* 本

『めし』

連載小説だった『めし』は、林芙美子の急逝で未完となり、
そのため、映画化された『めし』の終盤は創作でした。

直前には房州白浜へ取材に出掛けていたとのことですが、
それを生かされることもなく、さぞかし無念だったことでしょう。

原作を読みましたが、映画では省かれていた箇所も多く、
興味深く読むことが出来ました。
(…子供がいないのは妻に原因があり、養子を迎えようとして子供に会いに行ったり、
大阪の料亭に嫁いだ同級生の富安せい子が、
離婚を決意し子供たちを連れて東京の実家に戻っていたり…)

小説の構想は、生前語られていなかったようですが、
私としては、折角決心して家を出たのですから、
映画のように元の生活に戻るのではなく、自立の道を歩んで欲しいと思いました。

ところで、これまでも林芙美子の著書は何冊か読みましたが、
『めし』に関しては読点がとても多いように感じました。

読みやすくするための読点も、
あまり多いと却って読み難くなるものですね。

20120518 『めし』
(大活字シリーズ)
林芙美子/著
埼玉福祉会

20120518b ←左は文庫本
借りることが出来たのはこの「大活字シリーズ」だけでした。
でも、こんなに大きな文字なのに(14P?)メガネを掛けても読めません…(涙)

「めし」→「林芙美子」→「放浪記」→「でんぐり返し」…
森光子さんはお元気なのでしょうか…?

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「100分 de 名著」~フランツ・カフカ『変身』~

今回もテレビ番組の話題で恥ずかしいのですが、
「100分 de 名著」という番組をご存じでしょうか? 

名著を25分ずつ4回に分けて解説する番組なのですが、
見たいと思いながらも、ついつい忘れがち…
でも今月はカフカの『変身』ということでしっかり予約しています。

『変身』で真っ先に浮かぶのは「巨大な虫」、
そして「不条理」「実存主義」でしょうか…。

『変身』は中高生の頃に読む人が多いようで、私もその一人、
今も『審判』『ある流刑地の話』など何冊かの文庫本が残っていますが、
内容を覚えているのは『変身』だけです。

『変身』にしても、グロテスクで残酷で非現実と思っていましたが、
番組を見て、初めて変身に込められたカフカの思いが理解出来ました。

「巨大な虫」はカフカ自身の「出社拒否願望」、
家族や世間から逃れ、自由になりたい。

虫になったグレーゴルが自室に閉じこもり、
天井を這い回ったり、ぶら下がったりして遊ぶのは、
辛い現実から逃れ、心の赴くままに生きたいという「逃避願望」…

虫になったグレゴーリが、窓から外の人間を眺めていたのは、
人間のしがらみから逃げ自由を手にしたにも関わらず、
心のどこかで人間との関わりを持ちたいという気持ちの表れ、
でも一歩を踏み出す勇気がない…

唯一面倒を見てくれている妹も、次第に「これは兄ではない」と思うようになり、
ただの厄介者としか感じなくなる。

ちょうど認知症になった親を介護し続けた結果、
心身共に疲れ果ててしまった家族と同じなのでしょう。

読み方によってはとても身近な作品、
中学生では早すぎました。私には。

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『死の棘』

「このドラマはフィクションであり……」

という断り書きを、昔見たことがあります。

"ドラマと現実を混同してしまう人がいるのかしら…?"
と、その頃は思っていました。

フィクションと分かっていても、内容がどんなに荒唐無稽であっても、
事実は小説よりも奇なり、世の中は広いのです。
「モデルは自分…」と思ってしまう人がいても不思議ではありません。

私もその一人…

20年以上も前のこと、
偶然知った島尾敏雄の私小説『死の棘』を読んだ時、
(その後、映画も見ました。)

"ミホは私…"

「時が癒す」という言葉は、私にはありません。

20120331
『死の棘』島尾敏雄/著 新潮文庫
『新潮日本文学アルバム 島尾敏雄』 新潮社

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磯野家

『風の中の子供』の男の子たちと『サザエさん』のカツオくんは同年代?
と調べてみました。

三平くんよりカツオくんの方が10歳位年下でしたが、
サザエさんは私の母より年上で、タラちゃんは私よりお兄さんだったとは…(笑)

