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2007年5月

名前の意味 (4)

「アボンリーの道」で使われていた名前の一部です。
間違いがあったら御免なさい。

エイブラハム(Abraham)…旧約聖書、ユダヤ人の祖先で「群衆の父」「族長」。

アグネス(Agnes)…ギリシア語の「純粋」「純潔」「聖なる」。

ブース(Buoth)…古い英語の「小屋」。

ケイレブ(Caleb)…ヘブライ語のボールド(bold)「勇気がある」「挑戦的な」「犬」。

キャリー(Cally)…キャロライン(Caroline)の愛称。 チャールズの女性形。
  愛称は他に、キャロリン、カロライナ、ケアリー、 カーリー、キャロル、カーラ、
 カルラなど。

チャールズ(Clares)…古い英語の「男性的な」。 
 愛称は、チャーリー、チャック、チャールストン、カルロスなど。

コリーン(Colleen)…アイルランド語の「少女」。

エドワード(Edward)…古い英語の「金持ちの保護者」。エドワーズも同じ。
 愛称は、エド、エディー、テッド、テディなど。

エブリン(Evelyn)…イブ(Eve)の変形。ヘブライ語の「生命」。聖書初の女性。 
 愛称は、エヴァ、エヴィー、エビータなど。

ジェレマイヤ(Jeremiah)…ヘブライ語の「神で高い」 エレミヤも同じ。 
  愛称は、ジェリー、ジェリなど。

ルイ(Louie)…古いドイツ語の「有名な戦士」。ルイス(Louis)も同じ。

リチャード(Richard)…ラテン語の「支配」「厳格な」。 
 愛称は、ディック、リック、リッキー、リッチー、リンゴなど。

ロバート(Robert)…古い英語で、「名声」「輝かしい」。 
 愛称は、ロブ、ロビン、ボブ、ボビーなど。

セリーナ(Serena)…ラテン語の「平和なもの」。

セス(Seth)…ヘブライ語の「指定された」「賛成の」。サンスクリット語の「白」。

シャーロット(Sharlotte)…古い英語の「男性的な」、チャールズの女性名。 
 シャルロッテ(ドイツ語形)も同じ。愛称は、ロッテ、ロッティなど。

スチュアート(Stewart)…古い英語で、「執事」「蓄舎の番人」。 
 愛称は、スチューなど。

シルビア(Sylvia)…ラテン語系「森から」。愛称は、シルヴィー、シルバなど。

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名前の意味 (3)

「アボンリーへの道」で使われていた名前の一部です。
間違えていたら御免なさい。

アルフィー(Alfie)…アルフレッド(Alfred)の愛称。古い英語の「賢い助言」。 
 愛称は他に、アルフ、フレッド、フレディー、アリーなど。

アーサー(Arthur)…ケルト語の「英雄を運ぶ」。アーチャー、アーティー、
 アーティも同じ。

ベッキー(Becky)…レベッカ(Rebecca)の愛称。ヘブライ語の「跳躍」。 
 レベッカの愛称は他に、リーバなど。

ブレア(Blair)、 ケルト語の「平原」「野原」。

キャサリン(Catherine)…ギリシア語の人名カタリーナのラテン語形。
 カトリーヌ(Catherine)はフランス語形 。
  愛称は、キャシー、キャス、ケイト、ケイティ、キティ、キャリーなど。

クレイトン(Creighton)…古い英語の「小川の近くの町」。

ダンカン(Duncan)…古い英語 「暗い戦士」。

エドウィン(Edwin)…古い英語 「金持ちの友人」。

イジー(Izzy)…ギリシア語の「イシスの贈り物」。
  (イシスはエジプトの「豊かさの女神」)

ジョン(John)…ヘブライ語の「神の優美さ」。愛称は、ジョニー、ジャックなど。

ジョナサン(Jonathan)・・・旧訳聖書のヨナタン。「神は与えたもう」。

ルイザ(Louisa)…ドイツ語の「少女」。ルイーズ、ルアナ、ロイスも同じ。 
  愛称はルーなど。

ミネルバ(Minelva)・・・ギリシア語の「力」。ラテン語の「思想家」。 
愛称は、ミニー、ミネットなど。

モーガン(Morgan)…ケルト語の「円」「完成」「偉大な」「輝かしい」。

ピーター(Peter)…ラテン語の「岩」。
 ペーター(ドイツ語)、ピエール(フランス語)も同じ。

サイモン(Simon)…ヘブライ語の「リスナー」。シモン、シメオンも同じ。

ウィリアム(William)…古い英語の「意志」「かぶと」。
 愛称は、ウィル、ビル、ウィリー、ワイリー、ビリーなど。

マイケル(Michael)…ちょっと詳しく調べてみました。 
               旧約聖書の大天使ミカエル(ヘブライ語) 
                                 意味は「誰が神ですか?」。
               (カトリックではミカエル、東方正教会ではミハイル)
               マイケル(英語)、ミヒャエル(ドイツ)、
                                 ミハイル(ロシア)、ミハイル(ギリシア)、
                                 ミハエル(アラビア)、ミカエル(ヘブライ)、 
               ミカ(フィンランド)ミカエル(ラテン)、
               ミケランジェロ(イタリア)・・ミカエル(Michael)と
                                 エンジェル(angelo)を併せた名前。
               ミケーレ(イタリア)、ミチェル(フランス)、
               ミハウ(ポーランド男性名)、
               ミハイ(ハンガリー、ルーマニア)、
                                 ミケル(カタルーニャ)、
               ミゲル(スペイン、ポルトガル、ガリシアの男性名)、
               ミゲラ(スペイン、ポルトガル、ガリシアの女性名)、
               ミカエラ(スペイン、ポルトガル、ガリシアの女性名)、
               ミゲリナ(スペイン、ポルトガル、ガリシアの女性名)、
               以上意味は同じ。
               愛称は、ミッチ、ミク、ミック、ミッキー、マイク、
                                 マイキーなどです。         

