ

ヘティ     「どうやらあの人、なにか隠してるわね。
オリビア  「何を隠しているのかしら…」
ヘティ     「あなたが新聞記者なら、とことん真実を追究する義務があると
      私は思う。すぐ調べにかかったら?

              …ね~ぇ、分かったこと、教えてよ。」

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レイチェルを取材するため、グリーンゲイブルズを訪れたオリビアとセーラ…
セーラは、レイチェルの娘時代の写真の下に隠された、
男性の写真を見つけてしまう…
それは、レイチェルの亡夫・トマスとは別人のものでした。

日頃は、“分別”を口にする厳格なヘティですが、
一応、理屈を付けてはいても、やっぱり、詮索好きの普通の人なのですね。
時々見せる、愛すべきヘティ伯母さんの一面に、可笑しくなります。

<第2シリーズ>
第17話「いたずら天使」(Of Corsets and Secrets and True True Love)より

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「やさしい言葉は鉄の扉を開く」

趣味の園芸スペシャル「京都大原 英国人ベニシアの庭物語」を見ました。
(この番組、以前見たことがあります。)

イギリス貴族出身のベニシア・スタンリースミスさんは、
30年前から、京都で英会話スクールをやっていますが、
自ら修理した大原の古民家のお住まいには、
ベニシアさんが、7年間掛けて作った庭があって、季節の花々や野菜、
ハーブなどを育てています。

また、それらで、石鹸やジャム、ジュースなども手作りしています。
その暮らしぶりを拝見していたら、ターシャ・テューダーさんを思い出しました。
(そう言えば、ベニシアさんは、絵もお上手でした!)

時がゆったり流れ、正にスローライフ…でも時間が余っている訳ではありません。
しなければならないことが、たっぷりあるのですから…楽しみながらですが…
日々、好きな事に追われているベニシアさんが、羨ましいです。

幸せを求め、結婚と離婚を繰り返していたというベニシアさんのお母様…
イギリスのお城に比べたら、本当に質素な生活ですが、
ベニシアさんは言いました。「幸せは気持ちの中にあります。
毎日が充実していて幸せだから、何も欲しくないし、どこへも旅行したくない。」
と…

ところで、ベニシアさんのブログには、
諺や格言がタイトルになっているものもありましたが、
7月15日のブログでは、「やさしい言葉は鉄の扉を開く」(ブルガリアのことわざ)
のタイトルで、“言葉の大切さ”の文章が載せられていました。

番組でも、来日直後、「“頂きます”と言ってから口にする日本人」に、
大変感動されたとのこと、「イギリス人は、そんなこと言わない」と仰っていました。

「外国人だからこそ気付く、日本語の素晴らしさ、難しさ」であるなら、
「日本人だからこそ大切にしたい、日本語の素晴らしさ、難しさ」と思いました。

<ベニシアさんのブログ>
http://www.venetia-international.com/m51_blog.php?p=11111

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「解かれた封印」

初回を見逃してしまった、NHKスペシャル「解かれた封印」
~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~
の再放送を見ました。

昨年の8月9日(長崎に原爆が投下された日)に、
85歳で亡くなったアメリカ人カメラマンのジョー・オダネルさんの、
遺品のトランクから、オダネルさんの声が録音されたテープが発見されました。

突然、真珠湾攻撃してきた日本人への復讐心から、
彼は志願して海兵隊に入隊、19歳の時でした。

原爆投下を知った時、彼も他のアメリカ人同様、
「これで戦争は終わった。」と感じた一人だったそうです。

原爆投下の約一ヶ月後、原爆の破壊力を記録するために入った長崎で、
想像をはるかに超えた原爆の破壊力を知り、
そして、禁じられている日本人を撮影するうち、憎しみは哀れみに変わったとか。

「どうして同じ人間に、こんな恐ろしいことをしたのか…
アメリカ人にとっては原爆で戦争は終わったが、
生き残った日本人にとっては苦しみのの始まり。」と気付いたそうです。

彼は命令に背き、密かに持ち込んだ自分のカメラで日本人を写したのですが、
なぜ、掟を破ってまで、個人のカメラを持ち込んのかは謎でした。

続きを読む "「解かれた封印」"

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「模擬原爆パンプキン」

昨夜の「その時歴史が動いた」
「模擬原爆パンプキン~秘められた原爆投下訓練~」を見ました。

20億ドルの国費を投じたマンハッタン計画…
アメリカは、広島にリトルボーイ、長崎にファットマンを投下する以前に、
原爆投下の予行演習として、データ収集のため、また、士気を高めるために、
通常の空襲に紛れて、模擬原爆パンプキンを投下していた事を知りました。

投下目標は、原爆投下候補地の周辺や、軍需工場、
しかし実際は、それら以外の地でも投下していた巨大爆弾パンプキン…

長崎に原爆を投下した後も、
兵器としての有効性を試すために投下していたパンプキン…
戦争終結後、機密のため、残りのパンプキンは海に沈められたそうです。

パンプキンは、日本本土に49機投下され、
それにより400人以上が死亡し、1,200人以上の負傷者があったそうです。

それにしても、トルーマン曰く、
「かつて無い規模の全面的破滅から国民を救うための最後通告」である
降伏を迫るポツダム宣言の発表を、なぜ日本の指導者は黙殺したのでしょう?
降伏していたら、原爆投下は無かったかも知れないのに…