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フグ田サザエ(旧姓・磯野)
原作では1922年(大正11年)11月22日生まれの27歳。(アニメでは24歳)

フグ田マスオ
原作では1917年(大正6年)4月3日生まれの32歳。(アニメでは28歳)

磯野カツオ
原作では1938年(昭和13年)3月11日生まれの11歳。

磯野ワカメ
原作では1942年(昭和17年。6月15日生まれ。
登場時が5歳の幼稚園児の設定で最終的に小学1年生で7歳になっている。
(アニメでは9歳)

フグ田タラオ
原作では1947年(昭和22年)3月18日生まれ。もしくは1948年(昭和23年)10月頃。
(アニメでは放映初期は2歳で後に3歳)

磯野波平
原作では1895年(明治28年)9月14日生まれの54歳で干支は未。(アニメでも54歳)

磯野フネ(又は舟。旧姓・石田)
原作では1901年(明治34年)1月11日生まれの48歳。(アニメでは52歳)

(ウィキペディア「サザエさんの登場人物」より)

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『サザエさん』は1946年4月22日 から1974年2月21日に連載され全6477話、
姉妹社より全68巻(?)出版されていて全巻揃えたいと思いましたが、
当時はネットも存在せず、11冊で断念…
その後発売された『よりぬきサザエさん』(1~8)で我慢しました。

『サザエさん』は好きですが、
どちらかと言えば『いじわるばあさん』の方が好きでした。

20120206a 20120206b 20120206c 20120206d
左より
『サザエさん』第一巻
『サザエさん』と『よりぬきサザエさん』
『いじわるばあさん』(1~6)、『新やじきた道中記』(上下)『似たもの一家』
『サザエさん 旅あるき』『サザエさん うちあけ話』(いずれも「姉妹社」)

『似たもの一家』の登場人物は、伊佐坂なん物(作家)、おカル夫人、
長男じん六、長女うきえ お手伝いのおサン、犬のハチ公です。
…もう「姉妹社」も無いのですよね…

『サザエさん』といえば江利チエミさんが浮かびます。
ワカメちゃんはパッチリお目々の松島トモ子ちゃんでお母さんは清川虹子さん、
でもカツオくんの顔は全く覚えていません。

他に『エプロンおばさん』なども映画化もされましたね。

作者の長谷川町子さんは1920年1月30日生まれで1992年に歿し、
その後国民栄誉賞を受賞されましたが、生前にと思わずにはいられませんでした。

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『熱いトタン屋根の猫』(1958・米)

先週、『熱いトタン屋根の猫』(Cat on a Hot Tin Roof)が放映されていました。

高校生の頃に、原作の戯曲『やけたトタン屋根の上の猫』を読んだのに、
内容を全く覚えていません。
面白くなくて途中で投げ出してしまったような気もしますが…

映画も詰まらなかったです。
というより、好みではなかったです。

大農場の当主である父(ビッグ・ダディ)の誕生日を祝うために集まった長男一家と
次男夫婦。
ビッグ・ダディはガンを宣告されていますが、本人は知りません。

ビッグ・ダディの遺産を狙っている長男夫婦には5人の子供がいて、
妻は6人目を身ごもっています。

ビッグ・ダディは長男より次男ブルック(ポール・ニューマン)に愛情を注いでいますが、
そのブルックは自殺した親友のスキッパーと妻マギー(エリザベス・テーラー)の仲を邪推し、
妻を拒絶しています。

ビッグ・ダディにしても、妻を一度も愛したことがないと言うし、
妻(ビッグ・ママ)も全てを取り仕切ろうとしていて好感が持てません。

長男と次男の仲も悪そうで、マギーも姪や甥を毛嫌いし、
姪たちもマギーに嫌がらせばかりしています…

このように私が好きになる要素が一つもなかったのです。

映画では、スキッパーとブルックの関係をぼかした脚色になっていましたが、
原作では同性愛の関係だったと思います。
(テネシー・ウイリアムズ自身がそうだったようです。)

