『めし』

連載小説だった『めし』は、林芙美子の急逝で未完となり、
そのため、映画化された『めし』の終盤は創作でした。

直前には房州白浜へ取材に出掛けていたとのことですが、
それを生かされることもなく、さぞかし無念だったことでしょう。

原作を読みましたが、映画では省かれていた箇所も多く、
興味深く読むことが出来ました。
(…子供がいないのは妻に原因があり、養子を迎えようとして子供に会いに行ったり、
大阪の料亭に嫁いだ同級生の富安せい子が、
離婚を決意し子供たちを連れて東京の実家に戻っていたり…)

小説の構想は、生前語られていなかったようですが、
私としては、折角決心して家を出たのですから、
映画のように元の生活に戻るのではなく、自立の道を歩んで欲しいと思いました。

ところで、これまでも林芙美子の著書は何冊か読みましたが、
『めし』に関しては読点がとても多いように感じました。

読みやすくするための読点も、
あまり多いと却って読み難くなるものですね。

20120518 『めし』
(大活字シリーズ)
林芙美子/著
埼玉福祉会

20120518b ←左は文庫本
借りることが出来たのはこの「大活字シリーズ」だけでした。
でも、こんなに大きな文字なのに(14P?)メガネを掛けても読めません…(涙)

「めし」→「林芙美子」→「放浪記」→「でんぐり返し」…
森光子さんはお元気なのでしょうか…?

| | コメント (0)

『死刑台のエレベーター』(1957・仏)

録画してあった『死刑台のエレベーター』を見ました。

有名な映画なので題名くらいは知っていましたが、
完全犯罪を企てたにしては、杜撰な犯行で拍子抜けしてしまいました。

完全犯罪が崩れたのは「エレベーターに閉じ込められたから」というより、
始めから場当たり的な気がしました。

日没前なのに、通りに面しているベランダから、ロープを使って上階によじ上ったこと、
カーテンの無い一面ガラス窓の社長室で銃殺したこと、
物的証拠のロープを片付けなかったこと、
それに気付き、ロープを取りに戻る際、階段を使わなかったこと、
(…社員ならエレベーターの電源が切られることを知らないはずはない…)
ピストルと二人が写った小型カメラを残し、
キーを付けたままの車(オープンカー)から離れたこと…等々。

疑問も多かったです。
会社の前にあったロープを少女が持ち去りましたが、
どこに持って行ったのでしょう?
…重要なシーンではないのかもしれませんが。
そのロープは誰がベランダから外してそこに置いたのでしょうか?

また、朝になってエレベーターから脱出したジュリアン(モーリス・ロネ)が、
ロープの件を忘れていたことも不可解でした。

「ドイツ人殺しならアリバイが無いから死刑だった。
カララ氏殺しは懲役10年…5年で出られる」
と言った刑事の言葉…
「動機に関係なく、外国人殺しは死刑」ということなのでしょうか?

一番合点がいかなかったのは、
完全犯罪が失敗に終わったと知った時のフロランス(ジャンヌ・モロー)の独白です。

「10年、20年…私は年を取る…一人で寝て、起きるのも一人…」
愛人が殺人罪で逮捕されたというのに、案じる気持ちは起きなかったようでした。

| | コメント (0)

ゴボウを買って・・・

先日、スーパーでゴボウを買った時のこと、
会計の際、レジ係の女性が、いきなりゴボウをバキッと折ってしまいました。
(折ったというより、「へし折ってしまった」でした。)

ゴボウは普通、
 (1) 皮付きで長いまま細長いビニール袋に
 (2) 皮付きで30cm近くに切りビニール袋に
 (3) 長いまま皮を取り細長いビニール袋に
 (4) 皮を取り30cm近くに切りビニール袋に
の状態で売られていますが、私はこだわりはなく、たまたまその時は(1)でした。

ゴボウは長いまま調理することはないものだから、
「折ってくれてありがとう」と感謝するべきだったのかも知れませんが、
心の狭い私は、ただ唖然とするばかりで、お礼どころではありませんでした。

どこにでもある日常のほのぼのとした一コマでした…???

| | コメント (4)

「100分 de 名著」~フランツ・カフカ『変身』~

今回もテレビ番組の話題で恥ずかしいのですが、
「100分 de 名著」という番組をご存じでしょうか? 

