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「学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊員の悲劇~」

 先日放送されたNHKスペシャルの、
「学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊員の悲劇~」を観ました。

 中学生の頃に『きけわだつみのこえ』と出会ってから、
それなりの関心はありましたが、これまでの認識を覆す程の衝撃的な内容でした。

 第一に、特攻隊員は志願兵だと信じていましたが、そうではなかったことです。
当時の学生は、最高学府で学ぶ教養高きインテリ達でありながら、
私達には考えられない様な、犠牲的“愛国心”があったのだと思い込んでいました。
それは多分、軍国主義教育によるものなのだろうと…

 また、反戦思想を持ちながらも、選択の余地のない状況の中で、
自ら、志願して逝った、前途有望な20歳前後の若者達なのだと…

 しかし事実は違いました。
特攻隊員は、動員された学徒兵から、強制的に仕立てられたのでした。

 学徒動員された学徒兵の中で、航空隊(特攻隊とは全く別)を希望し、
その訓練をしていた彼等に、ある日一枚の紙が配られ、
(命令では無く、あくまで志願した形にするために)
そこに書かれていた“特殊任務”に“熱望する”希望する”“希望せず”
のいずれかに、○を付けさせたのでした。
ところが実際は、“希望せず”に○を付けた者も、特攻隊員にされたのでした。

 訓練らしき訓練もされず、練習機として使われていた最悪の機で、
250キロの爆弾を搭載するため、無線機と機関銃を外され、
しかも、偵察機も援護機もない状態で飛び発ったのでした。

 命の重さを知る彼等の多くは、“天皇や国のため”ではなく、
“空襲で逝った母、友達の敵討ちため”に死んで行ったのでした。

 しかし、当時の最新のアメリカ軍のレーダーは、
160キロ先まで、敵機をキャッチしていたのだそうです。
 また、この特攻隊という日本人の“クレージーさ”も、
原爆投下の一因でもあったそうです。

 飛ぶ日は死ぬ日であった特攻隊も、
機体の故障や整備の不備などから、不時着するものも多く、
帰還した隊員も多数存在していました。

 彼等は「振武寮」という施設に密かに隔離され、
帰還の理由の如何に関わらず、
連日、
“貴様らは卑怯者だ!人間のクズだ!国賊だ!”と罵倒され、
また足腰が立てなくなるなる程の暴行を受け、
耐えきれずに自殺した者や、
「玉音放送」後に自決した隊員も多数いたそうなのです。

 それなのに、
“決してお前達だけを死なせはしない。
必ず、最後の一機に乗る事を断言する!”
と約束していた菅原道大中将は、昭和59年に、95歳で永眠したのでした。

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