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2008年3月

2008年、春の2時間スペシャル(3)

前後してしまいましたが、
初めに、感激の再会シーンを見せてくれたのは、俳優の菅原卓磨さんと、
韓国・巨済島の素潜り漁師である河・一万(ハ・イルマン)さんでした。

北海道の苫小牧にある菅原さんのご実家で、
お世話になったイルマンさんを、家族総出で歓待されました。

とてもアットホームで、感謝の気持ちがこもっていましたね。
屈託の無い、姪の未沙樹(みさき)ちゃんの笑顔が可愛かったです。

「本マグロを銛で仕留めたい。」
という願いを抱いての来日だったイルマンさんでしたが、
北海道では無理ということで、お二人は急きょ長崎に移動…

見事な鯛は仕留めることが出来たものの、
肝心の本マグロは、イルマンさんの滞在日数の都合で、適いませんでした。

イルマンさんにしても、菅原さんご一家にしても、出会った漁師さん達にしても、
みなさん素晴らしい方々ばかりだったので、とても感動しました。

日本や日本人に対する外国人のイメージが、来日を機会に上がれば、
特に、中国人や韓国人が、少しでも好印象を持ってくれたならば嬉しいです。

そう言う意味でも、
ウルルンなどの番組が果たす力は、とても大きいと思いますね。

ところで余談ですが、
菅原さんの横顔は、マリナーズのイチロー選手に似ていますね。

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2008年、春の2時間スペシャル(2)

再会を果たした3組の内のお一人は、華道家の假屋崎省吾さん。

以前、假屋崎さんが、番組でお世話になった、
イタリアの菓子職人のロベルト・リナルディーニさんが
假屋崎さんの20億の超豪邸に、宿泊されました。

假屋崎さんの洋館に、和室があったのも意外でしたが、
その和室がとても狭く(六畳間)、息が詰まりそう…
大柄のロベルトさんには、まるでカプセルホテル状態で、お気の毒でしたね。

しかも、来客用というのに、地味過ぎる寝具(カバー)だったことにも驚きました。
ワビサビを解する日本人ならともかく、ロベルトさんはイタリア人ですからね…
(通常は、日本人であっても、客用にあの様な色は選ばないと思うけれど…)

また、おもてなし料理が「手巻き寿司」というのは、まあ良しとしても、
納豆は、いささか疑問ですね。

文化の違いと言えば、
ロベルトさんが作った「バラの指輪」は、イラストとは違って、“満開”でしたね。
日本人の中には、満開より、七分咲き八分咲きにこそ、
美を感じる人も多いのにね…

私は、スタジオに登場した新郎新婦に、仰天してしまいました。
はたして、新婦さんは嬉しかったのでしょうか?

一生で一度のウエディング・ドレスなのに、
イメージに反したドレスだったとしたら・・・でも、番組だから不満も言えないし…

初めにお願いした日本人のパティシエなら、相談することも出来たでしょうに…
新婦さんが満足だったことを、願うばかりです。

                                    ~つづく~

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2008年、春の2時間スペシャル(1)

昨夜のウルルンは、恒例の2時間スペシャルでした。

「家族の夢を叶えます!満開の再会スペシャル」と題して、
今回も3組が再会を果たしました。
(その内の1組は、スタジオでの再会です。)

再会に先立ち、放送されなかったシーンや、
ホームステイ先の受け入れ側ならではの、ご苦労が明かされました。

かつての旅人達も、ゲスト出演されていましたが、
カンボジアで、井戸掘りの体験された武田真治さんのご苦労が、
改めて思い知らされましたね。

現在、その井戸はポンプが壊れてしまったとのこと・・・
「また来て、もう一つ井戸を掘って欲しい。」・・・
現地の人達だって見ていた訳なので、井戸掘りの方法は解ったはず・・・
壊れたポンプにしても、何とか工夫して修繕出来ないのでしょうか?

外国人に頼っていてばかりいたら、進歩は望めないですよ。
その気になれば、井戸掘り自体は、何とかなるのかも知れませんが、
例えその気になったとしても、金銭面が何とかならないのでしょうね。

                                 ~つづく~

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ガスの失言

セント・バレンタインの日の舞踏会の件で、キング家を訪れたガス…
でも、フェリシティは、
「スゼットと行ったら!?
あたしなんかより、あの子の方に、よっぽど気があるようじゃない。
無いなんて言わせないわよ。美人だと思ってるくせに。
向こうも、熱上げてるようだし。あんな風に、しなだれかかって…」と…

ガスの返事は、
「そりゃ、確かに美人だよ。
君よりずっと美人だけど、俺は、顔なんかどうでもいい。」

(スゼットは、ホテルの料理長ピエールの姪。)

ガスったら…
ガスって、誠実で正直なのはいいけれど、上に何かが付くのですよね~

アーサーからも誘われていたフェリシティでしたが、何故かガスを選びます。
フェリシティの気持ちの変化が解りませんでした。
編集されたのでしょうか?