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『かもめ食堂』の原作

ようやく、原作『かもめ食堂』(群ようこ著 幻冬社)を読むことが出来ました。
数時間あれば読める長さだったのが嬉しい…

原作は映画のための書き下ろしなので、驚くほどの違いは無かったけれど、
それでも、映画のための書き下ろしの割には、若干の違いもありました。

例えば、些細なことですが、こだわりの“おにぎりの具”にしても、
原作では、“鮭、おかか、昆布、梅干し”だったし、
マサコさんの例のカバンについても違っていたし…
それ以外でも、ちらほら…

映画では、ファンタジーっぽく仕上げたかったのか、
どうかは定かではないけれど、
謎めいた描写もあったけど、原作はあくまで現実的でした。

興醒めだったのは、サチエさんがフィンランドに、お店を出すまでの経緯など、
ちょっと無理があると言うか、説得力に欠けるのではと感じましたが…

映画では、ほとんど描かれてなかった女性三人のそれまでの人生、
特に、いかにも“何かがありそう”な、ミドリさんのことは、
詳しく描かれていたので、“フムフム、そうだったの!”と、納得でした。

でも、なぜか、三人のことを知りたいがために、読んだにも関わらず、
“知らなくても良かった…知らない方が良かった”という観も否めません。

意外だったのは、サチエさんのお父さんに対して取った行動、
ミドリさんの両親はともかくとして、サチエさんのお父さんは可哀想…
いつも冷静なサチエさんですが、余りにも冷静過ぎると言うか…

映画を先に観てしまったため、映画のシーンばかりがちらついてしまい、
イメージが膨らむことが出来なかったのが残念でした。
やはり、原作のある作品は、先に原作を読むべきですね。

ところで、CMで『かもめ食堂』が再現されていますが、
もたいさんも出ていたのですね。

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『世界ウルルン滞在記』…パリ、フラワーアート

今回のテーマはパリの「フラワーアート」。旅人は、成宮寛貴さんでした。

芸術的な仕事に携わる人には、基礎的な知識や、
基本的な技術の習得は当然必要でしょうが、
それ以上に、生まれながらに備わっている、センスというのも不可欠でしょうね。
まあ、技術が備わって行けば、センスも磨かれて行くとも言えるでしょうが…

私は、“フラワーアレンジメント”が理解出来ません。
と言うより、どうしても好きになれないと言った方が正しいのですが…
美しいとも感じないし…

確かに豪華で、ウインドーのディスプレーや、
パーティ会場には、無くてはならない存在ですが、
今日のウルルンを観ていて感じたことは、余りにも、お花が可哀想と言うこと。

人工的に造られた色、切られたり、むしられたり、ちぎられたり、
ホッチキスで留められたり、
揚げ句の果てには、不気味な色に染められて…最後はゴミ箱に捨てられる。

私はやはり、切り花より、誰の手も関わっていない花…
野や山に自生している花が好きです。

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『天使の詩』(1966年 イタリア)

フロレンス・モントゴメリー原作の『天使の詩』は、父と息子の悲しい物語です。

イギリス大使ダンカンは、愛する妻を亡くし深い悲しみの中、
8歳の長男アンドレアにだけ、妻の死を伝えるのでした。

アンドレアが、すでに母の死を知っていて、悲しみに打ち拉がれていたことを、
父親は知らなかったのです。

アンドレアは取り乱すこともなく、一見、平気な様子だったことから、
父親のアンドレアに対する誤解が生まれることに…

ダンカンは、もう一人の息子、病弱でまだ4歳のミロの気持を案じ、
アンドレアに、母の死を、弟には決して伝えないように言うのでした。
旅行中としておくようにと…

この作品には、思わず泣けてしまう場面が、いくつもあるのですが、
中でも、アンドレアが父の部屋で、偶然テープレコーダーを見付けてしまう
場面が、一番泣けます。

テープに保存されていた母親の声を、一人で繰り返し聴いている内に、
操作を誤って消してしまうのです。

町の修理屋で、消したテープは元には戻せないと知った時の
アンドレアの表情…
それにしても、外国の子役って、どうしてあんなに上手なんでしょう?

この映画は、余りにも悲しい少年のお話ですが、
映像の美しさや、二人の子役の演技力と可愛さ、兄弟愛、ちょっとしたユーモア、
口は悪くても、アンドレアを理解してくれているウィル叔父さんの存在などが、
観る人を、ホッとさせてくれるのです。

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『世界美術館紀行』は旅の途中

今回の『美の壺』は「千代紙」でした。

最近の放送では、「和傘」「下駄」「櫛」…と、
ちょっと乙女チックなテーマを取り上げてくれました。
次回は「枯山水」、楽しみです。

ところで、現在放送中の『美の壺』の前に放送していたのが、
『世界美術館紀行』でした。

テレビの前に居ながらにして、世界中の美術館を訪れることが出来るなんて、
なんて贅沢なんでしょう!

フィルムだけで構成されていて、ナレーションも聴き易く、
“おまけ”も付いてて、25分間と言うのも、見易かったです。

異常な位楽しみにしていたので、番組終了を知った時は、
とてもガッカリしました。
訪れてない美術館が、まだまだあったのに…

また“美術館巡りの旅”に出かけて欲しいです!

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犬用ランニングマシン

初めてその姿を見た時の衝撃を、今も忘れられません。

そこは、個人でやっている車の修理屋さんで、
前を通っただけでは、物の影などで見えないのですが、
前に設置されている歩道橋を昇った時に、
偶然、階段の途中で目撃してしまったのです。
大型犬が何頭もいることは、吠え声で知っていました。

10頭前後いるらしい犬は、全て同じ犬種(大型犬)ですが、
鈍い軋み音をさせながら、檻の中を歩かされているのです。

それは、まさに、“犬用のランニングマシン”でした。
でも、普通の“犬用ランニングマシン”なら、いくら私でも驚かないけれど、
それは、明らかに異様な印象を受ける代物で、職業から察すれば、
多分自家製なのでしょう。

非常に大きく頑丈で、ランニングマシンだけが入る大きさの鉄製の檻に
入っていて、30度位(?)の傾斜で置かれているので、
犬自身の意思で歩行を止めたり、台から降りたりは出来ない仕組みなのです。