次回は、シリーズ 日本降伏 前編「焦土に玉音が響いた」
~8月15日・終戦決定までの道程~

果たして真実が語られるのでしょうか?是非とも注目したいです。

<「その時歴史が動いた」HP>
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/main.html

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COOL JAPAN…アイドル(Idol)

今回のテーマは「アイドル」…

アイドルと言っても、最近は、アキバのメイドカフェの子だったり、声優だったり、
ゲームのキャラクターだったり、と多種多様のようです。

私は今まで、アイドルとは、“偶像”と認識していました。
でも、“特別な才能”の持ち主と言うことらしいですね。

一頃のアイドルの様に、若い歌手や映画スターだったなら理解も出来ますが、
メイド姿の女の子や、まして、アニメやゲームのキャラクターに、
大の男が夢中になるなんて、到底理解出来ないでいました。

“それは私の年齢や性別のせい”、と納得していたけれど、
番組に参加していた外国人の人達も、殆ど否定的の様でしたね。

日本のアイドルには、無くてはならない「写真集」にしても、
海外では、社会通念として、若い子の水着写真はタブーなのだとか…

日本の最近のTV番組は、バラエティーが中心らしく、
歌手でも女優でもない、アイドルという肩書きの人ばかりみたいです。

バラエティー番組用アイドルになるため、選ばれた少女達は、
リアクションの取り方や、質問の仕方、笑い方を習うそうな…

さすがに番組では明かされなかったけれど、
きっと、キャラクター設定や、外見上のお直しも施されているのでしょうね。

結局、アイドルは作られたもの…

今回、外国人が“COOL!”と称えたものは無かったように思います。
と言うことは、やっぱり、日本はヘンなのかも知れませんね。

それでも選んだ、best of cool は、「新人アイドルの育て方」、
私には、なぜクールなのか解りません…?

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「いたずら天使」 セーラ

孤児になった遠縁の双子のデイビーとドーラを引き取ったマリラ…
おとなしくて手の掛からないドーラに比べ、
一時も目が離せないデイビーに、マリラとレイチェルは振り回されっぱなし…

セーラとまだ幼い双子が、納屋で話すシーンでは、
可愛い3人の表情が印象的でした。

セーラ 「いい人は、みんな天国へ行けるの。」
デイビー「天国ってどこにあるの?知ってる?」
セーラ 「きっと、ずっと高いところ。」

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ドーラ    「わたしのお母さんも、そこにいる?」
セーラ   「ええ、きっといるわ。」
デイビー「よく、わかんない。お母さんは土に埋められたんだ。
            どうやって、天国へ行ったの?」
セーラ 「きっと途中まで、金色の階段を昇って行ったんだと思う。
            その先は、天使の翼を付けて飛んで行ったの。」

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デイビー「天使の翼って、買うと高い?
            僕、天国に行って、お母さんに『帰って』って言いたい。」
セーラ 「デイビーったら…あたしもママが死んだ時、そんな風に思った…
            探せばどっかにいるそんな気がしたの
            …でも、心の中でお話が出来るようになった……
            魔法みたいだけど出来るの。」
デイビー「魔法?セーラは魔法使いってこと?
            そうか、僕にも出来ればいいんだけど、それ、今すぐ出来る?」
セーラ  「デイビー!…お腹が空いて出来そうもないわ。
            サンドイッチ食べましょうよ。…競走よ!」

セーラ役のサラ・ポリー(Sarah Polley)も、
11歳の時に、ガンのため母親を亡くしているので、
演技とは思えず、見ていた私も辛かったです。

<第2シリーズ>
第17話「いたずら天使」(Of Corsets and Secrets and True True Love)より

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「“罪”に向き合う時」

24日のETV特集、シリーズ、BC級戦犯(2)「“罪”に向き合う時」を見ました。

戦後生まれの私が、とやかく言う資格は無いかも知れませんが、
番組で紹介された、BC級戦犯の裁判資料の中の、
「○○(裁かれた日本兵の名)は、
裁判を行わないまま処刑した”」という一文には疑問を感じました。

戦争中の殺害、その他の行為を、肯定する気持ちはありませんが、
それでも、この起訴理由には、かなり違和感を覚えたのです。
連合軍は、“裁判を行わないまま処刑した”ことは無かったのでしょうか?

元BC級戦犯の飯田進さんによれば、
「日本軍に対する復讐心も有った。」のだとか…

軍隊は、上官の命令は、「天皇の命令」として絶対服従の世界、
お国のためと教育され、上官の命令に従った者達は、
「BC級戦犯」で裁かれ処刑され、あるいは有期刑を受けたというのに、
命令していた側の将校達は、戦後GHQの手下となり、
警察予備隊の中枢を占めていったという事実…
(「A級戦犯」として裁かれた者は別として)

最後に飯田進さんが言った、「歴史を誤魔化している。」が、
重く心に伸し掛かりました。

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ウルルン2008…さよなら再会スペシャル(2)

今回の「ウルルン」は、「さよなら再会スペシャル」の第2回目。

21歳の時から、13年間で5大陸、10カ国(13回)を旅した、
“Mr.ウルルン”こと、山本太郎さんが、「お礼参りスペシャル」と題し、
かつてのホームステイ先からの、ビデオレターを見ながら、
13年間の旅を振り返りました。