ホテルに現れたドレス姿のフェリシティは、別人のように大人っぽかった…
衣装や髪型で、これ程まで変わるなんて驚きますね。

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<第4シリーズ>
第48話「聖バレンタインの日に」(Hearts and Flowersより

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対照的な二人

 《 アボンリーの素敵な教師と、その知られざる横顔 》

二人の違いは個性の違いである。
短期間アボンリーにいたミス・ミュリエル・ステーシーと、ミス・ヘティ・キングは、
共に自立した働く女性であるが、趣味は大変違う。

例えば、ミス・ステーシーの朝食は、
イチゴとリンゴ
バター付のマフィンとコーヒーと言ったものだが、
ミス・キングは、塩を入れないお粥を好む。
(塩も無し? 馬の餌みたいじゃない…)

美容についても、ミス・ステーシーは、
イギリスの白粉とフランスのクリーム
を愛用している。
(お金を掛けてるのねぇ…)

ミス・キングは、石鹸で洗うのみである。
(石鹸は安いし、水はタダだわねぇ…)

愛読書について言えば、ミス・ステーシーは『誇りと偏見』を第一に挙げ、
ミス・キングは『聖書』を挙げる。

休暇も、それぞれである。
ミス・ステーシーは、この春、フランスでセーヌ川の船旅を楽しんだ。

そして、ミス・キングは、ハリファックスまで、フェリーに乗った。
(一同大爆笑!)

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これは、アボンリー新聞に掲載されたオリビアの記事ですが、
(カッコ内は夫人達の反応)
いかにもヘティらしくて、笑ってしまいました。

オリビアとしては、“ヘティは賢い人”と言いたかったのですが、
裏目に出てしまい、恥をかかされたヘティが怒ったのも当然です。

「あんたの首を絞めてやりたいわ!
フンッ!あれじゃ私は、干からびたお婆さんじゃないの!」

…しかも、読み上げていたのがポッツ夫人ですからねぇ…

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<第2シリーズ>
第16話「のろわれたバイオリン」(Aunt Hetty's Ordeal)より

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「赤毛のアン」への旅 (1)

4月1日から始まる、「3か月トピック英会話」~世界の言葉で話したい。~は
「赤毛のアン」への旅~原書で親しむAnneの世界へ~です。

語学番組は、語学のためと言うより、テーマに興味が湧く場合だけ見ていますが、
以前放送していた「栗原はるみの挑戦 こころを伝える英語」は、
毎回、栗原はるみさんのお料理のコーナーもあって、大変興味深かったです。
(「いいとも青年隊」だったジョン・オコーナーさんも出演されていましたね。)

新シリーズのテーマは、「Anne」ですから、忘れずに見なくては…
「カナダ観光情報」や「プリンス・エドワード島だより」もあるので楽しみです。

出演は、女優の松坂慶子さん、講師は、作家で翻訳家の松本侑子さんです。
松本侑子さんは、『赤毛のアン』シリーズの完訳もされていますね。

<番組ホームページ>
http://gogakuru.com/anne/

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お揃いのパラソル

ヘティ・キングとミュリエル・ステーシーは、クイーンズ・カレッジで、
主席の証である「ゴールド・メダル」を争ったライバル同士ですが、
教育方針も、趣味も、対照的です。
でも、意外な共通点が…何と、同じパラソルを持っていたのですよ。

ミュリエルが、缶詰工場へ、ガスに会いに行く時に差していたパラソルと、
(第16話「のろわれたバイオリン」)
ヘティが、湖でジョー(ヘティはセーラと思っていた。)と二人で、
ボートに乗っている時に差していた傘が、全く同じでした。
(第29話「困ったそっくりさん・・・後編」)

「アボンリーへの道」の時代(約100年前)は、カタログ・ショッピングが
盛んだったようです。

アボンリーでも、ローソンさんのお店で(後にミュリエル)カタログ販売してました。
ヘティ伯母さんとステーシー先生は、同じ日傘を注文したのでしょうね。
そう思うと、納得出来ます。

そう言えば、「大草原の小さな家」(アボンリーより前の時代)でも、
オルソンさんのお店で、町の人達が、分厚いカタログを熱心に見ていましたね。

交通手段の発達していない時代、地方で暮らす人達とって、通信販売は、
重要なお買い物手段だったのでしょうね。

余談ですが、大正生まれの私の母も、
子供の頃(昭和の初期)に、百貨店(多分、三越)の通販で、
オモチャのピアノを買って貰ったとか…

1601 <第2シリーズ>
第16話「のろわれたバイオリン」(Aunt Hetty's Ordeal)より                   

2901b <第3シリーズ>
第29話「困ったそっくりさん(後編)」(When She Was Bad…2)より

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フェミニンなブラウス

下の写真の可愛らしい少女、誰なのか、お判りでしょうか?

ホワイト・サンド・ホテルに宿泊していた、政治家ホジソンの令嬢で、
ホテルで働くフェリックスと親しくなったアデラインです。

お嬢様らしいお洒落なブラウスですよね。
でも、なんか見覚えありませんか?

そう、後の、第66話「生きていた母」、第73話「キツネの人工飼育」では、
フェリシティが着ていました。

ゲストが着ていたブラウスが、フェリシティの衣装に…

6001 <第5シリーズ>
第60話「10ドルの盗難事件」(Someone to Believe in)より

7301 <第6シリーズ>
第73話「キツネの人工飼育」(A Fox Tale)より

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ブルーのカーディガン

「アボンリーへの道」では、衣装、小道具、その他、
多くの使い回しがありましたよね。

セーラの衣装は、セシリー、ドーラ、イジー、ベッキーが着ていて、
フェリシティのものは、主としてセシリーが着ていました。
(お姉さんのお下がりと言うことで、違和感ないですね。)

またゲストや、役名の無い少女達のものにもなっていました。

ビックリしたのは、セーラのブルーのカーディガンを、
ヘティ伯母さんが着ていた事・・・しかも、その回ではセーラも着ていた…

演出なのか否かは判りませんが、
娘の服を借りたお母さんみたいで、微笑ましかったです。

(ところで、このカーディガン、第7シリーズでは、イジーが着ていました。
体格の良いイジーには、見るからに窮屈そうでしたが…)