20111227 『やけたトタン屋根の上の猫』
テネシー・ウイリアムズ
田島 博/訳
新潮文庫

20111227b (左)『欲望という名の電車』(田島 博・山下 修/訳)
(右)『ガラスの動物園』(田島 博/訳)
テネシー・ウイリアムズ
新潮文庫

昔読んだ中では『ガラスの動物園』が良かったです。

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最近持病の頭痛に苦しめられています。
やらなければならないことは山程あるのに何も手につかず、
時間ばかりが過ぎてしまいます。

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『エル・スール』(小説)

20111220 『エル・スール』
アデライダ・ガルシア・モラレス/著
野谷文昭・熊倉靖子/訳
インスクリプト 2009/2/18

『ミツバチのささやき』のついでに録画し、期待もせず見た『エル・スール』でしたが、
途中から父親のミステリアスな眼差しに引き込まれてしまいました。

しかも父の死の謎が明かされることなく、
エストレリャが<南>に旅立つところでラストを迎えてしまったので、
気になって仕方ありませんでした。

監督は、その先も撮る予定だったそうですが、
何らかの理由で果たせなかったとか…

それならば、是非とも原作を読まなければ、と…。

何となく「長編」と思っていたのですが、予想に反し短い小説で、
しかも翻訳とは思えない美しい文章だったので、一日で読んでしまいました。

やはり原作は原作、というより原案に近く、
少女の名前も「エストレリャ」ではなく「アドリアナ」、
父は「アグスティン」→「ラファエル」、母は「フリア」→「テレザ」、
「イレーネ・リオス」→「グロリア・バリェ」でした。

その他の設定もかなり違っていたので、「別もの」と感じる人もいるでしょうが、
もし先に原作を読んでいたならば、それ程違和感はなかったかもしれません。

というのも、小説もアドリアナの一人称になっていましたが、
(父に語りかけるような、あるいは父に宛てた手紙のようにも思えました。)
映画では想像するしかなかったエストレリャや、父、母の心理状態も、
小説には(アドリアナの推測としてですが)描かれていたので納得出来ましたから。

セビーリャ(南)で知った父の秘密…
私としては残念な秘密でした。

やはり、映画でそこまで描かなかったのは正解だったような。
謎解きは、しない方が想像の余地がありますから。

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「もし一生のうちに何かしたいことだあるんだったら、
大きくなっても、結婚したり子供を持ったりするんじゃないぞ。
好きなときに死ねる自由を持つためにだけでもだ」

「いいかい。一番性質
(たち)が悪い苦しみというのは、
これといった理由がないやつなんだ。
あらゆることが原因になって、とくに何かがあるわけじゃない。
まるで顔がないみたいなのさ」

アドリアナに言った父の言葉…いたく共感!

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『雪の夜の話』

20111216 『女生徒』 太宰治/著
角川文庫
(『燈籠』『女生徒』『葉桜と魔笛』『皮膚と心』『誰も知らぬ』『きりぎりす』『千代女』
『恥」『待つ』『十二月八日』『雪の夜の話』『貨幣』『おさん』『饗宴夫人』)

「ユーモラスなのも深刻なのも太宰作品は全て好き」という又吉さん…
私はほんの一部しか読んでないのですが、中には共感できない作品もありました。

例えば『斜陽』、私は好きになれませんでした。
『女生徒』や『きりぎりす』は共感できますが…。

好きな作品を一つだけ挙げるのは難しいですが、
少女の一人称で書かれた童話のような『雪の夜の話』は大好きな作品です。
(『少女の友』(昭和19年5月号)に掲載)

 “人間の眼玉は、風景をたくわえる事が出来ると、
  いつか兄さんが教えて下さった。”

姪のモンペが出来上がり叔母さんの家に届けた帰り道、
私(しゅん子)は、お土産にもらった2枚のスルメを、途中で落としたことに気付き、
雪道を引き返して探しましたが見つかりません…。

“…兄さんが二十くらい、私がまだほんの子供でお母さんにおんぶされて…”

“…兄さんは、少しお変人の小説家、もう四十近くなるのに…”

…しゅん子は中学生か女学生くらいかしら…?