その中で、二つの家族との再会シーンがあり、
お礼参り(?)を果たすことが出来ました。

13年間はとても長いけれど、過ぎてしまえば、あっと言う間です。
でも、過去の映像や、訪れた家族の変化を見るにつけ、
やっぱり、時の無情さを感じずにはいられませんでした。

山本さんの最後の言葉は、「旅は人生」…同感ですね。

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「世界ふしぎ発見!」

最近は習慣として観ている「世界ふしぎ発見」ですが、
今回は、「赤毛のアン誕生100年 カナダからの贈り物」と言うことで、
期待して観てしまいました。

いつだったか忘れましたが、PEI は以前にも紹介され、
その時は、美しい紅葉の「秋」だったような気がします。
今回は、「夏」のプリンス・エドワード島。

プリンス・エドワード島といえば赤い土、
川の色も赤いのは当然なのに、感激すら覚えてしまいましたよ。

お約束の「グリーンゲイブルズ」…
ここは、10年位前に火事に遭って、一部焼失したのですよね。

建物、内部共、見慣れたものでしたが、
あんなに華やかな壁紙(廊下の)だったとは!日本人の感覚とは違いますね。

ところで、アンの部屋の掛けられていた「茶色のパフスリーブのドレス」や、
「割れた石版」に触れる事も無かったミステリーハンターさん…
本当に「赤毛のアン」を読んだのかしら?

と言う私も、「炉辺莊のアン」を読んだにも関わらず、
すっかり忘れてしまっていて、
第1問目の答えが分からなかったのだから、人の事は言えませんね。

それにしても、PEI に関しての時間が意外に短かかったので、
少々期待外れだったけれど
アンゆかりのハリファックスも映った事ですし、良しとしましょう。

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「寒天」と「ところてん」

「寒天」と「ところてん」、どちらも大好きです。

でも、「寒天」は“甘味”のイメージで、「ところてん」は逆ですよね。
「寒天」と言えば、「あんみつ」に入っている賽の目切りの物…
又は、棒や粉末の寒天で作る、「フルーツ羹」や「水羊羹」などですね。

余談ながら、私は「あんみつ」や「クリームみつ豆」より「豆かん」、
黒蜜より白蜜の方が好みですが…

「ところてん」は、私の地方では、(二杯酢というより)酢醤油と練り辛子です。
市販の物には、二杯酢、練り辛子、切り海苔、煎りゴマなどが付いています。

子供の頃は、夏場、どこの駄菓子屋さんにも、「ところてん」があって、
おばさんが、「天突き」で突いてくれたのを、
銘々が、醤油と酢を適当に入れて食べるのですが、
子供のこと、加減が分からず、(酢が多過ぎて)むせてしまったものでした。

ところが、関西地方では、「ところてん」は「黒蜜」だそうですね。
最初に聞いた時は、“え~~!?”と思いましたが、
「寒天」も「ところてん」も、テングサから造られていて、
同じ物と言っても良いくらい…
「寒天」が黒蜜で食べられているのですから、
「ところてん」だって黒蜜で当然ですよね。

つくづく、“習慣は恐ろしい(?)”と思いましたね。

疑問・・・最近では、和菓子でも「スイーツ」と言うようですが、
甘くないお菓子は、何と言うのでしょう…?

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ところで、今夜の「世界ふしぎ発見」は、
「赤毛のアン誕生100年 カナダからの贈り物」ですね。

  永遠の少女像を描き世界中で愛されている
  「赤毛のアン」が誕生して今年で100年
  ミステリーハンター・石橋奈美が
  アンの故郷・東カナダを訪れ
  アンが「世界で一番美しいところ」と呼んだ自然と
  不朽の名作に秘められたもうひとつの物語に迫る!(番組HPより)

プリンス・エドワード島は、以前にも取り上げられましたが、
今夜の放送も楽しみです。

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ザラザラのシーツ

このところ、急にに涼しくなって、暑さに弱い私はホッとしています。
寝苦しいことも、もうないのでしょうね?

ところで、暑い時期は、硬めのシーツに限りますね。
ドビー織りや、楊柳もいいですが、理想はやっぱり麻ですよね。

子供の頃、夏になると、母はシーツに糊付けしていましたが、
最近の人はどうなのでしょう?
糊付けどころか、柔軟剤を使っている人もいるみたいですよね。

シーツにしても、タオル類にしても、フワフワで柔らかい物を好む人と、
しゃり感のあるザラッとした物を好む人とに分かれるみたいですが、
私は、断然、後者ですね。

夏用と言われている、タオル地やガーゼ地のシーツ、パジャマなどは、
我が家にとっては夏以外の時期用…

夏用のパジャマに多い、サッカーや、リップル地も、結構暑いですよね。
薄手の楊柳の方が涼しいと思います。

夏でもふんわり感を好む人って、肌がデリケートなのでしょうね。
それとも、エアコンの効いた寝室で寝ているのでしょうか?
エアコン切って、扇風機にしている私と違って…

さすがに昨夜は扇風機は付けないで寝ましたが、
相変わらず窓は全開です。

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「それぞれのデート」

フェリシティはガスと二人きりで話がしたいのに、いつも邪魔が入ってばかり… 
そこで一計を案じ、ガスを夕食に招待したまでは良かったのですが…

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両親に誤解されたばかりか、言い分も聞いて貰えず、
一方的に叱られたフェリシティは、家出を決行…
大きなトランクをフェリックスに持たせ、行き先は、勿論、ガスの住む灯台…