4101

<第4シリーズ>
第41話「手荒な歓迎」(Lady and the Blade)より

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『男はつらいよ』シリーズ (2)

48作続いた『男はつらいよ』シリーズですが、
私が見た中で面白かったのは、第2作目の『続・男はつらいよ』ですね。
寅さんと、母親のお菊さん(ミヤコ蝶々さん)とのやり取りが、可笑しかったです。

寅さんのマドンナの代表格と言えば、リリーさん(浅丘ルリ子さん)でしょうが、
私が好きなのは、第10作『寅次郎夢枕』(1972)の千代さん(八千草薫さん)です。

リリーさんが寅さんと同類の女性なら、
千代さんは正反対のタイプで、穏やかで温かい雰囲気の女性。

幼馴染みで、気心も知れていて、しかも、この時の寅さんは、
片思いじゃなかったですから、結婚すれば良かったのに、と思いましたね。

第28作『寅次郎紙風船』(1981)での光枝さん(音無美紀子さん)も好きでした。
光枝さんの考え方に、共感出来ましたから…

そうそう、忘れてはいけないのが、
第9作『柴又慕情』(1972)と、第13作『寅次郎恋やつれ』(1974)でのマドンナ、
いかにも高嶺の花と言った感じの、歌子さん(吉永小百合さん)ですね。

2年後なのに、別人のようにスリムになっていて驚きました。
素敵なマドンナは、他にも大勢いました。

寅さんのおいちゃん(車 竜造)役は3人いましたね。
初代(1~8)の森川信さん、二代目(9~13)の松村達雄さん、
三代目(14~48)の下條正己さんで、それぞれ違った良さがありました。

可笑しさから言えば、森川信さんですが、
不肖の息子(甥ですが)を心配しているところでは、下條正己さんが断トツでした。

満男くんも複数いました。
さくらさん(倍賞千恵子さん)が憤慨していたけれど、
私は、吉岡秀隆さんより、
みんなから“寅さんに似ている”と言われていた中村はやとさんが良かったです。
寅さんに似ていたし、素朴で可愛らしかったから…

でも、博(前田吟さん)とさくらの息子としては、吉岡さんの方が合っていましたが…

「男はつらいよ」…「女もつらいよ」ですよ。

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「世界ウルルン滞在記」…タイ、カレン族

「初めての海外旅行は、是非ウルルンで…」
との強い希望により、司会者のお一人の溝端淳平が今回の旅人でした。

そして出掛けた先は、タイの山岳地帯にあるカレン族の村。

溝端さんは、狩り名人シービーヘーさん宅にホームステイして、
念願のウルルン生活(?)である、カレン族の暮らしを体験しました。

そこでの暮らしは、想像を遙かに超えた厳しいもので、
「日本に帰りたい、ベッドで寝たい、お風呂に入りたい、牛丼を食べたい、
コーラが飲みたい、ゲームがしたい…」

そりゃそうでしょう、当然ですよ。
日本人の若者なら(若者でなくても)、大抵の人は、そう感じるでしょう。

野ネズミが食べられなくても、意気地無しではないですよ。
(生魚などの日本食に、拒否反応を起こす外国人が居るのと同じこと。)
あのような暮らしに順応出来る人は、極々まれだと思います。

人間が自然の一部で、まさに究極のスローライフ…
みんなが協力しないと成り立たない少数民族の生活では、
村の掟が絶対、個人的な意見を持ったら、村には居られないでしょう。

便利な暮らしは、自然を破壊し、膨大なゴミを作り出す…
でも、一度便利さを知ってしまったら、後戻りは出来ないのでしょう。

それにしても、村の人々の屈託のない笑顔が素敵でした。
それに、美男美女揃いでしたね。

次回のウルルンは2時間、恒例の再会スペシャルです。
楽しみです。

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『母 住井すゑ』 (2)

『母 住井すゑ』(増田れい子・著 海竜社)の2冊目を買いました。
一緒に買うつもりでいた『住井すゑ ペンの生涯』(増田れい子・著 労働旬報社)は、
在庫切れとのこと・・・残念です。

“同じ本の2冊目”を買うことは、私にとって、それ程珍しい事ではありません。
その理由は三つ…
(1)人に貸した結果、“行方不明”になってしまったため仕方なく購入。
(2)友人にプレゼントするために、もう一冊購入。
(3)人に上げてしまったけれど、欲しくなって再度購入。

今回の場合は(3)です。
(2)と(3)の場合はともかく、(1)は結構悲しいですよ。

私は感動した本に限って、貸したくなってしまうのですが、
人によっては、大事に扱ってくれなかったりするので、後悔することも多いです。

又貸ししてしまって、行方が判らなくなってしまったり、
催促しないのをいいことに、中々返してくれなかったり…

じき返してくれたとしても、
綴じ部分に開きクセを付けてしまったり…(お解りでしょうか?)
栞の代わりに、角を折ってしまったり…

大切な本は、やたらに貸さない方がいいのでしょうね。

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『男はつらいよ』シリーズ

『男はつらいよ』(松竹)シリーズは、1969年から1995年まで48本制作され、
ギネスブックに登録されているそうですね。

当時、劇場で何本かを見た私は、あまりの面白さに夢中になって、
当時発売されていた「寅さん文庫」(立風書房)を、全部を購入してしまった程…

以前、NHKBSで『男はつらいよ』シリーズ48作全ての放送がありました。
私は、チャッカリ48枚のDVDに納めてしまいましたが、
未だに見終わっていません。
「パーフェクト・ガイド」も購入したのに…