その、檻入りランニングマシンは、5台あったと記憶してますが、
走るのではなく、一定の速度で歩かされていた犬たちは、
一様に辛そうな表情を浮かべていて、とても惨めな印象を受けました。

周囲にある個室のオリ(とても犬小屋とは言えない)の犬たちも、
次は自分だと知っているためか、悲しそうな声で吠えているのです。

大型犬を散歩に連れて行くのは、大変なことでしょう。
ましてや何頭もいれば尚さらです。

自由に走り回るだけの土地がない以上、止むを得ないことかも知れませんが、
犬たちが余りにも可哀想で、憂鬱な気分になってしまったのです。

私は愛犬家ではないですが、それ以来、そこを通るたびに、
怒りを通り越し、悲しい気持で一杯になるのです。

動物愛護協会の人が知ったら、どう思うのでしょう?

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『ヤングライダーズ』

海外ドラマの『ヤングライダーズ』は、10年以上も前にNHKで放送していました。

西部劇は銃撃戦があるので、観たいとは思わないのですが、
『ヤングライダーズ』だけは、第1話から夢中になって観ていました。

と言うのも、確かに銃撃戦はあったけど、7人のライダーが、みんな個性的で、
爽やかで、正義感に溢れ、また彼等の強い友情や行動力は、
観ているだけで清々しい気分になれたからなんです。

中継所を任されている親父さんも(ティースプン・ハンター)、とてもユニークで、
正義感が強く、いざとなると親兄弟以上に頼りになる保護者でした。

史実通りか否かは別にして、実在した人物をモデルの、
ジミー・ヒコック(ワイルド・ビル・ヒコック)や、
ビリー・コーディ(バッファロー・ビル)、
少年時代のジェシー・ジェームズなども、登場していたことも
興味が湧いた一因です。

ライダー達は、それぞれみんな魅力的に描かれていたけれど、
中でも私は、バック・クロスが一番大人っぽく、
ミステリアスで素敵に感じましたね。(俳優 Gregg Reinwater)

バックは父親が白人で、母親がインディアンのため、
白人の世界では“インディアン”として扱われ、
インディアン達からは“白人”と言われ、
本当の居場所が無いことが哀れでした。

ライダーの中で一番観たいのがバックなのに、
バックがメインのお話は少なく、
ほとんどが、ジミーかキッドだったのが残念でした!

全エピソードの中で、好きだったのは、やはりバックがメインだった、
「裂かれた心」「バックの恋人」「帰るべき世界」です。

特に「バックの恋人」では、吹き替え無しで見事な曲乗りを見せてくれました。
またバックがメインの「死霊につかれた女」は、
唯一銃撃戦が無かったお話だったと記憶しています。
(『ヤングライダーズ』に限らず、
NHKの海外ドラマは、カットされてるのが悲しい。)

もう一度観たいけれど、スーパーチャンネルで放送していたということは、
もうNHKでの放送は無いのでしょうね。

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マリラ・カスバートとコリーン・デューハースト

ミーガン・フォローズは、アンのイメージとは違うと感じましたが、
コリーン・デューハースト(Colleen Dewhurst 1926ー1991)も、マリラとは、
ちょっと違うように感じました。

“コリーン・デューハーストはマリラそのもの”と、誰もが認めているようで、
私も、“確かに”とは思います。

でも、敢えて言うなら、マリラは痩せて長身なのに、コリーン・デューハーストは
痩せているとは言えないし…少々年を取り過ぎている…

私は、映画『アンの青春』の中で、“マリラの雰囲気”に、
近い人を見付けました。

それは、ミス・ブルック校長。
未婚、厳格、痩せてメガネを掛け、髪は引っ詰めで、
服装は地味…年格好も…

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『世界ウルルン滞在記』…チュニジア、ベルベル族

昨夜のウルルンは、チュニジアでした。
今回初めて、徳光さんが、旅人の美波さんと、ご両親に会いに行きましたが、
なぜ?
ホームステイ先の女の子から手紙が来ていたから?
それともお父さんがフランス人だから?

まあ、それはどうでもいい事ですが、ホームステイ先のご家族は、
みんないい顔していました。
サミーラさんにしても、20歳のはとても見えないあどけない笑顔でした。
彼女が美波さんの年齢を知った時の言葉は、そっくりそのまま、
あなたに上げたいです。

二人の女性は、同い年には思えないほど対照的でした。
サミーラさんは、生活環境の厳しさや、友達のいない寂しさがあったとしても、
家族の愛情に守られてる安心感が伝わったし、
一方の美波さんには、若くても、都会で自立している女性の、
洗練された強さを感じましたね。
(それにしても、美しい人は、どんな衣装を身につけても美しいのですね。)

15年ぶりの“友達”と、夢のような一週間を過ごしたことで、
別れた後の孤独感が一層深いものにならなければ、と心配です。

日本の女の子なら、ほとんどの子が携帯電話を持っているでしょうけど、
サミーラさんにこそ、携帯電話を持たせてあげたいと思いましたね。

“夢は結婚して町に住むこと…でも、両親は誰がみるの?…”
なんて健気な言葉でしょう!

それなのに、またしても、聞きたくなかった、“合コン”発言…、
お口あんぐりでした。
サミーラさんの結婚相手に、“合コン”は、一番、相応しくないでしょう。
冗談にしても、頂けませんね。

お父さんの言葉、「近所がいれば、喧嘩や噂話があるから嫌…」
これ、納得です!
お母さんの言葉、「泣かないで、私達は、いつでもここにいるから…」
これ、ポエムです!

