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『路傍の石』(1960)

『路傍の石』(1960東宝)も、映画教室で観たのですが、
いかにも、大人が見せたくなる様な内容でした。
PTAの思う壺にはまり、感動した私は、山本有三の原作も読みましたね。

主人公・愛川吾一役は、『ふしぎな少年』の太田博之さん(当時の子役)でした。
(池田秀一さんの『路傍の石』(1963 東映)もありました。)

吾一は級長を務める優等生で、進学を強く希望していましたが
経済的な理由から進学出来ず、呉服商に丁稚奉公に出ることになったのですが、
皮肉にも、奉公先の息子は、小学校の同級生で、
勉強が出来なかったにも関わらず、進学して(旧制中学)いたのです。

その頃(明治の末)は、勉強の出来不出来には関係無く、
家庭が裕福か否かで、進学したのでしょうね。

相当昔に観た映画なので、詳しくは記憶していませんが、
それでも、いくつかのシーンは鮮明に憶えています。

ネタバレ↓

少年達が集まって自慢話しをした時、
吾一は、つい「鉄橋の枕木にぶら下がった。」と言ってしまい、
信じようとしないみんなの手前、後には引けず、鉄橋に向かうのですが…
…気付いた時は、病院のベッドの上でした。
その時に、次野先生が、
「吾一という名前は、“我は一人”という意味、自分を大切にするように。」
と言って、吾一を諭したのでした。

奉公先では、“丁稚らしくない名前”という事で、「五助」と呼ばれ、
先輩達から辛い目に合わされただけでなく、
同級生だった息子と、その妹にも酷い扱いを受けたのでした。

妹は、吾一が用意した履き物を、無言で足払いし、
何を出せばよいのか分からない吾一が何度出しても、足払いを繰り返す…
封建時代の主従関係を、見せ付けられた思いでした。

吾一の母親は、針仕事の僅かな手間賃で、生計をたてていたでしたが、
若い頃のエピソードとして、
仲間の意地悪から、渡された赤い糸で、黒い着物を縫い上げた、
というシーンも、記憶にありますね。(高い和裁の技術があった。)

出演者を調べてみて判ったのですが、
吾一の母親役は原節子さん、家庭を顧みない父親役は、森繁久彌さん、
恩師の次野先生役は、三橋達也さんでした。

是非、もう一度、見てみたいです。
NHKBSで、放送して欲しいな…

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