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『尼僧の恋 マリアの涙』…原作を読んで

20070512 『尼僧の恋』(A SPARROW'S TATE)
ジョヴァンニ・ヴェルガ/著
古澤 紅+鶴田真子美/訳
扶桑社ミステリー文庫

『尼僧の恋 マリアの涙』の原作を図書館で借りて読みました。

本当は購入したかったのだけど、絶版とのことだったので…
映画情報のサイトでは、原作が『山雀物語』とあったために、
ずっと『山雀物語』で探していたのでした。

ところが2日前のこと、あるブログで、扶桑社から『尼僧の恋』が
出版されていたことを知り、
早速地元の図書館をネットで検索してみたら…あったのでした!
そして、昨日中に読み終えたという次第です。

原作は、マリアが、親友のマリアンナに宛てた書簡集の形式に
なっていて、全て、マリアの一人称で書かれていました。
その為、映画では想像するしかなかった、
マリアの魂の叫びを聴くことが出来たのです。

ところで、あのような手紙を受け取っていた、マリアンナの気持は
どうだったのでしょう?
親友の苦悩を救ってあげられない空しさと、もどかしさで、
マリアンナ自身も苦しんだに違いありません。

でも、なぜ、マリアンナはマリアの父親に訴えなかったのでしょうか?
訴えたのに父親が助けなかったのでしょうか?

結局、マリアは誰からも見捨てられたと言うことなのかも知れません。
家族にも、親友にも、誰からも救って貰えなかった…余りにも悲しい。

映画には、多少でも救いはありましたが、
それは監督によって造られたもので、原作では苦悩があるのみなのです。

映画のラストは、マリアが正式に尼僧になる儀式…
棺の上で仰向けになった少女達は、黒い布を被される…
まさに葬儀なのです。
そして、自分が幸せだった頃を回想しているかの様なエンディング…

私は、“マリアはニーノのことも、幸せだった頃のことも胸の奥に秘めながら、
心穏やかに尼僧となってゆく”と、勝手に納得していたのですが、
原作を読み終えた今の気持といえば、
ただただ、マリアが不憫でならないのです。

原作を読む前は、“究極の愛”と感じていたのに、
今は、マリアは“犠牲者でしかない”と、思えるのです。

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