後半からほとんど観てない理由に、渥美清さんご自身の“老化”もあります。
やっぱり寅さんは、粋で威勢がよくて、天衣無縫で、ハチャメチャでなくちゃ!
渋くて分別くさい寅さんって、私にとっては、ちょっと違うかな…

“フーテンの寅”を演じ続けていた渥美清さんの死により、
シリーズは終りとなりましたが、
“寅さん”は、今もどこかを旅しているのでしょうね。

20080322
『男はつらいよ』パーフェクト・ガイド
~寅次郎 全部見せます~
日本放送出版協会(2005)

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コメディアン

最近は「お笑いブーム」なのでしょうか。
お笑い芸人さんが、次々と現れています。
次々現れるということは、当然消えていく芸人さんもいる訳ですね。

芸人さんと言っても、本業だけではなく、クイズ、歌、スポーツなどの他、
映画やドラマでは俳優業もこなしたり、執筆活動をしている人もいますよね。
むしろ、本業より力を発揮されていたりして…

最近の芸人さんは、オールマイティーを要求されるから大変ですが、
そうでないと生き残れないのかも知れませんね。

とにかく、今のテレビ業界は、芸人さん無くしては成り立たないようです。

昔は、漫才や落語家などの芸人さんとは別に、喜劇俳優(コメディアン)がいました。
(コメディアンは、シリアスな役もこなします。)

思い出の中では、子供の頃にテレビで見た、
エノケン(榎本健一)、デン助(大宮敏光)、伴淳(伴淳三郎)などが代表格でしょう。

女性(コメディエンヌ)では、
若水ヤエ子、武智豊子、清川虹子などが浮かびますね。
他に、フランキー堺、藤山寛美、藤村有弘などもいました。

忘れてはいけないのが、寅さんこと渥美清ですね。
『男はつらいよ』シリーズでは、大勢のコメディアンが出演していました。

思い浮かぶのは、他界された人ばかり…

外国では、何と言っても、
チャールズ・チャップリンやバスター・キートンでしょうね。
現在活躍している俳優さんでは、
ローワン・アトキンソン、ロビン・ウイリアムス、エディー・マーフィンなど…

海外のコメディアンでは、活躍中の人が浮かぶのに、
自国の人では、思い当たる人がいないとは情けない…

(以上、敬称略)

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『青い山脈』(1963)

以前保存しておいた『青い山脈』(1963)を見ようとしたら、
再生出来ないのです…なぜ?
安価なディスクだったから…?でも、一応、日本製のメーカー品…

同じディスク(10枚組)に、同じ方法で保存してあった物は再生出来るのに…?
しかも、息子のパソコンでは再生出来た…不思議です?

石坂洋次郎原作の『青い山脈』は、何度も映画化されましたが、
私が保存しておいたのは、1963年の吉永小百合さん版。

ネタバレ↓

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『醜女の日記』

『醜女の日記』(関 義・訳 新潮文庫)という小説をご存知でしょうか。
フランスの小説家・シャルル・プリニエ(1894-1952)の作品で、
原題は「Beaute des Laides(醜女の美しさ)」といい、1952年に発表されました。
(「醜女」は“しこめ”と読みます。)

私が読んだのは、もう40年も前の、高校生の頃でした。
何気なく書店の文庫本コーナーを眺めていた時、
引き寄せられたかのように、その衝撃的な題名が視界に飛び込んで来て、
思わず手にしていました。

作品では、主人公の女性の亡き後に、彼女の日記を託された友人(私)が、
その中から抜粋し、出版したという形を取られていますが、
実は、シャルル・プリニエの身近で、似たような事件が起こり、
それをヒントに、書かれたそうなのです。

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「ストーリー・ガール誕生」 セーラ

「人の言う通りにするのって難しいわ。
あたし、気がつくと自分の思うことをやっているの。
走り出したら止まらないって言われる。」

早とちりから、図書の資金のための「幻灯機ショー」が出来なくなって、
窮地に立たされたセーラ…
そんな時、偶然、ジャスパーと知り合ったセーラは、ある名案を思いつきます。
この時のセーラは、かなりしつこかった…

大勢の前で、お話することになったセーラに、いとこのアンドルーが
「パパが言ってたよ。
人前で話しをする時は、目の前にキャベツが並んでるだけだって、
自分に言い聞かせると落ち着くんだって。」とのアドバイスをしましたが、
セーラは、
「キャベツに向かってお話するの、あたし、いやよ。
みんなが笑ったり、泣いたりするの見たいわ。」

…確かにね!

セーラのお話に感動した町の有力者のキャンベル氏が、
多額の寄付をしてくれることになりました。
「あたし思ってたんです。
感じたことが顔に出ない人って、つまらないって。
でも、偉くなると立場上それが必要なのね。」

セーラって、分かってるのね。

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<第1シリーズ>
第2話「ストーリー・ガール誕生」(The Story Girl Earns Her Name)より

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「世界ウルルン滞在記」…チェコ、中世のお城

「ようこそ! 楽しくて恐~い中世のお城へ」と題した今回のウルルン。

チェコ共和国のチェスキー・クロムロフにある、中世のお城が舞台でした。
羨まし~い旅人は、岩佐真悠子さん。

チェスキー・クロムロフは「世界で一番美しい街」と言われ、
お城と旧市街地は、世界遺産に登録されています。

「世界で一番美しい街」と誰が言い出したのか知りませんが、
そう言われる所の多いこと…?