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Felicity「どうして、ここにいちゃいけないの?」
Gus   「そりゃ出来れば、いてもらいたいよ。俺の気持ちは分かっているだろ?
          でも、置いておけないんだ。お父さんの気持ちを考えなくちゃ…」
Felicity「お父さんの気持ち? じゃ、あたし達の気持ちは…
           あたしは、ただ、二人だけの時間が欲しかったの。
           二人になりたかっただけなのに…あなたには迷惑だったのね。」
Gus   「…迷惑だなんて、俺だって一緒にいたいよ。
           君って凄いなあ、ただ二人きりになりがたいためにさ、両親を欺して、
           アボンリー中を丸め込んで、揚げ句に家出まで…
           そこまでしてくれるのに、追い出すなんて、俺はどうかしてるよ。」

キング家まで、フェリシティを送って行ったガスが、
アレックに言った言葉は、とても男らしかったです。

4613 4614 4616 4617

Gus  「俺には家がある。仕事二つ持って、学校にも通ってる。
          それに本だって読む。世界中の本を…
          愛を尊び、尊ぶを愛し、愛はすべてに勝る。
          俺は堂々と来ました。後ろめたいとこは何もない。
          俺、付き合いたいんです。フェリシティと…おおっぴらに。
          …認めて下さい。」

(アレックとヘティの会話(一部分)です。)
Alec    「…ジャネットの方が、私を追い掛けたんだ!」
Hetty 「あっあ~、そりゃ確かにジャネットは、奔放で常識に欠けることも
           あったけど…」
Alec   「私を追い掛けたからって、責めるのは間違ってる。
           ジャネットは、ただ私に夢中だったんだから…」
Hetty  「…はぁ~、だったら、フン、どうして妻と同じことをしているのに、
           娘は許せないのかしら?
           …ガスを疑うなんて、どうかしてますよ。
           …あの子は誠実で、紳士なんですからね。
           それも、骨の髄から、私が名誉を賭けて保証します!
           ウン、同じ年の頃のあなたなんかより、ずぅ~っと紳士ですよ!
           …覚えてますよ! 昔のことは…」
(ヘティ伯母さん、頼りになりますね~)

<第4シリーズ>
第46話「それぞれのデート」(The Dinner)より

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「BC級戦犯(1) 韓国・朝鮮人戦犯の悲劇」

8月17日のETV特集は、
「シリーズ BC級戦犯(1) 韓国・朝鮮人戦犯の悲劇」でした。

以前から、戦勝国が一方的に裁くやり方に疑問を抱いていました。
戦勝国であっても、多くの犠牲者が存在するからです。

連合軍によって、「BC級戦犯」として裁かれた約57,000人の内、
934人が処刑され、その内23人が朝鮮半島出身者(有罪は148人)。

命令した上官ではなく、命令された者が罪を問われるのは、
余りに不条理としか思えないのです。

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「調査報告 日本軍と阿片」

NHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」を見て、
また新たに、戦争の“闇”を知ってしまいました。

1937年に勃発し、8年間続いた「日中戦争」を支えていたのは、
「阿片」だったと言うのです。

関東軍が作った傀儡国家「満州国」を防衛するという大義名分で
中国に侵攻した関東軍。

次々と占領した都市に、傀儡政府を作っていく中で、
膨大に膨らんでいく軍事費は、国家予算の7割以上…
それを賄うために行ったのが「阿片売買」だったとは…

日中戦争以前に日本が改良した、大量の阿片を抽出するケシを、
中国の農家に、厳しいノルマで栽培させたというが、
従事した農民は100万人以上…
阿片は製造しただけでなく、敵からの略奪もあったとか…

その量は3,3トン、現在での末端価格は110億円以上、
阿片中毒者は、推定約110万人…

傀儡国家の満州国には、政府指定の「阿片窟」があり、
一つの町で、4,000軒の「阿片窟」が存在し、
ハルピンでは、年間2,000体もの(中毒者の)遺体が路上に放置されていた…

でも、何故か驚かなかったです。

何でもありが戦争・・・破壊と略奪と殺戮、手段を選ばないのが戦争・・・
戦後の日本人の目と耳にフタをしても、世界の人が知っていたという事実。
闇から闇に葬ったはずが、葬れきらなかったのも事実。

淡々と語る関東軍の元軍人や、当時を知る現地人の話を聴けば、
中国人が執拗に日本人を軽蔑し、憎悪するのも解るような気がしました。

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ウルルン2008…ドイツ国際平和村

昨夜から、吹く風に秋の気配を感じ、少しだけ、ホッとしています。

13年間楽しみに見てきた「世界ウルルン滞在記」も、終わりに近づきました。
昨夜は、「さよなら再会スペシャル」の第1回目。
再会の地は、「ドイツ国際平和村」、旅人は勿論、東ちづるさん。

東さんが、初めて「ドイツ国際平和村」を訪れたのは、9年前のこと、
あれから何度も再会場面を見ることが出来ましたが、いつも胸が詰まりました。

愚かな大人たちが起こす戦争の幼い犠牲者たち…
平和村にやって来た時は、心身共に傷付き、言葉も無く、
育ち盛りでありながら、幾日も食事さえ口にしない子供もいました。