色々不満はあっても、やっぱり『ウルルン』は、見逃せません。

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町内会…(4)福引きの寄付物品

町内会には諸々な行事があります。

5月には「親睦レクリエーション」があり、メインは「バーベキュー」ですが、
まあ、それはともかくとして、
理解に苦しむのが、プログラムの中の一つである、
「お楽しみ福引き」なんです。

その福袋に入れる品々は、予め、町内会の各組長が
(暴力団ではありませんよ)、各世帯を(強制的に)集めて回るのです。

その為、“今年は適当な物がないので・・・”と断る訳にもいかず、
今まで私は、適当な物を4~5点、100円ショップなどで買っていたのです。

ところが先日、初めて、福袋作りの作業に参加してみて驚いたことには、
集められた品物の山は、はっきり言って、ほとんどが「ゴミ」…だったのです。

誰も絶対にいらないと思われる、何10年前の衣類や、カバン、履き物類、
繁華街などで配っている宣伝用のポケットティッシュ、
明らかに使用済みのプラスチック容器や、大量の汚れた硬式テニスボール、
また「粗品」と書かれた薄汚い小箱の中身は、文字通りの粗品…など、
書き出したらキリがないくらいで、“廃品回収と間違えてない?”
と、思ってしまう位、出した人の常識を疑わずにはいられませんでした。

その場に居た人達も、口々に、“私は要らないわ…”ばかり…当然です!
さらに驚いたことは、“当たった(参加者全員に)福袋の中の不要な品は、
翌年の寄付物品として出す”と聞かされたことです。

つまり、その場にあった品物の一部分(大部分かも)は、
何年も、ぐるぐる回っていることになるわけなんです。

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アン・シャーリーとミーガン・フォローズ

映画『赤毛のアン』は、1986年カナダ、サリヴァン・エンターテイメント制作で
ヒロイン役は、ミーガン・フォローズ(Megan Follows)、
彼女はオーディションでアン役を射止めたのですが、当時16~17歳でした。

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アン・シャーリーと言えば、何と言っても、まず、“赤毛” です。
そしてソバカスで緑の瞳、スレンダーで、後には背も高くなったはず。
それに、アンがグリーン・ゲイブルズにやって来た時は11歳…

一方、ミーガン・フォローズは、とても可愛くて、魅力的な女優さんですが、
彼女の髪は赤毛と言うより茶褐色に見えました。
(せめて、もう少し赤く染めて欲しかった。)
それに、ふっくらしていて小柄…ダイアナの方が背が高いだなんて…
アンにしては大人っぽかったし…(ダイアナは、なおのこと)

“ミーガンはアンのイメージそのもの”というコメントを見たことがあるのですが、
そう言う人に、“本当に原作を読んだの?”と聞いてみたいです。

ストーリーそのものも、世界中に愛されている『赤毛のアン』を、
あんなにも変えてしまわなくてもいいのに…

マシューがプレゼントしてくれたパフスリーブのドレスも、
原作では、リンド夫人に頼んで縫って貰ったもので、色は茶色だった…

などと、不満を抱きながらも、映画『赤毛のアン』『アンの青春』は、
映画館に足を運んだだけでは足りず、ビデオテープを購入し、
その上、DVD特別版『赤毛のアン』(193分)『アンの青春』(228分)も
購入してしまった…

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それもみんな、カナダの美しい景色や、ロマンティックな衣装などを
観たいがためなんです。
ただ『アンの結婚』だけは、余りにも違うと言うことで買わないことに…

ところで、『アボンリーへの道』の第39話「友よ安らかに」では、
マリラの葬儀のシーンがありましたが、アンの姿はありませんでした。

アンは病気という設定で、ギルバートだけが来ていましたが、
納得出来るはずもありません。

もし、ミーガン・フォローズが無理だったなら、
別の女優さんでもいいから、出演させて欲しかったですね。

余談ですが、海外ドラマ『ドクター・クイン』のドロシーを初めて観た時、
アンがおばさんになったら、こんな感じかな?と思いましたね。

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『シザーハンズ』

ジョニー・デップの出演作品は、ほとんど観ましたが、
中でも、『シザーハンズ』は、印象深い作品でした。

ベッドの中の少女とお祖母さん、窓の外は雪…
100年位昔の、おとぎ話に出てくるような雰囲気で、
否が応でも、これから始まるお話が、“ファンタジー”だと解らせてくれます。
“なぜ雪は降るの?”、孫の問いに語り出すお祖母さん…
(孫というより、どう見ても、ひ孫ですが…)

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『變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて~』つづき

この映画の中で、“変面王”が、芸を伝えるために、
8歳の男の子を買ったのですが、実は女の子だった…

女の子ゆえに売られ、女の子ゆえに捨てられること7回…
またしても捨てられる運命、でもワンは、結果的には捨てなかったばかりか、
“じいちゃん”と呼ばせ、男子にしか許されない伝統芸も教えたのです。

もちろん、ワンが、人情の厚い人だったこともありますが、
それ以上に、クーワーが“変面王”に、とことん尽くしたからなのです。
もう、捨てられたくなかったから…

また“生き観音”と呼ばれ、人々に崇められている歌劇の女形スターの
“リャン”も、女形と言うことで自分を卑下していました。
彼もまた、華やかな世界とは裏腹に、悲しみを背負った、
“いい人”だったのです。

中国において、男尊女卑は過去のものではありません。
以前、『尼寺で育つ7人の少女』というドキュメンタリー番組がありましたが、
中国では一人っ子政策のために、産まれた子供が女児の場合、
捨てられるケースが少なくないのだそうです。特に地方の山間部では。

福建省のその尼寺には、生後間もない女児が、半年間で40人も
捨てられていたとのことでした。

山間部の農作業は厳しく、子供であっても動労力であるのわけで、
女の子では、体力的にとても役に立たないばかりか、
苦労して育てても、大きくなれば親を捨てて出て行ってしまう。(お嫁に行くこと)

それでも、険しい山道を、何時間も掛けて“尼寺”に捨てに行くのは、
“尼寺なら大切に育てて貰えるのでは?”と言う、せめてもの“親心”なのです。

現在では、“男尊女卑”と言うより、“一人っ子政策”と、“貧しさ”が、
女の子が捨てられる結果になっているのかも知れません。

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『變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて~』

『變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて~』は1996年中国の作品で、
舞台は20世紀初頭の中国、“へんめん”とは瞬時にお面を変えていく、
中国四川省の伝統芸術です。
この作品を観れば、泣けてしまうこと請け合いです。

