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ちょうちん袖

私の子供の頃は、Tシャツやトレーナなど無かったから、
女の子はみんなブラウスとスカート、又は、ワンピースといった服装で、
今の子供より、よっぽど、お洒落だったと思います。

半袖になる今頃は、ちょうちん袖の白いブラウスを着ていましたね。
綿ブロードやキャラコ地のブラウスの胸には、ピンタックや刺繍があり、
花の刺繍が施されたショールカラーの周囲と、
パフスリーブの袖口(スナップ付きの細いカフスかゴム)には、
細幅レースのフリルがありました。

夏のスカートは、ピケなどの厚手木綿の吊りスカート(大抵ギャザー)で、
冬は、ウールの吊りスカート(大抵プリーツ)か、ジャンパースカートでしたね。

真夏は、ほとんどワンピース。
真夏であっても「よそ行き」の時は、
“お洒落なお姉さんは着るんだって…”と母から言われ、
暑いのにも関わらず、下着を着けさせられましたが、
それは母の手作りの、可愛い綿レース付きのスリップ(シュミーズ?)でした。

お出かけの時は「よそ行き」に着替えるわけですが、
「普段着」(常着=つねぎと言っていました。)でも、
けっこう可愛い服装をしていましたね。

ブラウスになる前は、みんな毛糸の半袖セーターを着ていました。
素材は、綺麗なパステルカラーの合細毛糸で、
レース編み風の、機械編み仕立てでしたね。

ウエスト部分のゴム編みが長く、着丈が短めなのが特徴。
胸元がヨークになっているデザインもありました。
袖はもちろん、ちょうちん袖です。
長袖から半袖のセーターになった時は、決まって“ちくちく”感じて嫌でした。

当時は機械編みが盛んで、毛糸屋さんで好みの糸を選んでは、
機械編みの出来る人に頼んでいましたね。
(私の場合は、叔母(母の妹)でした。)

母の専門は和裁で、洋裁は雑誌などを参考にして作っていたようなのですが、
スリップからワンピースだけでなく、
中学、高校の制服やコートまで母の手によるものでした。
そのため、既製服を着ていた他の子が羨ましく思ったものです。

でも、今となってみれば、母の気持ちが充分理解出来るのです。
私も娘がいたのなら、きっと手作りしていたでしょうからね。

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