それでも「平和村」で過ごす中で、少しずつ笑顔を取り戻して行くようです。
子供の生命力は凄いです。
傷が癒えて帰国した後も、あの笑顔が消えない事を願うばかりです。

番組の影響は想像以上で、日本からのボランティアは、9年間で133人…
日本から寄せられた募金の総額は、約9億7千600万円・・・

でも、番組が終了することによって、尻つぼみになるのでは?と心配です。
終了した後も、たまに「スペシャル放送」で思い出させてくれたら嬉しいです。

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わらび餅

わらび餅、くず餅、寒天、ところてん、
ゼリー、杏仁豆腐、ナタデココ、プリン…

つるっとした食べ物大好き、特に夏には格別ですね。
と言っても、最近おやつは食べませんが…

子供の頃、夏になると、「わらび餅屋」さんがやって来ました。
大きな屋台を引く、単衣の着物姿の大柄なおばあさん。
(「おばあさん」に見えたけれど、
もしかしたら、40歳代位だったかも知れません。)

また、昭和30年代でも、夏に着物姿は珍しかったし、
屋台と引く行商が、女性というのも珍しいことでした。

氷水の中から、金網の玉しゃくしですくったわらび餅に、
甘いきな粉をまぶし、
円錐形に丸めた経木に入れてくれました。

コンビニなどの「わらびもち」と違って、
形が不揃いなのも良かったです。

あの頃は、ひんやりと甘い「わらびもち」ほど
美味しい物は無い、と思いましたね。

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「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」

終戦記念日の昨日、
NHKスペシャル「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」の放送がありました。

番組は、生き残った日米の元兵士と、レイテ島住民の証言の他、
貴重な記録映像や写真を交え、悲惨なレイテ決戦を現代人に伝えてくれました。

フィリピン、レイテ島で日米による決戦が起こったのは1944年10月、
1万6千人(後に補充)の日本兵に対し、
6万人のアメリカ軍、全てにおいて圧倒的な力を誇るアメリカ軍に、
弾薬も食料も底をつき、銃剣だけで向かっていった日本兵たち、
身体中にウジ虫がたかり、銃剣を掛けた肩は骨が出ていたと言う。

如何なる場合でも、絶対に撤退も降伏も許されない・・・
飢えから仲間の肉まで口にしたとも証言も・・・
「天皇陛下万歳」と叫びながら、自分自身に銃を向けた兵士たち・・・
「自分が死んだら食べてくれ」と言った兵士たち・・・

画面に映ったそれは、まるで地獄絵そのものでした。

戦友を殺された事によって沸き起こる「憎しみと殺意」・・・
それはアメリカ兵も同じこと、
この戦いで10万人の命が消え、その内、日本兵の戦死者は8万人(97%)、
アメリカ軍4千人、レイテ島の住人1万人・・・

当時20歳そこそこだった兵士たちも、現在は80歳半ば前後、
64年後の今、言葉少なく、重い口を開いた彼ら・・・
流れる涙が、現代人に、多くを語ってくれました。
それは、雄弁に語るどんな戦争映画やドラマより、はるかに重く深いものでした。

もうすぐ90歳になる私の父も、戦争を語った事は無かった気がします。
生き証人としての父の体験を知りたい、
子として、苦しみを共有したいという気持ちはありますが、
思い出させるような事は、どうしても出来ないのです。

それにしても、戦争に関係ない、島の住民の悲劇は如何ばかりでしょう。
家も田端も破壊され焼き尽くされ、食料その他、一切合切を略奪され、
命まで奪われてしまったのですから・・・
島の女性が体験したという、
死を覚悟し、家族の写真を見せた日本兵の話は、本当に切ないものでした。

<NHKスペシャル 再放送予定>
http://www.nhk.or.jp/special/rerun/index.html

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かき氷

連日、早朝からの蝉時雨・・・

シャンシャンシャンと、夜明け前から頑張って鳴いているクマゼミたち、
今日も暑くなりそうです。

かき氷は、多分、20年以上も口にしてないと思うけれど、
子供の頃は、駄菓子屋さんで食べる夏の定番おやつでした。

駄菓子屋さん以外でも、近所のアイスキャンデー屋さんに、
お鍋を持って買いに行ったりもしました。

そのアイスキャンデー屋さんでは、
店先で、棒付きのアイスキャンデーを製造販売していたので、
子供達は、ガラス越しに眺めたりしてました。

当時は、まだ電気冷蔵庫が普及されてなかったので、
氷は、氷の冷蔵庫に入れてあり、
かき氷機も、寅さんのおばちゃんが使っていたような手回しのものでした。

少し高級なお店には、宇治金時などもあったのですが、
駄菓子屋さんでのシロップは、
イチゴ(赤)、レモン(黄)、メロン(緑)と、カンロ(透明)だけでした。

ただ母が、食品添加物を嫌悪していたので、いつでもカンロでしたが・・・

かき氷で思い出すのは、
夏になると、かき氷屋さんの行商のおじさんが来たことです。

足付きのカンナで、鰹節のように削って、
下に置いてある型で受けて押し固め、三色のシロップを刷毛で塗っていました。

長さ10cm厚さ2cm位のダルマ型、
棒付きで、上手く食べないとポトリと落ちてしまうし、
甘いシロップを先に吸ってしまうから、
味無し、色無しのかき氷に戻ってしまったことも、懐かしい思い出です。