“変面王”と呼ばれる大道芸人ワンは、家財道具を積んだ小舟に寝起きして、
「将軍」という名の猿と共に、行く先々で芸を披露して生計を立てていましたが、
高齢で家族の無いワンにとっての気掛かりは、
伝承者の男子が居ないことでした。

そこで彼は、8歳の少年を買い(何と、人身売買!)、
その子をクーワーと名付け、自分の孫として愛情を掛け、
芸を仕込むのですが、
ある時、クーワーが実は女の子だと気付いてしまうのです。

女の子は必要ないと追い出そうとするワンでしたが、
泣いて懇願するクーワーに、仕方なく連れて行くことに…
ただし、それまでのように「おじいちゃん」ではなく、「旦那様」と呼ばせて…

主役のチュ・シュイは、ドラマ『大地の子』に出ていた実力俳優さんなので、
演技力があるのは当然ですが、クーワー役の少女が実に上手いのです。

このクーワーの、健気で一途な“尽くす姿”には泣かされます。
時として、それが裏目に出てしまうところが、
またハラハラさせられもするのですが…

映像的には暗く、色彩も決して、“美しい”とは言えないのですが、
見終わった時、深い感動と満足感で一杯になり、貧しくても、孤独でも、
人の心は“美しい”ものだと気付かせてくれた作品でした。

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気になる言葉

 最近 “一段落”を、“ひとだんらく”と言う人が多いですね。

かなり前の事ですが、会話の途中、私が、“…一段落(いちだんらく)…”と、
言ったところ、話し相手に、“ひとだんらく”と、言い直されてしまいました。

 その時は、恥ずかしさで、混乱気味だったのですが、
後で冷静になってみると、“絶対、いちだんらく!”と、気付いたのでした。

辞書でも、“ひとだんらく”は載っていなかったし、
当時のパソコン(Win95)でも、変換出来ませんでした。

 でも、驚く事に、最近のパソコンは、“hitodannraku”でも、
変換出来てしまうんですよね。
アナウンサー(民放)なども、普通に使っているし…

 言葉は変化していくと言いますが、将来は、“ひと段落”の方が
正解になってしまうのかも知れません。

 ところで、気になると言えばもう一つ、
“雰囲気”を、“ふいんき”と言う人も、けっこう居ますね。

アナウンサー(民放)やリポーターの人まで、“ふいんき”と、
言っているのを耳にしたことがありますが、
一般の若い人ならいざ知らず、言葉のプロが使うというのは、
いかがなものでしょう?

またある掲示板で、“不陰気”の文字を見付けた事がありました。
始めは“雰囲気”を間違えてるとは気付かなかったので、
“不思議な文章”と、感じたのです。

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『ドクター・クイン 大西部の女医物語』

『ドクター・クイン』も、好きで観ていました。
当時としては非常に珍しかった女医のミケーラが主人公ですが、
演じていたジェーン・シーモアは、007シリーズのボンドガールだった、
とても美しい女優さん。
吹き替えは今は亡き笵文雀さんでしたが、ミケーラのイメージにピッタリ。

『ドクター・クイン』は、人種差別、男女差別、女性の自立、女医への偏見、
ネイティブ・アメリカンへの迫害など、
毎回考えされられるテーマを扱っていたので、とても興味深く観ていました。

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『世界ウルルン滞在記』…どこに泊まる?

今日の『ETV特集』は、昔から好きだった作家の一人だったから、
当然録画となり、ウルルンも観てしまった!

行き当たりばったりのホーム・ステイ…
芸能人が突然、地方の一般家庭に、“今晩泊めてくれますか?”と、
訪ねて行く番組を観たことがありますが、ちょっと似ている様な…
旅人が自力で探すのが本当なら、スタッフは一つ仕事が減りますね?

余りにも素晴らしい景観の連続に、人間越しにバックの景色ばかり
観ていました。
そして、出会った人達の、誰もが素敵な人ばかりだったことも、
嬉しかったですね。

今日は懐かしい(まだ一月半なのに)顔ぶれが…
これ、軌道修正のつもりでしょうか?

それでも、芸人のさがなのか、相変わらず口数の多い女性が一人いて、
どうしても茶化さずにはいられないみたい。

芸人さんの全てがそうとは思えない私は、“空気を読んだら?”と、
言いたいですよ。番組がそれを望んでいるのなら仕方ないですが…

中島みゆきさんの曲は嫌いでは無いけれど、オープニングもエンディングも、
断然、前の方が良かったな。

特にエンディングの曲は、感動の別れに相応しいものばかりだったし…
涙がキラリ(スピッツ)や、さくら(森山直太朗)や、
河島英五さんの曲などなど…

言っても仕方ないことですね。

でも今回は、素晴らしい景色と、素敵な人達を観られたのですから、
ウルルンをかけた甲斐がありました。(旅人は、黒田勇樹さん。)
中でも、ライン川の源流を観ることが出来て幸運でした!

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ヘティ伯母さん

『アボンリーへの道』にとって、ヘティ・キングは無くてはならない存在です。
ヘティはキング家の家長で、アボンリー学校の教師をしています。
(後に小説家、ホテルの共同経営者になります。)

早くに両親を亡くしたために、弟妹の面倒を見なくてはならず、
その為かどうかは分かりませんが、未婚です。

性格は、かなり頑固で、キング家の責任と誇り、威厳を重んじていて、
相手が子供でも容赦しません。

第1話「プリンス・エドワード島へ」で、初めてヘティを観た時は、
はっきり言って、好印象ではありませんでした。
“なんて、意地悪で冷たい人なんでしょ!”と思いました。

でも、“本当はいい人”と言うことが判る場面があったのです。
それは、セーラにお皿の片付けを言い付けた時のこと、

「…落とさないように気を付けてね。
ひいお祖母さんの時から、三代に渡って使っているお皿よ。
一瞬の不注意で壊したりしたら、悔やみ切れないでしょ?」(ヘティ

でも、セーラは(予想通り)落として壊してしまったのです。
もちろん、わざとじゃないのですが…
その後、落ち込んでいるセーラに、ヘティは、穏やかに、こう言うのでした。

