「赤毛のアン」には多くの名言がありますが、
中でも特に有名なのは、最終章の“曲がり角"ではないかしら…
翻訳の違いを比較してみました。
原文
Anne's horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen's; but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it. The joy of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship were to be hers; nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal world of dreams. And there was always the bend in the road!
"'God's in his heaven, all's right with the world,'" whispered Anne softly. softly.
村岡花子/訳(新潮文庫 1954)
第三十八章 道の曲がり角
~略~
アンの地平線はクィーンから帰ってきた夜を境としてせばめられた。しかし道がせばめられたとはいえ、アンは静かな幸福の花が、その道にずっと咲きみだれていることを知っていた。真剣な仕事と、りっぱな抱負と、厚い友情はアンのものだった。何ものもアンが生まれつきもっている空想と、夢の国を奪うことはできないのだった。そして、道にはつねに曲がり角があるのだ。
「神は天にあり、世はすべてよし」(訳注 イギリスの詩人(一八一二 ー 一八八九)の言葉)とアンはそっとささやいた。
中村佐喜子/訳(角川文庫 1957)
第三十八章 道の曲がりかど
~略~
クィーンから帰った夜から思えば、アンの視界はぐっと閉ざされてしまったのだ。でも自分の足許につづく道が、どんなに狭いにしろ、そこにはきっと、静かな幸福の花が咲くにちがいないと信じた。彼女には、真剣な仕事と、貴い抱負と、頼もしい友情との喜びがあるのだ。何ものも、彼女が理想の世界を夢見る権利をうばうことはできない。行手には常に期待にとんだ曲がりかどがあるのだ!
『神は天にあり、この世はすべてよし』(ブラウニングの「ピッパは行く」より)とアンは静かにつぶやいた。
掛川恭子/訳(講談社文庫 1999)
38 アンの道、決まる
クィーンからもどってきた夜ここにすわったときとくらべると、アンの地平線はせばめられた。それでも、目の前にのびている道が狭くても、道ぞいに静かな幸せの花が咲き乱れていることを、アンは知っていた。まじめに働く喜び、価値のある志を抱(いだ)く喜び、気の合った友達を持つ喜び――そのどれもが、アンのものになるのだ。アンが生まれながらに持っている想像力や理想の夢の世界は、だれにも奪うことができないのだ。それにこの道にはいつだって、そのむこうになにが隠されているかわからない、あの曲がり角があるのだ!
「神は天にあり、この世はすべてなにごともなし」
アンはそっとつぶやいた。
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言葉の選択次第で、微妙に印象が変わるところが興味深いです。
村岡さんと中村さんの訳は、時代を感じさせるような格調高い文に、
掛川さんのは現代的で、小学生にも分かりやすいように感じます。
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