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『風と樹と空と』

石坂洋次郎原作『風と樹と空と』(1964年)では、溌溂とした吉永さんが見られます。
また、私の世代には、懐かしさを感じさせるシーンが満載です。
谷内六郎さんの絵も、楽しみの一つでした。

高校を卒業した沢田多喜子(吉永小百合)は、
集団就職するため、駅に向かうのですが、
多喜子と両親の3人は、オート三輪の荷台に載っているのですよ。
(そんな時代もありましたね~)

BG(ビジネス・ガール)になっても、ろくな給料は貰えない”からと、
多喜子は、安川家のお手伝いさんになったのでした。

(昔は、お手伝いさんも就職先の一つとして考えられてたのですね。
また、お金持ちのお屋敷には、
ばあやさんとか、お手伝いさんとかがいたのですね。
今の時代では、通いの家政婦さんですね。)

ネタバレ↓

ばあやの代わりに、上野駅に多喜子を迎えに来たのは、
安川家の長男・三郎(川地民夫)・・・長男なのに、三郎というのも面白い。

「居候三杯目にはそっと出し」どころか、
初日から、4杯目のお代わりをする多喜子…
(多喜子のモットーは、母親(菅井きん)に影響されたもの…)

美人の多喜子をお目当てに、
肉屋やクリーニング屋の若いご用聞きが、頻繁にやって来る…
(他にも、八百屋、魚屋、酒屋などのご用聞きが出入りしてたのでしょうね。
あれ程小さな冷蔵庫というのも、今なら一人住まいの人位かも…)

サンダル履きで買い物籠を下げてお買い物の途中、
慶応ボーイの三郎のオートバイに乗せて貰う多喜子…
(オートバイに2人乗り、もちろんヘルメットなし。)
道路には“道路標示”などもなくて、すっきり、シンプルそのもの。

1週間ぶりの休日、一緒に上京した仲間6人と会う多喜子…
羽田空港で、コインを入れ覗く、ステレオスコープと書かれた器械は、
外国の風景などが、説明入りの立体写真で見られるという代物…

その後、残った3人は、多喜子のおごりで、ビアガーデンに…
みんな未成年のはずなのに、ビールを飲んでいました。
しかも一人は車なのに…

今と違って、高層ビルは少なく、高速道路はガラガラ、
道路はラインしか書かれていなかった…

新二郎の妹・トミ子が持っていた手提げカバンが懐かしかった。
私達の頃は、高校生は、誰でも必ず革製の手提げカバンでしたが、
中学生の女子はみんな、あのピンク色の手提げカバンでした。
(中学生の男子生徒は、白い帆布の肩掛けカバンだった…)

ところで、多喜子は、4人に失恋しました。
3人は、仄かな思いを寄せていた人に、
4人目は、ずっと多喜子を思い続けていた人に…
彼女が、その人の優しさ、純粋さ、男らしさに気付いた時、
その人は、“東京には向いてない”と、故郷に帰って行ったでした。

『風と樹と空』の中の物価(昭和39年)

新二郎(浜田光夫)が月賦で新調したオーダーの背広は、18.000円。

最初の休日に、仲間達と合う多喜子が奥様から貰ったお小遣いが、1.000円。
(チャッカリやの彼女は、主人からも1.000円のお小遣いを貰う。)

臨時収入を得た多喜子が、幼馴染みの男性二人に食事をおごる時の、
予算は一人300円以内。

仲間の“結婚祝いの会”の会費が500円(お祝いの品は無し)。

奥様と出掛けた百貨店(松坂屋)で、
“特選呉服売り場”に陳列されていた“夏大島の反物”が、75.000円。

“あの娘さん(トミ子)にも何か食べさせてあげなさい。
残りは、あなたの夕食代…”と、奥様が多喜子にくれたお金が、1.000円。

以上です。

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