「…それからねセーラ、ひいお祖母さんのお皿だけど、
私は特には好きじゃなかったの。」と…
この一言で、ヘティが好きになりました。

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<第1シリーズ>
第1話「プリンス・エドワード゙島へ」(The Journey Begins)より

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『尼僧の恋 マリアの涙』…原作を読んで

20070512 『尼僧の恋』(A SPARROW'S TATE)
ジョヴァンニ・ヴェルガ/著
古澤 紅+鶴田真子美/訳
扶桑社ミステリー文庫

『尼僧の恋 マリアの涙』の原作を図書館で借りて読みました。

本当は購入したかったのだけど、絶版とのことだったので…
映画情報のサイトでは、原作が『山雀物語』とあったために、
ずっと『山雀物語』で探していたのでした。

ところが2日前のこと、あるブログで、扶桑社から『尼僧の恋』が
出版されていたことを知り、
早速地元の図書館をネットで検索してみたら…あったのでした!
そして、昨日中に読み終えたという次第です。

原作は、マリアが、親友のマリアンナに宛てた書簡集の形式に
なっていて、全て、マリアの一人称で書かれていました。
その為、映画では想像するしかなかった、
マリアの魂の叫びを聴くことが出来たのです。

ところで、あのような手紙を受け取っていた、マリアンナの気持は
どうだったのでしょう?
親友の苦悩を救ってあげられない空しさと、もどかしさで、
マリアンナ自身も苦しんだに違いありません。

でも、なぜ、マリアンナはマリアの父親に訴えなかったのでしょうか?
訴えたのに父親が助けなかったのでしょうか?

結局、マリアは誰からも見捨てられたと言うことなのかも知れません。
家族にも、親友にも、誰からも救って貰えなかった…余りにも悲しい。

映画には、多少でも救いはありましたが、
それは監督によって造られたもので、原作では苦悩があるのみなのです。

映画のラストは、マリアが正式に尼僧になる儀式…
棺の上で仰向けになった少女達は、黒い布を被される…
まさに葬儀なのです。
そして、自分が幸せだった頃を回想しているかの様なエンディング…

私は、“マリアはニーノのことも、幸せだった頃のことも胸の奥に秘めながら、
心穏やかに尼僧となってゆく”と、勝手に納得していたのですが、
原作を読み終えた今の気持といえば、
ただただ、マリアが不憫でならないのです。

原作を読む前は、“究極の愛”と感じていたのに、
今は、マリアは“犠牲者でしかない”と、思えるのです。

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思い出の『大草原の小さな家』

『アボンリーへの道』の虜になる以前で、最も好きだったドラマと言えば、
何と言っても、『大草原の小さな家』でした。
何度も再放送されましたが、その度に観ては感動し、涙したものでした。

『大草原の小さな家』はアボンリーとは違い、ローラ・インガルス・ワイルダーが、
自分の少女時代や一家の想い出を綴った原作本を基に制作されているので、
当時の厳しさや、インガルス一家に次々と起こる苦難なども描かれていました。

ドラマは原作とは、かなり違っているために、『大草原の小さな家』ファンは、
原作派とドラマ派に別れるのだそうですが、私はどちらも好きですね。

私が読んだ原作の5冊もドラマも、どちらも良かったですから。
(その5冊と、求龍堂刊「大草原の小さな家ローラのアルバム」は、
知人に上げてしまった!)

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町内会…(3)「交通事故0の日」

発案者は誰なのでしょう?

毎月10日(土、日、祭日、雨天の場合は20日)を、“交通事故0の日”と定め、
それぞれの地域の街角に、各町内会の役員などが、のぼり旗を持って立つ。
(帽子、たすき、腕章もセットになってます~)

これ、とても大事なお役目なんだそうです!
私達の町内会では、朝の7時~8時までですが、
主婦にとっては最も忙しい時間帯…

でも、これって効果があるのかどうかは疑問です。
実際、自転車通学の高校生や、通勤途中のドライバーからは、
睨まれたり、舌打ちされたりで、とても不評なんですね。

人が立ってるだけでも、“何事?”と、目が行ってしまうし、
ノボリ旗のはためきも、視界が遮られてしまう…

私達の立つ場所は、国道1号線を挟んだ五叉路の狭い歩道で、
近くには中学、高校があって、邪魔者でしかないような気もします。

でも、疑問や不満があっても、決して人に言ってはいけません。
“やりたくないから、文句を言ってる。”と、思われるだけですから。

以前住んでいた所は、今の所とはごく近くですが、もう、かなり前から、
“交通量の多い時間帯に、交通量の多い場所で、旗を持って立つことは、
邪魔である上に目障りで、交通の妨げでしかない。むしろ逆効果。”
と、いうことで、止めてしまったのでした。

まあ、旗までは止められなかったらしく、
ノボリ旗だけは所定の場所に立てに行ってましたが…

素朴な疑問ですが、“交通事故0の日”は、通常の日に比べて、
交通事故が少ないのでしょうか?それを是非とも知りたいです!

などと考えながら、じっとガマンの1時間を過ごしてきたのでした。

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『尼僧の恋 マリアの涙』… part2

7歳から12年間、修道院で過ごして来たマリアにとって、
家族の住む世界は余りにも世俗的で、居心地が良いはずはありません。

それでもマリアは、鉄格子の無い窓から美しいエトナ山を眺めたり、
輝く緑の中を駆けたりと修道院では決して味わえない、
ささやかな自由を知るのでした。

マリアを愛しながらも、後妻の言いなりで発言権のない父親ですが、
父親にとっては、後妻の子供達も可愛い我が子なのです。
結局は、マリアを不憫に思いながらも、現在の家族も大事なのでしょう。

7歳のマリアを修道院に入れてしまった、非情な継母マチルダは、
常に何かを企んでる打算的な人間ですが、子供にとっては良い母です。
母親なら、先妻の娘より、実子の方が可愛いに決まっています。
マリアは邪魔でしかないのも当然です。