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『車輪の下に』

40日間の長く楽しいはずの夏休みなのに、沢山の宿題に憂鬱になりますね。
当人だけでなく、親の方も気が重くなるのですよ。

計算ドイルや漢字ドリルは、辛抱強くこなせば片づきますが、
自由研究や絵日記、工作、写生などは、親までウンザリします。
(ドリルなどは、親が採点しなくてはならないし…)

その他に、読書感想文があって…これがまた厄介なのですよ。
本が好きでも、読みたくない本を読まされるのは辛いですからね。
(近所に、父親の書いた感想文で、賞を取った小学生がいました。)

でも、“宿題は多く出して欲しい”と言う親もいるのですよ。
“うちの子は出されなければ勉強はしない。二学期に差が付く。”というわけ。
確かにそうかも知れませんが…

20080814a 20080814b

左は、角川文庫『車輪の下に』(秋山六郎兵衛・訳)
    新潮文庫『車輪の下』(高橋健二・訳)
右は、人文書院「ヘッセ著作集」
    (訳・芳賀 檀(はが まゆみ)、高橋健二 全23冊)の一部 

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余計な仕事

つくづく私って、余計な事をしているなと呆れます。

既製品のパジャマ、特に、紳士用パジャマには、
ボケット口、袖口、ズボンの裾に、3~4cm幅の共布の飾り布があって、
そこに、パイピングが施されているものがありますよね。

それらを取らずにいられないのですよ。
接着芯が張ってあるので、夏物では暑いし、冬物は乾き難いですから…
取るだけなら簡単ですが、後始末が面倒なのですよ。

そればかりか、パジャマにポケットは必要無いでしょ?と、ポケットも取ってしまうし、
首の後ろに当たるからと、ラベルも取ってしまいます。
(たまに、シャツカラーをノーカラーに改造も…)

だったら最初から、パイピング仕立てで無いものを選ぶか、
手作りした方がいいのに…と自分でも思います。

頼まれもせず、感謝もされず、
時間ばかり取られて肩が凝るだけなのに…
結局、自己満足でしかないのですよ。

と言うことで、リッパーは必需品です。

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「のろわれたバイオリン」 ヘティ

「・・・そう、わざとぼかして書いているのよ
でも行間に自慢している感じが、にじみ出てるわね。
あら探しをするんでしょうよ。
(ミュリエルからの手紙を読んで)

謙虚にしてると誤解されるから、この際一言、言わせて貰うわ・・・
私はただ、ぺらぺら喋らないだけ。」(噂話しの大好きなご婦人方に)

迷える子羊を見つけて、仲間に入れなくてはね。
それが教師の勤めです。
」(噂話しの大好きなご婦人方に)

失礼、詰まらないお喋りをするほど、暇じゃないんでね。
(噂話しの大好きなご婦人方に)

歳は関係ありません。(勉強するのに)遅すぎることはないわ。」
(缶詰工場の経営者に)

「・・・学問は人生を深く豊かにするものです。
学ぶことで、明るい将来がみんなに約束されるのです。

(缶詰工場で働いている少年達に)

私が間違ってたわ。
間違うことなんて滅多にないんだけど、あなたに関しては、私らしくなく、
間違いを犯したようなの。
」(ガスに)

「・・・大抵の人が悪の部分を持ってるわ。
私は違うけど、大抵の人がそうよ。
」(ガスに)

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学生時代からのライバル、ミュリエル・ステーシーが、
教育長として、アボンリーに視察に来るという…

自分の実力を見せようと、ヘティは缶詰工場へ生徒を獲得に行きました。
でも、ヘティの言葉に耳を傾けたのはガス・パイクだけ…

ガスのバイオリンは、呪われてなどいないのだし、
主役は、ヘティ伯母さんなのだから、
原題通り、「Aunt Hetty's Ordeal(ヘティ伯母さんの試練)」
の方が良かったのに、と思いました。

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<第2シリーズ>
第16話「のろわれたバイオリン」(Aunt Hetty's Ordeal)より

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ウルルン2008…パリ、家具作り

昨夜のウルルンでは、俳優の三田村邦彦さんが、
趣味の日曜大工の経験を生かし、
パリの高級家具「フィリップ・ユーレル」で、
玄人はだしの家具作りを披露してくれました。

依頼されたチェストの制作期間は、たった4日間、
「和」をイメージしたデザインということで、
三田村さんが一晩掛かって考えたのは、「屏風」のデザイン、
また、制作途中でひらめいたアイデアで、
上板には、ネクタイを飾るガラスのケースを施しました。

工具の扱い方から作業に向かう姿勢まで、
本物の職人さん達が驚いたほど、
「日本人がこんなに器用とは知らなかった!」と言われてしまいました。

「僕は特別ですよ。」と三田村さん、確かにその通り!
外国人に比べて、日本人は器用なのかも知れませんが、
私も含め、器用では無い人だっていますからね。

実は、三田村さんに内緒で、職人さんたちは同じ物を作っていましたが、
そりゃ、そうでしょうね。
どんな物が出来上がるかは、分からないのですから。

そして納品の日、二つのチェストを見て依頼人が選んだのは、
三田村さんが作った方でした。

家具に限らず、自分のイメージを、形にするっていいですよね。
よく、「作りたいけれど、自分には無理。」と最初から諦めている人がいますが、
気持ちが無いだけにも思えます。
たとえ目的地が遠くても、
気持ちさえあれば、いずれ到着できるのでは…?