岩佐真悠子は、お城のセキュリティー担当の、
ボラークさんのお宅に、ホームステイしたのですが、
なんと、お城の敷地内にあって、築370年…

チェスキー・クロムロフ城には、41の建物と360の部屋があり、
土台は13世紀のゴシック様式、2階は16世紀ルネサンス様式、
3階部分はバロック様式の部屋となっていて、まるで、時空を旅しているみたい。
中でも、復元されたバロック劇場は素晴らしかった。

古城には、当然(?)ゴーストが存在していて、名前はペルフタ婦人…
ペルフタ婦人は、夫に虐待され続けたのですが、

臨終間際になって許しを請う夫を、許さなかった…
逆恨みした夫は、妻に呪いを掛けた。

それで、婦人の魂は天国にいけず、城をさまよっているのだとか…
ただ、肖像画のペルフタ婦人は、怖そうではなかったですが。

私は、霊の存在は信じていませんが、それでも、深夜一人で見回りは無理。
証拠が無いとか、非科学的な事は信じられないと言っても、
どこかで、「もしかして…?」と思っているのかも知れません。

でも、現実主義者の私でも、「死後の世界を信じることが出来たらいいな。」
とも思っています。
そしたら、夭逝した友達に会える楽しみがあるからです。

今回のウルルンは、おとぎの国に迷い込んだ岩佐真悠子さんが、
とても羨ましかったですよ。

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COOL JAPAN…文房具(Stationary)

今回のテーマは、文房具でした。

日本の文房具というのは、世界でも類を見ないほど多種多彩で、
外国人から見たら、驚きなのだそうです。

かわいくて、カラフルで、中には、文房具というよりオモチャ…?
みたいな物まであります。

機能性にしても、“よくぞ作ってくれた!”から、不必要な物まであって、
スタジオでも、感嘆の声から唖然とする反応まであって、面白かったです。

私も、油性なのに消せるボールペンと、危なくない画鋲は素晴らしいと思いました。
消せるボールペンは、是非買いたいです。

日本人て、本当に文具が好きな人が多いですね。
私も、特に目的が無くても、ついつい文具売り場を覗いてしまいます。

私の子供の頃には、今ほど、カラフルな物は販売されていなかったけれど、
地味好みだったので、特に、地味でシンプルなデザインの物を選んでいました。

文房具に限らず、何事にも工夫を凝らした新商品を開発しては、
次々と発売している日本ですが、
そこには、消費者のニーズというより、企業の生き残りもある様に思います。
とにかく、生存競争が激しいのですから…

最後のコーナーは、久しぶりの「街のラフカディオ」です。
紹介されたのは、高知県梼原町で、
伝統の流し漉きにこだわるオランダ人の手漉き和紙職人、
ロギール・アウテンボーガルトさん。
ロギールさんは、2007年の「土佐の匠」に認定されたのだそうです。

和紙は、薄くて丈夫で、何より美しい、用途の可能性は無限です。
和紙は単なる紙では無く、もはや、芸術品ですね。
「和紙こそ、日本の美しさを凝縮している…」と言った人がいました。

今回のベスト・オブ・クールに選ばれたのは、「機能的文房具」でした。
鴻上さん曰く、「和紙はあまりに有名だから・・・」なのですが、
スタジオの皆さんは、納得出来なかったみたいです。
そりゃ、そうでしょう…

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「綱渡り キケン通学」にサヨナラ!

トピックスを見ていたら、
「中国の雲南省にある「怒江」という峡谷に、橋(吊り橋)が架かった。」
という記事がありました。

ここは、以前「ウルルン」で、いとうあいこさん(旅人)が訪れた場所で、
昨年秋の、再会スペシャルでも登場しました。

そこは、ヌー族が暮らす地域で、「怒江」という名に相応しいような川のため、
橋が架ける事が不可能だとか…

そのため人達は、張られた一本のロープを使って、川を渡っていたのですが、
大変危険で、我が目を疑ってしまったほど…
橋が架けられないというのも、日本人の目から見たら信じられなかったです。

やっぱり橋は架けられたじゃないですか。
“国内の多数のメディアからの寄贈によって建設された。”との文…
要するに、今まで、国がやらなかっただけのことなのでしょう。

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『母 住井すゑ』

10年位前のこと、新聞の広告欄で、『母 住井すゑ』の本を見つけた私は、
一刻も早く、読みたいと思いました。
著者は、住井すゑさんの次女の増田れい子さんです。

それまで、住井すゑさんという人は、筆一本で一家を支えた人だから、
当然、毎日のほとんどの時間を、机の前で費やしていたのでは…
などと、勝手に想像していました。
また、厳格で恐い母親だったのでは?とも思っていました。

ところが、『母 住井すゑ』(海竜社)を読んでみて、
自分が、いかに先入観に囚われていたかと言うことを、思い知らされました。
まさに、“目から鱗が落ちる”でしたね。

一家が引っ越しした、茨城県牛久沼での暮らしは、
それまで住んでいた東京の生活とは違い、スローライフそのもの。

20080314
『母 住井すゑ』 増田れい子著 海竜社


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住井すゑ

『橋のない川』の作者、住井すゑさんは、好きな作家の一人です。
好きというより、尊敬する作家と言った方が、相応しいかも知れません。

『橋のない川』(新潮社)(第1~6部…第7部は未読)シリーズ以外では、
随筆の『牛久沼のほとり』(暮らしの手帖社)や『八十歳の宣言』(人文書院)、
児童向けの『夜明け朝明け』などを読みましたが、
戦前戦中に書かれたものについては、読んだことがありません。

