『伊豆の踊子』(1963)
「道はつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃…」
で始まる、川端康成の『伊豆の踊子』は、
本を読まない人でも、ご存じでしょう。
何度か映画化されましたが、私は“吉永小百合さん主演”のみ拝見しました。
山深い天城の風景から始まるのかと思いきや、
大学の講義風景なんですよね…
外に出た教授(宇野重吉)に、一人の男子生徒(浜田光夫)が近づき、
仲人を頼むのですが、
相手の女性はルミという名のダンサー(吉永小百合)…
ダンサーと聞いて、教授は40年前の出来事を回想する…
ネタバレ↓
20歳の学生である“私(高橋英樹)”は、天城山中で旅芸人一行と出会います。
その中の一番若い踊り子は14歳の薫でした。
原作の踊り子は、もっと幼い印象を受けましたが、
映画では、ちょっと大人っぽい雰囲気(吉永さんは、多分18歳位?)でした。
原作の中で、私が特に気に入っていた踊り子の言葉、
「いい人はいいね」を期待していましたが、見事に裏切られてしまった…
小説は原作者の手から離れたら、もう別の作品になってしまうものなのですね。
(吉永小百合さんの著書『夢一途』によると、
都会の雑踏で始まる事もショックだし、派手なダンサー姿も厭だった、
それに、大好きな「本当にいい人ね。いい人はいいね。」のセリフがなかったのも、
大変ガッカリしたのだそうです。…私も全く同感でした。)
「物乞ひ、旅芸人、村に入るべからず」の文面、
囃し立てる子供達、茶店のお婆さんの扱い…
かつて、高橋竹山さんも、苦労を語っていましたが、
結局、ごぜや、旅芸人も、門付け(物乞い)として蔑まれていたのでしょう。
現在でも、偏見を持つ人はいるでしょうが、
当時(大正7年)なら尚更でしょうね。
踊り子と学生が、“活動(映画)”を見に行く約束は、
踊り子の母親の考えで、果たせなかったという可哀想な場面がありました。
“映画位いいのに…”とは思うのですが、
所詮、住む世界の違う人、これ以上気持が深まったら、
悲しい思いをするのは、他ならぬ薫なのですから…
これこそ、“分別をわきまえる”と言うことなのでしょうね。
現在では、見られなくなった考え方かも…
『伊豆の踊子』を見ると思い出すのは、
その昔、何度も訪れた天城への山行のこと…
八丁池、太郎杉、万次郎岳、万三郎岳、長九郎岳…
どれも、消えることのない宝石箱の中身です。
当時は、、吉永さんの“踊り子”をまだ観てなかったので、
“小説の舞台”ということだけで、充分感激していました。
私が可憐な小百合さんの“踊り子姿”を見たのは、
NHKBSでのことでした。
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