名著を25分ずつ4回に分けて解説する番組なのですが、
見たいと思いながらも、ついつい忘れがち…
でも今月はカフカの『変身』ということでしっかり予約しています。

『変身』で真っ先に浮かぶのは「巨大な虫」、
そして「不条理」「実存主義」でしょうか…。

『変身』は中高生の頃に読む人が多いようで、私もその一人、
今も『審判』『ある流刑地の話』など何冊かの文庫本が残っていますが、
内容を覚えているのは『変身』だけです。

『変身』にしても、グロテスクで残酷で非現実と思っていましたが、
番組を見て、初めて変身に込められたカフカの思いが理解出来ました。

「巨大な虫」はカフカ自身の「出社拒否願望」、
家族や世間から逃れ、自由になりたい。

虫になったグレーゴルが自室に閉じこもり、
天井を這い回ったり、ぶら下がったりして遊ぶのは、
辛い現実から逃れ、心の赴くままに生きたいという「逃避願望」…

虫になったグレゴーリが、窓から外の人間を眺めていたのは、
人間のしがらみから逃げ自由を手にしたにも関わらず、
心のどこかで人間との関わりを持ちたいという気持ちの表れ、
でも一歩を踏み出す勇気がない…

唯一面倒を見てくれている妹も、次第に「これは兄ではない」と思うようになり、
ただの厄介者としか感じなくなる。

ちょうど認知症になった親を介護し続けた結果、
心身共に疲れ果ててしまった家族と同じなのでしょう。

読み方によってはとても身近な作品、
中学生では早すぎました。私には。

| | コメント (0)

「グレーテルのかまど」

「グレーテルのかまど」という番組をご存じですか?

「グレーテルのかまど」はEテレで放送中のスイーツの番組で、
私は2ヶ月前に「樋口一葉のおしるこ」を偶然見たのですが、
雪の日に半井桃水のもとを訪れた一葉に、桃水が作ってくれたお汁粉のお話を再現した
美しくも儚く乙女心をくすぐられるような叙情的な内容でした。

こんなに素敵な番組があったとは…と感激したのですが、午後の5分番組だったため、
NHKによくある時間調整的(?)なものだろうと思っていたところ、
しばらく後、また偶然、土曜日の夜放送の「舞妓はんのゼリー」と「アメリのクリームプリュレ」
を見ることができました。25分番組でした。

お稽古帰りの舞妓さんが立ち寄るお店のゼリーは三種類で、
どれも数種類の季節のフルーツが入った、通常より3倍固い濃度のゼリー、
着物を汚さないためとか…
『アメリ』は私が好きな映画、あのカフェや映画のシーンが流れたので、
また映画が見たくなりました。

HPには写真付きの詳しいレシピが30種程紹介されていて、
(印刷用PDFもありました。)
最近は「スヌーピーのチョコチップクッキー」「ゴットファーザーのカンノーリ」
「ムーミンママのパンケーキ」が放送されたようでした。

特に「宮沢賢治のアイスクリーム」「坂本龍馬のカステラ」「赤毛のアンのチェリーパイ」
「ローマの休日のジェラート」「パリジェンヌのマカロン」が見たかった…

と言っても、私はスイーツ作り部分は二の次で、
スイーツに秘められた物語の美しい映像に惹かれているのです。

ところで、スイーツを再現するのは15代ヘンデルですが、
ヘンデルを指南する「かまど」の声(言葉遣いや喋り方)がとても嫌なんです。

じゃ誰だったら良かったの?と言われたら…
…もしもご健在だったなら岸田今日子さんかしら…

明日は「檀一雄の杏仁豆腐」、…忘れそう。

| | コメント (8)

『浮き雲』(1955・東宝)

今日(7日)は朝から頭痛がひどく何も出来なかったので、
BSの『浮雲』(成瀬巳喜男監督)をぼんやり見ていました。

『浮雲』の原作(林芙美子)は読んでいませんが、
映画は以前にも一度見ました…でも途中でギブアップ。
元々、不倫を題材としたメロドラマが嫌いで、我慢の限界だったから。

主人公の二人が、罪悪感を抱きながらも心底愛し合うならまだしも、
『浮雲』には「愛」が感じられないのです。

不誠実な既婚の富岡(森雅之)はもちろんのこと、
男の本性を知りながら決別出来ず、逢う度に恨みがましく相手を責め、愚痴を言い、
それでも惨めにすがりつくゆき子(高峰秀子)に嫌悪感さえ感じてしまいました。