マチルダの娘のジュディッタ(マリアの義妹)は、意外にも普通の女の子で、
姉思いでさえあるのです。

ジュディッタが友達の兄であるニーノを想っていることを、
双方の家族にとって暗黙の了解なことなのですが、
肝心のニーノの気持はどうなのでしょう?
多分、妹ぐらいにしか思っていなかったような気がしますが…

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究極の愛のかたち『尼僧の恋 マリアの涙』…part1

“映画は映画館で見るもの”それが、私の持論です。
それでも、見たい作品がいつも映画館で見られる訳ではないのです。
残念なことに、最近は専らBSやDVD、ビデオばかりになってしまいました。

『尼僧の恋 マリアの涙』(原題Sparrow)も、以前BSで放送していたもので、
今まで数多く見た映画の中で最も印象深く、何度見ても泣ける作品なのです。
(正確には主人公マリアは、まだ尼僧にはなっていません。)

これほどまでに切なく、悲しく美しい愛の形を描いた作品はないと思うのです。
ビデオ録画したものをDVDして、大切に保管しています。

1993年イタリアの作品で、監督は巨匠フランコ・ゼフィレッリ。
ゼフィレッリ監督と言えば、
『ロミオとジュリエット』(オリビエ・ハッセー主演)、
『ブラザー・サン、シスター・ムーン』、
『ジェーン・エア』(シャルロット・ゲンズブール主演)など、
数多くの感動作品を手掛けています。
原作はジジョヴァンニ・ヴェルガの小説「山雀物語」

マリア役は、6000人(10カ国)から選ばれた新人アンジェエラ・ベティス、
ニーノ役は、映画初出演のジョナサン・シャーク。

~ あらすじ ~
1854年、シチリアの町、カターニアにコレラが蔓延し、
修道院内への感染を恐れた当局の指示により、
見習い修道女達は、家に帰されることになります。
19歳のマリアも、家族のいる別荘に帰るのですが…
                                                                        ~ つづく ~

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『世界ウルルン滞在記』…モッタイナイは世界共通語

先週は『ETV特集』を掛けていたので、ウルルンは見なかったです。

今までだったら、そんな時は必ず録画してたのですが、
リニューアルしてくれたお蔭で、録画するほどの情熱は、
もう無くなってしまったみたい。

でも、今回はしっかり観ました。
ヨーロッパでは、日本から一番近い国のフィンランド…
興味があります、ムーミンと○○ネンの国ですから。

いきなり日本語で、“モッタイナイ”…
ノーベル平和賞受賞の、ワンガリ・マータイさんが世界に広めてから、
“モッタイナイ”は、世界共通語になっているんですね。

廃材から、アイデアを出し合って、商品を創り出すのは、
意義のある事とは思いますが、スタジオで紹介していた品々を、
欲しがる人はいるのでしょうか?

面白がって買ったとしても、すぐ飽きられ捨てられてしまうような
気がしますが…
結局は、また新たなゴミを生む結果になるような…

安いと思って買ってみても、ほとんどは使い物にならなかった
“100円ショップ”の品物と似ていますね…“安物買いの銭失い”…

それにしても、デザイナーのタルさんは頑固でした。
いい物を作りたい気持は分かりますが、
はるばるやって来た旅人・要潤さんの希望を聞いてくれてもいいのに…
ましてや、その人の物なんですから…

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まぼろしの腕時計

初めて親から腕時計を買って貰ったのは、高校入学の時。
昔は、ほとんどの人がそうだったと思います。

初めての腕時計は、自分で選んだ物で、手巻き式の色はホワイト、
女学生(死語!)が持つにしては、小さくお洒落でした。

実際、友人達の腕時計は、当時女学生の定番であった、ゴールドで
実用本位の大きめの角形でした。

色々とベルトを替えたり、レース糸でベルトを編んだり、当時流行った
黒や茶色のビロードのリボンをベルトにしたりと、
ささやかなお洒落を楽しんだものでした。

その大事な腕時計を、不注意から紛失してしまったのです。
今となっては、どこでだったのか、いつだったのかも記憶の外なのです。

その後、数々の腕時計との出会いと別れがありましたが、
あの最初の時計が忘れられず、時計屋さんを訪ねたこともしばしばでした。

ある時、偶然、通り掛かった場末の時計店で見付けたのです!
同じ時計を(多分)…ただしゴールド…
(説明書等保存してなかったので、同一かは定かではないのですが)

当然購入し、今も手元にありますが、
それでもやはり、最初のホワイトのものが忘れられないのです。

以前、探し求め続けているあの腕時計らしきものが、
ネットオークションで見掛けましたが…

それにしても、私の、あの腕時計は、今どこなのでしょう?
もう、この地球上には存在しないのでしょうか?
それとも、誰かが拾って使っているのでしょうか?

下の画像は、偶然見付けたゴールドの腕時計、
ベルトはオリジナルではありません。
(文字盤の直径、約15mm、ベルトの幅、約8mm)

20070506a 20070506b

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COOL JAPAN…サービス(Service)

2日の『Cool Japan』は、サービスがテーマでした。

雑誌の付録、繁華街などで配られるポケットティッシュ、試食コーナーのほか、
至れり尽くせりの美容室などが取り上げられました。

日本での雑誌の付録は意外に古く、80年位昔からあったと聞きビックリです。
外国には雑誌に付録は無くて、あっても粗品程度の物とのことでした。

私は雑誌を買うことがないので、雑誌の金額を知らなかったけれど、
海外に比べて、とても高いのだそうです。
司会者は“日本のは紙質が良いから…”などと取り繕っていましたが、
紙質が悪くても、雑誌は安い方がいいようにも思いますが…

結局、付録と言っても、“おまけ”ではなくて、付録も一緒に買ってるわけですし、
言い換えれば、要らない物まで買わされて、
ゴミが増えるだけの気もしますが…

とは言っても、私にも記憶がありますが、確かに子供に取っては、
付録は楽しみなものですね。

試食は、味を知るためには、あった方が良いとは思うのですが、
試食の分も、商品の値段に含まれているわけですから、
サービスとは言っても、採算は取れていますよ。お店は損はしてないです。