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チェックの生地

洋裁に限らず、お裁縫は「地直し・水通し・裁断・印付け」が終ったら、
9割出来たも同然です。
(その前に、デザインを決めて型紙を作ったり、
生地、糸、ボタンなどを用意したりがありますけどね。)

生地を購入して、真っ先にやるのが「地直し」なのですが、
これが結構面倒で…
でも、面倒だからといって手抜きすると、
後で、取り返しのつかない事態に陥ることもあるのですよね。

買ってきた生地は、一見すると長方形ですが、
実は、横糸を無視して切ってあるので、
横糸を通すと、平行四辺形になってしまうのですね。

裁断する前に、必ず、縦糸と横糸を、直角にしておく必要があるわけ。
縮む生地の場合、予め縮ませておくことも…
(「地直し」は生地によって異なりますが、方法については省きます。)

前置きが長くなってしまいましたが、
先日、チェック(7mm×8mm)の生地を購入したのです。
透け感のあるオフホワイト、コットン100%の日本製。

早速「地直し」したのですが、あることが判明。
「地直し」しても、チェックが歪んでる、「先初め」では無かったのです。
よくよく見たら、裏表がありました。つまり、プリントってこと。

ギンガムチェックだと思っていたら、プリントだったとは…
でも、チェックを基準に裁断することなど出来ないし…

どうすればいいの…?
この段階でつまずくと、制作意欲が無くなるのですよね。
たとえ、ちょっとした小物でも、歪んだラインの仕上がりは嫌なんですよ。

「先初め」であっても、格子柄は難しい…
(襟や前たてなど)目立つ部分の左右が、1~2mm違っていても判ってしまう。
その点、無地や不規則な柄物は、誤魔化し易いのですが…

ボーダーやチェックの生地を買う時は、
「先初め」か「プリント」か、確認するのを忘れたら駄目ですね。

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北京オリンピック (2)

昨夜の開会式、見ました。
見たのは入場行進の一部分だけだったけれど、
世界の人達の笑顔に、感動を貰いました。

日本選手団の、リラックスした笑顔を見ていたら、
東京オリンピックの時の、軍隊式の行進を思い出してしまいました。
まさに、隔世の感ですね。
愛ちゃんの笑顔は、相変わらず可愛らしかったです。

日本は、日本と中国の小旗を振っていましたが、
他の国では無かったような?…全部見ていなかったので判りませんが。

二つの旗は、日本人の私には素敵に、そして当然にも思えましたが、
外国人の目には、どう映ったのでしょうね?

オリンピックの開会式を見るたびに感じる事は、
民族衣装の素晴らしさです。

どんなに有名なデザイナーの手によるユニフォームでも、
民族衣装の前では、平凡で、色褪せて見えます。

でも、日本選手団が、民族衣装で行進することなど、不可能なのでしょうね。

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COOL JAPAN…弔う(Memorial Services)

今回は、8月に相応しく(私の地方ではお盆は7月)、日本の葬儀でした。

まずは、日本での一般的な葬儀の流れを紹介してから、
外国人出演者による意見交換。

“格式高いので驚いた”との意見があった一方で、
案の定、“余りにも形式主義過ぎるのでは?”との意見もチラホラ…
香典についても、賛否要論があって、興味深かったです。

日本という国は、「義理、建前、形式」の国ですからね。
香典にしても、慶弔熨斗袋の使い分け位の常識は必要でしょうが、
袱紗の包み方などは、どうでもいいように思いますが・・・

遠くてお墓参り出来ない人のための、「バーチャルお墓参り」、
グッドアイデアですね。
「故人そのものがバーチャルだから…」これ、名言ですよ。

お盆と言えば、小さかった頃、母が、ナスとキュウリで、牛と馬を作っていましたが、
餌用にと、ナスとキュウリを賽の目切りしていたのですよ。
「これじゃ、共食いじゃない!」と言ったのを覚えていますね。

誰もが、葬儀は“故人の為の儀式”と、信じているのかも知れませんが、
私は、“遺族の為の儀式”に思えるのです。
世間体というか、区切りを付けると言うか…また、商売と結びついてるとも。

私は一切要らない、式も戒名も、仏壇も墓も…
勿論、お盆や年忌も要りません。
それなりの場所に散骨してくれれば…無となるのが理想です。

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NHKスペシャル「見過ごされた被爆」

NHKスペシャル「見過ごされた被爆…残留放射線、63年後の真実」
を見ました。

広島に原爆が投下され、もう63年が経ちましたが、
今でも、原爆病で苦しんでいる人は少なくありません。

番組では、原爆投下後に市内に入った、
「入市(にゅうし)被爆者」と言われる人達に、スポットを当てていました。

直接被爆していなくても、明らかに、残留放射線が原因の症状を、
最近まで、「原爆症」と認定しようとしなかった国。
残留放射線が元で、亡くなった人も多いというのに…

それは、投下したアメリカの科学者が、
「残留放射線が発生しないように計算した。」との見解を示し、
投下一ヶ月後に行った、アメリカ側の調査も、
「人体に影響を及ぼす程の残留放射線は無かった。」
と世界に発表したからなのです。

取材に応じた、アメリカの元ABCC研究部長の博士は、
放射線による急性症状である、被爆した(亡くなって逝った)人の、
脱毛や嘔吐を、“チフスと区別がつかない”、紫斑を“蚤かも知れない”と、
笑いながら、白々しく語っていた…
科学者の身、当然、本気で言っているのでは無いでしょう。

日本は、そこまで卑屈でいなければならないのでしょうか?…敗戦国だから?
戦後何年経ったなら、アメリカと対等になれるのでしょう?
被爆国でありながら、
なぜ日本は、被爆の実態を、世界にアピール出来ないのでしょう?