住井すゑさんの夫は、農民文学者の犬田卯ですが、病弱だったので、
生活は、住井さんの肩に掛かっていたようです。

今の時代ならともかく、女性の執筆のみで、6人家族の暮らしを支え、
その上、4人の子供さんを、最高学府まで進ませたのですから凄いですよ。

でも、私が、最も尊敬するところは、住井さんの「自由平等思想」なのです。
彼女が「天皇制」を否定していたのも、
そこには、人としての、自由が存在しないからなのです。
天皇家に生まれた人間には、生涯「自由」はないのですから。

生活だけは保証されているけれど、
職業選択の自由も、言論の自由も無いのです。
死ぬまで、「籠の鳥」状態…そこに「基本的人権」なんて存在しないですよ。

私は「天皇制」について、とやかく言うつもりも無いし、
天皇家の人達についても、否定するつもりもありません。

むしろ、どちらかと言えば、好感の持てる人ばかりです。
それだけに、国家に飼い殺しされているようでもあり、
人身御供にされているようにも思えて、お気の毒で仕方ないのです。

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左 『牛久沼のほとり』 住井すゑ 暮らしの手帖社
中 『牛久沼のほとり』 住井すゑ 暮らしの手帖社
右 『橋のない川』(1~6) 住井すゑ 新潮社

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『路傍の石』(1960)

『路傍の石』(1960東宝)も、映画教室で観たのですが、
いかにも、大人が見せたくなる様な内容でした。
PTAの思う壺にはまり、感動した私は、山本有三の原作も読みましたね。

主人公・愛川吾一役は、『ふしぎな少年』の太田博之さん(当時の子役)でした。
(池田秀一さんの『路傍の石』(1963 東映)もありました。)

吾一は級長を務める優等生で、進学を強く希望していましたが
経済的な理由から進学出来ず、呉服商に丁稚奉公に出ることになったのですが、
皮肉にも、奉公先の息子は、小学校の同級生で、
勉強が出来なかったにも関わらず、進学して(旧制中学)いたのです。

その頃(明治の末)は、勉強の出来不出来には関係無く、
家庭が裕福か否かで、進学したのでしょうね。

相当昔に観た映画なので、詳しくは記憶していませんが、
それでも、いくつかのシーンは鮮明に憶えています。

ネタバレ↓

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「おしゃれ工房」

いつもチェックしている「おしゃれ工房」、
回数で言ったら、最も見ている番組かも知れません。
何しろ、15年ぐらい前からやっていて、しかも、月曜日~木曜日ですから…

10日、11日の放送は、いつもとは、ちょっと趣向が違って、
“ターシャ・テューダーの世界”…

“なぜ…?”と思ったら、
「ターシャ・テューダー展」があるのですね。
納得です。

何年か前に、地元での「ターシャ・テューダー展」に行った時には、
ターシャの手作りの洋服が展示してありました。

とても細かなピンタックが施された白いブラウスと、
手織りのような生地の、赤いロングスカートでしたが、
子供服かと見紛うほどのサイズでした。

お目当ての原画の方は、それまで見ていた絵本からでは到底味わえない、
感動がありましたね。

期待していた番組は、以前、BSで放送した『喜びはつくりだすもの』と、
『魔法の時間のつくり方』から編集したものだったのですが、
やはり、何度見ても癒されますね。

ターシャという人は、本当に充実した人生を歩んでいますよね。
好きな花たちや、コーギーに囲まれ、子供の頃から大好きな絵を描く生活…

お人形作りにしても、子供達のためではあったけれど、
それ以上に、ターシャ自身が作りたかった訳ですし・・・

「人生は短いのよ。だから好きなことをしなくちゃ!」
                   ~ターシャの言葉 より~

Tasha Tudor and Family Website 
http://www.tashatudorandfamily.com/

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「世界ウルルン滞在記」…韓国、希望のかつら

今回の旅人は、俳優の田山涼成さん。

韓国で、「希望のかつら」を作っているチュ・ウォンヒさん宅にホームステイしながら、
役の幅を広げる為の「かつら作り」を体験しました。

韓国では、“年端の行かない我が子にも、美容整形を受けさせる。”
以前、そのような情報番組を見たことがあります。

信じられない思いでしたが、今回のウルルンでは、さらに驚きました。
韓国での“はげ”のイメージは、“ケチ”だというだでなく、
「そのままの状態(カツラなし)で人前に出るのは失礼」と言うのですから…
つまり、外見を重要視するということなのでしょう。

禿げていようがいまいが、背が高かろうが低かろうが、
人を判断する上で重要なのは、その人が、どんな「考え方と行動」をするのか、
だと思うけれど、
残念なことに、外見で人を判断する人の方が多いのも事実、
だからこそ、かつらも作られるのですが…悲しい現実です。

「かつら」によって、明るく前向きになれるなら、否定は出来ませんが、
卑屈にならずに、堂々としでいる人の方が素敵に感じますね。
人として素晴らしい人は、外見がどうであれ、素敵に見えますよ。