今以上に女性の経済的自立が困難な時代だったにせよ、
ゆき子の態度は純粋な愛ではなく、意地や執着のように思えてウンザリでした。

ゆき子も、彼の妻(中北千枝子)も、人妻のおせい(岡田茉莉子)も、
死んでしまった…
しかも富岡は、ゆき子に妻の葬儀代を無心するのですから。

伊庭(山形勲)は論外としても、男というのは、妻や決まった相手がいたとしても、
切っ掛けさえあれば、富岡のようになる生き物なのでしょう。

「いいえ、世の中には誠実な男だって沢山いるよ」
を信じたいけれど…



| | コメント (2)

COOL JAPAN マンガ~MANGA~

マンガに対する意識は日本と海外では大きく違うようで、
国によってはマンガは子ともが見るもの、大人が見ると非難されるそうです。

中村伊知哉さんが
「日本人は誰もがマンガを読み、誰もがマンガがかける」
ようなことを話していました。

多分「可能、容認」というような意味だったのでしょうが、
海外向けの番組の発言としてはどうかしら…?
誤解されかねないような気がしました。

また「少女マンガの歴史」について
「50~60年年代は、手塚治虫、赤塚不二夫といった男性マンガ家がかいていた
女流マンガ家は70年代以降」
これもちょっと…

私は小学生の頃、月刊少女雑誌の『りぼん』などを読んでいましたが、
男性漫画家で記憶があるのは、恐怖マンガの楳図かずおさんぐらいです。

子供だったので漫画家についての興味もなかったのですが、
わたなべまさこさん、牧美也子さんといった女性漫画家についてはよく覚えています。
(牧美也子さんの夫は松本零士さんです。)

特に牧美也子さんの絵はとても人気があって、薄紙に写していた友だちもいました。
(内容は忘れましたが、牧美也子さんの「少女三人」にみんな夢中でした。)

当時の月刊少女雑誌は、マンガ雑誌ではありませんでした。
グラビア、読みものも多く、お洒落な付録もあり、あくまで小学生が対象だったので、
読み物やマンガの内容に「恋愛」はなかったです。

グラビアのページには、いつも少女だった森下洋子さんや大原永子さんが登場し、
マンガの内容もバレエの主役をめぐって、といったものが多かったです。

小学生の頃は親に買ってもらっていた『りぼん』『少女フレンド』(雑誌)なども、
中学生になると自主的に卒業し、お小遣いで『女学生の友』を買っていました。

| | コメント (2)

lalaTVのアボンリー、ふたたび

すでにご存じの方も多いでしょうが、
lalaTVの「アボンリーへの道」、7日から再スタートしますね。
(月~金 17:00~)

4月にサイトを覗いた時「今月の放送予定はありません」とあったので、
放送終了ではないと思っていました。

ただ、続きの第5シリーズからではなく、第一話からでした。
こんどこそ最終回まで放映して欲しいです。

とは言っても私は見られませんが…

アボンリーの住人になって、
へティ・キングに叱咤激励して欲しいわ。

| | コメント (2)

ネジを巻いて!

ご無沙汰しております。
色々あって遠ざかっていました。

このまま消えてしまおうと思っていましたが
帰る道が判らなくて途方に暮れた「夢」のように心細くて、
戻って来てしまいました。

世間ではゴールデンウィークも後半…
季節の移ろいにも付いて行けない…

"私の青春は終わった…"
と感じたあの日から時は止まったまま。

| | コメント (6)

『死の棘』

「このドラマはフィクションであり……」

という断り書きを、昔見たことがあります。

"ドラマと現実を混同してしまう人がいるのかしら…?"
と、その頃は思っていました。

フィクションと分かっていても、内容がどんなに荒唐無稽であっても、
事実は小説よりも奇なり、世の中は広いのです。
「モデルは自分…」と思ってしまう人がいても不思議ではありません。

私もその一人…

20年以上も前のこと、
偶然知った島尾敏雄の私小説『死の棘』を読んだ時、
(その後、映画も見ました。)

"ミホは私…"

「時が癒す」という言葉は、私にはありません。

20120331
『死の棘』島尾敏雄/著 新潮文庫
『新潮日本文学アルバム 島尾敏雄』 新潮社

|

«グレーのカーディガン