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「外国人による日本語弁論大会」

毎年心待ちにしている、
「ワタシが見たニッポン~外国人による日本語弁論大会~」、
今回は、その第49回目で、予選を勝ち進んだ12人のスピーチを、
先日のETV特集で、聴くことが出来ました。(録画)

毎回、外国人の異文化体験談に興味津々…
普段、気にも留めてない事を、気付かせてくれるのです。
今回も外国人の発言に、考えさせられました。

中でも、食に関する問題では、日本人は考えを改めなければ…と痛感。

続きを読む "「外国人による日本語弁論大会」"

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『イワン・デニーソヴィチの一日』

ソルジェニーツィン氏が亡くなりました。
正直のところ、89歳だったとは驚きです。
私が『イワン・デニーソヴィチの一日』を読んだのは、高校生の頃だったので、
もう100歳近くかと思っていましたから…
でも、読んだとは言っても、情けない事に、内容は覚えていないのです。

ソルジェニーツィンと言えば、旧ソ連時代に、体制批判で収容所に送られたり、
『イワン・デニーソヴィチの一日』が評価され
ノーベル文学賞を受賞したにも関わらず、反逆罪で国外追放となった人でした。

久しく、ソルジェニーツィンの名は忘れていましたが、
『イワン・デニーソヴィチの一日』は、今でも本棚のどこかで、
待機しているはずなのです。

20080805
見付けました!

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ウルルン2008…オランダ、フィーエルヤッペン

昨夜のウルルンの地はオランダ、
お笑いコンビの「ビックスモールン」のお二人が旅人でした。

250年前に、オランダ北部のフリースランドで誕生した「フィーエルヤッペン」は、
「遠くへ飛ぶ」の意味の通り、運河に長い棒を突き刺して遠くへ飛ぶスポーツ。

いつも一緒の仲良しコンビの「ビックスモールン」のお二人ですが、
背の高いゴンさんは、北部ノピーターさん宅、小柄のチロさんは南部の農場と、
それぞれのコーチのお宅に、別れてホームステイということになり、
少々戸惑いのご様子でした。

ピーターさんは「練習は楽しくなくちゃ」がモットーなので、
ゴンさんの方は、トレーニングとは思えない程リラックスしていて、
ほとんどバカンス状態…

一方のチロさんの方は、対照的にスパルタ式…
ティータイムどころか、過酷な農作業もこなさなければならず、
見ていて痛々しかったです。

トレーニングの一環ではあっても、いきなり重労働を強いられても、
果たして効果はあるのかな…?
などと軟弱な私はいささか疑問でしたが、
案の定、手は豆だらけ、腕は痺れていて、途中の記録は後退していました。

北部と南部の戦いは、ホームである南部の勝利に終わりましたが、
結果はともあれ、画面から、お二人の仲の良さが伝わり、
見ていた私まで、穏やかで安心した気分になりました。

ところで、ピーターさんとマーガレットさんが、
「石と紙とハサミ」のジャンケンをしていましたが、
日本のジャンケンが、伝わったのでしょうか…?
それとも、元々オランダにも、同じジャンケンがあったのでしょうか…?

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『蟹工船』

私も10代の頃に読みましたが、
小林多喜二の『蟹工船』が、21世紀の今また読まれているそうです。
なぜ?と思えば、共通点は「ワーキングプア」なのだとか…

全ての権利を剥奪され、会社の利益と、
そのバックに存在する帝国主義国家の国策によって搾取され、
言い尽くせない程酷使された末に命を落としたとしても、
その死さえ、非人間的に処理された『蟹工船』の労働者達。

『蟹工船』の労働者と、今のワーキングプアを比較するのは愚の骨頂ですが、
言論の自由がなかった時代にあって、
文字通り、作家が命を掛けた作品『蟹工船』が、再認識されたことが嬉しいです。

また、安倍源基を筆頭に、複人の特攻警察の手によって虐殺された
多喜二自身のことも、思い出して欲しいです。

20080803

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北京オリンピック

北京オリンピック開催まで、一週間を切りました。

ところで、ニュースによれば、日本選手が、
四川大地震の復興を応援する「緑のリボン」を付けて入場する案を、
中国側に却下されたとか…

理由は、スポーツに政治を持ち込まないという精神からだそうですが、
同じ理由から、試合終了後に、日本選手が「謝謝中国」という横断幕を掲げる事も、
断られたとか…

中国は、スポーツに政治を持ち込む国と思っていましたが、
随分、立派に成長されたものですね。

私はてっきり、中国国民に対しても、世界の人々に対しても、
「日本人の好感度」を上げたくないからでは、と思ってしまいましたが…

でも、本当に中国は(国も、国民も)、オリンピック開催期間中、
スポーツに政治を持ち込まないのでしょうか?

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