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「プリンス・エドワード島へ」 セーラ

ヘティ伯母さんの名言は、ちょっと一休みして、別の人の名言です。

まずはセーラから…
セーラの口癖の一つに、
「なんてロマンチックなんでしょう!」(How romantic!)があります。

初登場のシーン、
高価なドレスを買ったことを、教育係のルイザにたしなめられた時の事です。

「お店の人も進めたわ。月明かりのような色ですよって。
月の光を着られるなんて、ロマンチックだと思わない?」

と言いました。
いかにも、セーラらしい表現だと思いました。

でも、初めてアボンリーのキング家に着いた時に言った言葉は、
「小さくて可愛いわ。お人形の家みたい。」なのですよ・・・

キング家も、かなり大きな家と思うけれど、
モントリオールにある、超豪邸のスタンリー家に比べたら、
キング家は、“ドールハウス”程度に感じたのでしょうね。

<第1シリーズ>
第1話「プリンス・エドワード島へ」(The Journey Begins)より

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『キクとイサム』

小学生の時、映画教室で観た映画の『キクとイサム』(1959)は、
子供心にも、大変衝撃的な内容でした。

キクとイサムは姉弟ですが、両親はなく(その経緯は忘れました)、
お祖母さんと3人で暮らしていましたが、
肌の色の違いから、2人は激しい差別といじめを受けていました。

子供に罪は無く、犠牲者でしかないのに、
“戦争の落とし子”などと蔑まれ、理不尽な迫害にあっていたのです。

本人の気持は無視され、姉弟は引き去れ、
養子として、アメリカに連れていかれるイサムでしたが、

そのシーンは、今思い出しても辛くなります。
また、キクが首を吊ろうとする悲しいシーンも、記憶の中に焼き付いています。

お祖母さん役の北林谷栄さんは、当時、まだ40代だったのですね。
私は子供だったから、年齢は見当もつきませんでしたが、
相当なおばあさんに感じていました。
それだけ、素晴らしい演技力だったということです。

最近はお見かけしませんが、北林谷栄さんは、お元気なのでしょうか…?
そして、キクとイサム役のお二人は、今は何をされているのでしょうか…?

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「花嫁人形」

金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめながら
花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜ泣くのだろう

                  蕗谷虹児  「花嫁人形」より 

小鳩くるみさんのアルバム『愛しき歌』を、お裁縫しながら聴いています。

『あざみの歌』『宵待草』等々、
懐かしい日本の叙情歌が、24曲収められていて、
くるみさんの、伸びやかで透き通った美しい歌声に、癒されます。
詩もメロディーも、美しい曲ばかり…でも、なぜか悲しい曲が多くて…

“お嫁さんの歌なのに、なぜこんなにも悲しげなの?”
“泣くって、うれしし泣きなの?(それにしては、暗いけど…)”
“家族と別れるのが悲しいからなの?”
子供の頃は、とても不思議に思いました。

そう、
昔の結婚は、“愛”と言うより、“家”の為だったのですね。
親が決めた、顔も知らない相手と結婚させられた人も多かったとか…

普通の家には、自動車も電話も無かったでしょうから、
友達と会ったり、愚痴の電話をすることも無く、
どんなに悲しい事があっても、実家には、帰りたくても帰れなかったでしょう。

自由が許されない男尊女卑の時代の女性にとって、
結婚生活は、必ずしも幸せなものとは限らず、
むしろ、辛く悲しい“忍耐”の毎日だったのでしょう。

豪華な衣装を着せられたからって、嬉しいはずは無いですね。

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(左)『愛しき歌』、(右)『小鳩くるみ ベスト』
(ビクター エンタテイメント株式会社)

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知るを楽しむ

数年前から放送している番組に、『知るを楽しむ』(月~木)があり、
結構、楽しみにしています。

今、楽しみにしているのは、
月曜日の「悲劇のロシア~ドストエフスキーからショスタコーヴィッチへ」
(講師は、亀山郁夫さん)、
高校生の頃に読んだドストエフスキーも記憶が薄れてしまって、
恥ずかしながら、「ああ、そうだったんだ…」なのでした。

4日(火)から始まった
柳 美里さんの「色川武大 穏やかにアウトロー」も興味深かったです。
一回目は、「闇を照らす闇」で、『狂人日記』が取り上げていました。

色川武大さんのお名前だけは知っていましたが、作品は読んだことが無く、
まして、色川さんが、ナルコレプシーという病気だったとは知りませんでした。
番組を見たことで、『狂人日記』を是非とも読みたいと思いました。

6日(今夜)から始まるのは、アンコール放送(一昨年放送)の「明治美人帖」です。
明治時代の女性事情を考察していました。
当時の美人の写真が見られるのですよ。
もう一度、見たいと思っています。

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民主主義「闇」へ

ドキュメンタリー・シリーズ、「民主主義~世界10人の監督が描く10の疑問~」
という番組がありましたが、
その中の“アメリカ版「なぜ 民主主義?(WHY DEMOCRACY?)」「闇」へ”が、
アカデミー賞・長編ドキュメンタリーを受賞しました。
監督は、アメリカ人のアレックス・ギムニー監督。

無実のアフガニスタンの男性が、アメリカ軍に虐殺されたことを発端に、
アメリが軍の「闇」が紹介されました。

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「上海から先生がやってきた」

先日放送されたNHKスペシャル、
激流中国「上海から先生がやってきた~貧困の村で~」を見ました。

中国での豊かな都市部と、貧困であえぐ農村部での収入格差は10倍、
農村部での月収が1,000円程度の貧困人口は約6,000万人、
(中国全土では約8億人!)
国が指定する貧困県は、全国に600ヶ所…

農村地域の人達を助けるプロジェクト「支教団」に参加した都会の学生は、
今までに10万人…貧しい子供達を助けたい気持ちのボランティアです。

昨年の8月にも、全国から600人の大学院生が集まりました。
「支教団」の一員となって、1年間、農村部でボランティアの先生を務めるのです。
「支教団」の目的は、農村の若者の人材を育てること。