素朴で優しく愛があって幻想的…とても短い作品です。
是非読んで見てください。

『雪の夜の話』青空文庫)

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『親友交歓』

20111215 『ヴィヨンの妻』 太宰治/著
新潮文庫
(『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『ヴィヨンの妻』
『おさん』『家庭の幸福』『桜桃』)

太宰治の短編小説の『親友交歓』は、
又吉直樹さんが、「読んでいて思わず笑ってしまった」という作品ですが、
私も同じく笑ってしまいました。

罹災し、妻子を連れて津軽の生家に疎開していた時のこと、
小学校時代の同級生の平田という男が訪ねてきて、
「酒を飲ませろ」「かか(妻)にお酌をさせろ」などと無理を言い、
井伏さんに飲んでもらおうと大事にしておいた高価なウイスキーを飲んでしまった挙げ句、
<私>の兄が政治家と知りながら「政治家は嫌いだ」と言いたい放題言い、
眉唾な武勇伝や、お門違いなお説教をした挙げ句、
帰り際には、<私>の耳元で「威張るなよ!」と囁いた。

平田は無神経を通り越して、傍若無人を絵に描いたような男ですが、
迷惑で不快の極みのはずなのに、どこか楽しんでいるようにも感じられるのです。

日本人の多くが<私>タイプに思えますが、意外に身近に<平田>タイプもいて、
「あるあるネタ」ではないですが、「そうそう、いるのよね、私の知っている人の中にも…」
と、一度ならず自分も経験しているからこそ、笑えるのかも知れませんね。

では、笑えない人は<平田>タイプ…?
でも、そういう人に限って、全く自覚していないから困るのですよね。

『親友交歓』(青空文庫)

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『第2図書係補佐』

20111213 『第2図書係補佐』
又吉直樹/著
幻冬舎よしもと文庫
2011/11/25

もう本は買わないつもりだったのに、amazonに注文してしまいました。
(…図書館にまだ無かったので…)

なぜ、お笑い芸人又吉直樹さんの本を購入したかと言えば、
又吉さんのブログ、ツイッターのファンだからです。

なぜ、ブログ等を読むようになったかと言えば、
「神保町公式ガイド」の表紙を飾ったことがあるくらい文学通で、
太宰治を待受画面にしているほど太宰ファンと聞いたからなのです。
(最近はお忙しいらしく更新が遅めです。)

『第2図書係補佐』は、数年前、劇場のフリーペーパーに連載されていたコラムを
まとめたもので、目次には47の本のタイトルが並んでいますが、
書評のたぐいではありません。
連想される又吉さんご自身の逸話のエッセイです。

“…僕には書評を書く能力はありません。…皆様にも失礼です。”
本書のタイトルもそうですが、謙虚な方なのですね。

太宰治の短編を読んでいると、
“これは私小説ではなく、随筆では…?”と錯覚ししてしまいますが、
又吉さんのエッセイは、“これはミニ私小説では…?と思ってしまいました。

『親友交歓』で書かれていた太宰治との偶然には驚きました。

又吉さんが上京して、不動産屋さんに紹介され初めて住んだのが三鷹で、
その古いアパートの住所は、太宰が最後に暮らした家の現住所…
ファーストキスは太宰が入水した日と同じ日で、
その時の彼女の名前はみちこ…太宰夫人の名もみちこ(美知子)。

しかも、又吉さんのお父さんが出身地の沖縄に建てた家が、
偶然、飲料水のCMに使われたそうですが、
CMの設定が「走れメロス」風で、「又吉」の表札が「太宰」に変わっていた…

「偶然」を強調されていましたが、(私もそう思います。)
占いとか因縁とか霊とかを信じる人なら、
「偶然」として片付けられないかも知れません。

最後の中村文則さんとの対談ですが、
中村さんの話が多くて、私には詰まらなかったです。
むしろ書き下ろしを追加して、50のエッセイ集にしたの方が嬉しかったのに。

偏っているとは自覚していましたが、47冊中、私が読んだ本は数冊とは…
タイトルさえ知らなかったものが多く情けなかったです…(涙)

20111213b
『親友交歓』は『ヴィヨンの妻』に収められています。
新潮文庫(写真は240円、現在はカバーも替わって税込380円)
と書かれていましたが、
右側の私の『ヴィヨンの妻』は同じカバーながら90円…(^-^;