日本の美容室のサービスは、外国人から見ると、過剰と思えるらしいです。
私も技術さえ確かなら(気に入れば)サービスは要らないと思いますし、
むしろ短時間で仕上げて欲しいですね。

それから、話し掛けられるのって、結構いやなもの。
雑誌などを持ってきてくれても、目が悪いので読めないのだけれど、
話し掛けられるのを避けたいがために、読むフリなどしていると、
雑誌の内容について話掛けてくる…
“もう勘弁して、それより手元に集中して!”と言いたいです。

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『美の壺』は眠りのツボ

本日の『美の壺』はスペシャル、忘れないように録画予約しなくては…

『美の壺』は、“美術品の鑑賞マニュアル”を解り易く解説してくれる番組。

なぜか毎回、私の興味があるテーマばかりを取り上げてくれる。

映像は美しく、音楽はお洒落で、ゆったりしたムード…

そして、ムードたっぷりな、囁くような(?)ナレーション…

とてもリラックスして、アルファー波が…

否が応でも、夢の世界にいざなってくれる。

…これも、癒やし効果なんでしょうね。

したがって、録画は欠かせません。

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町内会…(2)募金と寄付金

町内会(自治会)には、なぜか諸々の募金があるんですよね。
これがまた不条理そのものでして…

赤い羽根共同募金、緑の羽根共同募金、年末助け合い募金など
全国共通のものの他に、私の地域では、仏教会の寄付
(仏教徒であろうと無かろうと)、花火大会の寄付があり、
また、稀ではありますが、災害時には、被災地への見舞金なども。

それ以外にも、寄付とは別に、強制的に毎年徴収されるものに、
『日赤社費』なるものがあるのです。

募金や寄付は、(半)強制的に組長などが、戸別に徴収するのですが、
自分の懐に入るのでもないのに、低姿勢で、しかも迷惑顔され、
留守の場合は何度も足を運び…

ところが最近、その手間を省くため、あらかじめ別途金を徴収し、
余剰金は、年度末に返金されるというシステムになったのです。
何という進歩!そして合理的!(これ皮肉)

…でも、募金本来の趣旨から大きく逸脱しているのは明かなんですよ。
そもそも、自治会に募金や寄付のノルマを課すこと自体、おかしな話。
そのお金の流れにしても、実に不透明ですし…

それに、あの羽根、はっきり言って無駄だと思うけど。
付けているのは、政治家かニュースキャスターぐらいではないかしら?
(ここ数年来のシール式のでは衣類に付かないと思う。)

その予算を、もっと他の有意義なことに使ったらいいのでは?
と誰だって思うのではないのでしょうか?
まあそれも、団体と業者の癒着があるのでは、と疑ってしまう。

そんな疑問を抱きつつも、誰もが長いものに巻かれているのでしょうね。

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『ストーリー・ガール』 (1)

架空の地名でありながら、余りにも有名な“アボンリー(アヴォンリー)”は、
カナダ、プリンス・エドワード島に実在する“キャベンディッシュ”がモデル。

これは、モンゴメリを愛読する人なら、誰でも知っている事でしょう。
アボンリーと言う地名ですが、
私が知る限り『アン・シリーズ』だけのものだと思います。

ドラマ『アボンリーへの道』の原作の一つでもある、
L・M・モンゴメリの小説『ストーリー・ガール』シリーズ
(木村由利子訳 篠崎書林)の舞台も、
アボンリーではなくて、カーライルなのですね。

ところで、当然『アボンリーへの道』と、『ストーリー・ガール』には、
よく似た箇所がありますが、その一つに、こんな会話がありました。

第1話「プリンス・エドワード島へ」では、
セーラと乳母のルイザが、プリンス・エドワード島、アボンリーにある
ローズコテージに到着した晩、今は亡き母ルースが使っていた部屋での、
セーラとルイザの会話…

「今鳴いているカエルの声を、ママも聞いたのかしら?」(セーラ)
「カエルって、そんなに長生き?おんなじカエルじゃないわね。」(ルイザ)
「そうよね。じゃあ、きっと、孫ガエル位だわ。」(セーラ)

『ストーリー・ガール』の第一章「ふるさとの家」でも、
ベバリー・キング(僕)と弟のフェリックス・キングが、父親の故郷である
プリンス・エドワード島、カーライルのキング農場に着いた晩、
父親が昔使っていた部屋で、こんな会話をしていました。

「ねえ考えてごらんよ。
あいつ達、お父さんが子供の頃聞いたのと同じカエルなんだよ。」
とフェリックスが囁いた。
「まさか、同じカエルのはずがないだろ。」
カエルの寿命がどれくらいか確信なかったものの、
僕は疑わしげに反論した。
「お父さんが家を出て、20年になるんだぜ。」
「とにかく、お父さんの聞いたカエルの子孫だろう。
それに、同じ沼地で歌ってるんだしさ…」

訳者が別で、人物設定が違うので表現は違いますが、
内容的には、ほとんど同じですね。

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NHKBShi『迷宮美術館』

「迷宮美術館へようこそ!……くれぐれも迷子にご用心!」
で、始まる『迷宮美術館』も、毎週楽しみにしている番組の一つです。
どのコーナーも、興味深く60分が、とても短く感じます。

司会の段田安則さんの美声はメリハリがあって聞きやすく、
住吉アナウンサーの話し方も好感が持てます。

段田さんの活弁と、中村有志さんのパントマイムが可笑しい、
“迷宮ショータイム”では、いつも笑らわされてしまいます。

“迷宮伝説”は画家の人生を紹介するので、大変興味深い。
ナレーターは、段田さんに負けず劣らずの美声の持ち主。
ただ、その美声が魅惑の低音のために、時々聴き取りにくくなるんですよね。
しかも、催眠効果抜群…

この番組は、一月に1本の割合で再放送なのですね。
私は、番組表などを見ないで、録画したりテレビを掛けたりすことが多いから、
「あっ、これ、見たことある!」となってしまうわけ。

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