番組では、
最貧困地域の寧夏回族自治区西吉県に派遣された13人の若者の1人、
梁 佩思(りょう はいし)さん(22歳)に密着しました。

梁さんは裕福な家庭に育ち、高校生の頃から、成績は全国で常にトップスラス、
撮影当時は、上海の復旦大学に通う大学院生でした。

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招かれざる客

今年も、やっぱり、やって来ました。
前触れは、1ヶ月前から…

律儀にも、30年以上も忘れずにやって来る“招かれざる客”…
もう、そろそろ私のことなんか、忘れてくれてもいいのにね。

2~3ヵ月もの長逗留には、いささかウンザリですが、
家には、手拭いは有っても座敷箒は無いので、おまじないも出来ません。

飽きて解放してくれる日までは、辛抱強く、耐えるしかないのだから、
諦めて、マスクとティッシュと目薬を、手元に置きましょう。

一体、いつになったら卒業出来るのでしょうか…
厄介者の花粉症から…

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『世界ウルルン滞在記」…ドイツ、森の幼稚園

「寒くてもへっちゃら!ドイツ教室のない森のようちえん」
と題した今回のウルルンは、
ドイツ、クワイヒハンバッハにある「森のようちえん」が舞台。

森の幼稚園とは、森の中に建ってる幼稚園ではなくて、
森そのものが幼稚園なんですって…!
驚くことに、現在ドイツには、450箇所もの「森の幼稚園」があるそうなんです。

森の幼稚園に通う、11人のとびっきり元気な、森の妖精ちゃん達と、
子供の自主性を尊重し、暖かく見守っている大人達に出会ったのは、
旅人の杉浦太陽さん。

杉浦さんは、昨年元モーニング娘のメンバーと結婚され、
生後2ヶ月の娘の新米パパです。

ホームステイ先は、子供を森の幼稚園に入れるために引っ越した、
ボルツェさん夫妻のお宅。
ご主人は弁護士で、奥さんは建築士という知的なご夫妻です。

ポルツェさん夫妻には、4人の腕白天使がいて、
中でも、森の幼稚園に通っている、4歳のアントン君の腕白ぶりに、
杉浦さんは振り回されていましたね。

幼稚園をやっているハイディ先生が言うのには、
「大事なのは、子供を尊敬すること。一人の人間として接すること。」
そして、子供がやることに大人が手を出さないのは、
「それぞれにペースがあり、手助けしてしまうと、子供が達成感を味わえない。」
言われてみれば、確かにそうですね!
でも、つい手を出してしまうんですよね。

森の幼稚園には園舎が無く、ルールも、
「先生の見える所にいること。見つけたキノコを食べないこと。
人の頭を棒でたたかないこと。」
の三つだけ。
ナイフも火も使わせていました。

ドイツでの真冬の夜は、氷点下になるのに、
健康のため寝る時には、窓の上部を、少し開けておくとか…
しかも、風邪の時は、より有効とか…
新鮮な空気を取り入れるためとは言え、信じられないです。
人間の体は、環境や方法(考え方)に順応するのでしょうね。

また、ドイツでは、小学校の入学年齢は、親が決めるそうなんです。
(留年も飛び級もあるし…)
国によって、色々な考え方があって面白いです。
これも、ウルルンならではです。

杉浦は、見るからに、友達感覚の優しいパパになりそうですね。
(杉浦太陽さんの奥さんは、辻希美さんで、
2ヶ月の娘さんの名前は希空(のあ)ちゃんだそうです。)

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「COOL JAPAN」…庶民派グルメ(Casual Gourmet Food)

「COOL JAPAN」の今回のテーマは、庶民派グルメ(B級グルメ)でした。
日本には、多くの庶民派グルメがありますね。

お肉屋さんの店頭の、「メンチカツ」や「コロッケ」…
食欲をそそられる匂いを漂わせる「焼き鳥」…
腰掛ければ瞬時に出来上がる「牛丼」…
誰もが大好きだと思われる、「カレー」や「ラーメン」…
どれも手軽で美味しい、それに安いことから、庶民の強い味方です。

本場アメリカ人さえもが絶賛した、日本の「ハンバーガー」の味…
種類豊富な「中華まん」にしても…驚くばかりです。

試行錯誤して、日本人に合った味を追求している…これ日本だけ…?
でもないかも知れないけれど、
日本人って、本当にアレンジが得意なんですよね。

「ご当地グルメ」として紹介されたのは、
多くの観光客があふれていた、「富士宮(ふじのみや)焼きそば」でした。

8年前に、町おこしとして企画された「富士宮焼きそば」ですが、
今では、全国的になった訳ですから、地域の人達の力って凄いですよね。

そして今回の「ベスト・オブ・クール」は、「ご当地グルメ」でした。

観光の目玉が、何も無い地域を活性化させた「ご当地グルメ」…
でも、“富士宮”に関しては、観光の目玉が、何も無くはないですよ。
グルメの事は知りませんが、
富士宮と言ったら、“富士山”じゃないですか。

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ひな祭り

早いもので、今年も二ヶ月が過ぎ、今日から三月ですね。
もうすぐ、“桃の節句”です。

女の子のいる家庭では、お雛様が飾ってあることでしょうが、
我が家には女の子がいないので、お雛様もありません。

もし娘がいたなら、真多呂人形の親王飾りにしたかったけれど、
往々にして、親子の好みは一致しないものなのです…

(実家の方では)私の子供の頃は、ひな祭りは月遅れで行われていました。
元々、旧暦だったわけで、時期的には“月遅れ”の方が近く、
春休みでもあり、暖かくて桃の花も咲き、理に適っている様にも思います。

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