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<目次>
はじめに

『尾崎放哉全句集』 
『昔日の客』
『夫婦善哉』
『杳子 (『杳子・妻隠』より)
『炎上する君』
『万延元年のフットボール』
『赤目四十八瀧心中未遂』
『サッカーという名の神様』
『何もかも憂鬱な夜に』
『世界音痴』
『エロ事師たち』
『親友交歓 (『ヴィヨンの妻より』)
『月の砂漠をさばさばと』
『高円寺純情商店街』
『巷説(こうせつ)百物語』
『告白』
『江戸川乱歩傑作選』
『蛍川・泥の河』
『中陰の花』
『香水 ある人殺しの物語
『イニシエーション・ラブ』
『山川記 (『李稜・山月記』)
『コインロッカー・ベイビーズ』
『銃』
『あらゆる場所に花束が……』
『人間コク宝』
『アラビアの夜の種族』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『銀河鉄道の夜』
『逃亡くそたわけ』
『四十日と四十夜のメルヘン』
『人間失格』
『異邦の騎士 (改訂完全版)
『リンダリンダラバーソール いかす!バンドブーム天国』
『変身』
『笙野頼子三冠小説集』
『ジョン・レノン対火星人』
『夜は短し歩けよ乙女』
『袋小路の男』
『パンク侍、斬られて候』
『異邦人』
『深い河』
『キッチン』
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
『友達 (『友達・棒になった男』より)
『渋谷ルシファー』
『宇田川心中』

【対談】又吉直樹×中村文則
さいごに

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『もう一度食べたい 』~いまも食べられる昭和の味~ (5)

『もう一度食べたい』(津武欣也/著 毎日新聞社)のpart5、
これで最後にしますので…おやつ系です…m(_ _)m

「ポン菓子」は地方によって「ばくだん」とも呼ばれているようですが、
わたしたちの地方では「はざし」と言ってました。
過去形…と言うのも、今も「はざし」なのか分かりませんので。

「はざし」とは、「破裂する(させる)、はじける」の方言の「はぜる、はざす」が
語源と思われます。(私の世代ではすでに死語でしたが)

大抵は、水飴で固めて、「おこし」や「ボール状」になったものが売られていました。
私はそのままの方が好きでした。

「はったい粉」も懐かしいおやつです。
「麦こがし」と呼ばれている地方もあるようですが、
私の子どもの頃は「こうせん(香煎)」と言っていました。

適量の「こうせん」を器に取り、好みの量のお砂糖を加えて混ぜますが、
その状態ではむせるので、お湯を少しずつ加えて好みの硬さに練って食べてました。

「体に良いから」と、たまに母からと食べさせられていましたが、
子どもの口には美味しいとは思えませんでした。
おやつはやっぱり駄菓子屋さんの駄菓子…(*^-^)

駄菓子屋さんでも珍しいのは「ニッキ(肉桂)」(細い枝を束ねたもの)でしょうか…?
知らない人の方が多いでしょうね。

「おやつ」といえば「ヤサラ」という貝のことも載っていました。

私は「ヤサラ」は知りませんでしたが、
比較に10円硬貨とともに並べてあった「ナガラミ」は知っています。

「ヤサラ」は直径1cmほど、「ナガラミ」は500円硬貨位と大きさは全く違いますが、
姿形はほとんど同じ…

解説によれば、「ヤサラ」の正式名称は「イボキサゴ」で内湾に棲み、
「ナガラミ」は「ダンベイサゴ」といい、外洋に面した砂浜に棲むとのことでした。

実家の近所に、貝だけを扱っている「貝屋さん」があったので、
おやつとして塩茹でした「ナガラミ」を時々買っていました。
母がですが…。

本書には、針を使って取り出していた、とありましたが、
待ち針だったようでもあり、爪楊枝だったようでもあり…?

でも、最後に出てくる「わた」が気持ち悪くてきれいに取り除き、
(器に入れたお湯で)濯いでから食べた記憶はあります。

写真で見るとちょっと不気味…今なら無理かもね…(ノ_-。)

20111125 『もう一度食べたい』
~いまも食べられる昭和の味~
津武 欣也/著
毎日新聞社 2011.9

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